二宮: レオさんが役者を志したきっかけは?
森本: 子どもの頃から映画が大好きだったんです。本も大好きでしたし、物語が好きでしたね。子どもの逃げ場所といったら映画か本しかなかった。物語ってある意味、神を探しに行く行為なんですね。キリストとかそういうのではなく、アーサー王が旅をしたように、自分だけの神を探しに行くような……。まぁ、アートって言われるものはみんなそういうところがあるんでしょうけど、映画って一番集約されているじゃないですか。だから映画に限らず、そういう世界に没頭するのが、すごく好きでしたね。
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 役者への道

二宮: 役者の前は、物書きを志望されていたそうですね。
森本: そうです。映画が本当に好きでしたけど、逆に、あまりに好きすぎて、僕みたいなのが役者を夢見ること自体が僭越だ、みたいな抜きがたいコンプレックスがありましたね。でも、映画の匂いがする場所にいたいな、と。小説も好きだったから、ストーリーなら作れるかもしれない、と。でも書く練習も何もしていなくて、憧れでしかなかったんですけど。

二宮: 役者としてのデビュー作は「高校生時代」ですか?
森本: 実は、その前にドラマに出ているんです。高校時代、大学進学を考えたときに、映画の匂いがする場所といったら、日大の芸術学部しか知らなかった。子どもの頃から本をたくさん読んでいたので、高校に入る前は本の知識だけで点が取れたんだけど、勉強するクセがついていないから、2年のときから成績がガタガタッと落ちてしまった。勉強しないまま日大を受けたらやっぱりダメでしたね。受験に失敗して浪人していた時に友達から「通行人のバイトがあるけど、やらない?」と。「スタジオ見学もできて、500円ももらえるぞ」と言われたら、やりますよね(笑)。

二宮: 当時の500円は大きいでしょう。
森本: コーヒーが80円くらいの時代ですから、幸せでしたね。現場に行ってみたら、やっぱりすごくワクワクするようなところだった。生意気なガキだったと思いますけど、名古屋の役者さんたちは苦労されているから、ちょっと面白いヤツを見つけると、遊んでくれるんです。ずいぶん叩かれもしましたけど、かわいがってもらいましたね。役者さんたちの本音の部分でお話をいろいろ聞くことができた。それである日突然、「セリフを言え」と役をもらったんです。

二宮: どんなドラマだったんですか?
森本: CBC中部日本放送の制作で、浅草の芸人さんがたくさん登場するドラマでした。僕は電器屋の小僧の役で、「すみませ〜ん。電気洗濯機を持ってきました。どこに置きましょう?」というセリフだけ。マドンナ役の女優さんに「裏にまわしておいて」と言われて、「はーい」と返事をしてドアを閉めれば終わり。それだけの役です。

二宮: いわゆる端役ですね。
森本: ええ。それだけの役なんだけど、やれと言われた瞬間に胃が痛み出して、はきそうになって……。「すみません、もう二度と役者なんてやろうと思いませんので、かんべんしてください。僕、勉強をしないといけないので」と。でも「とにかく代わりはいないんだから、やれ」と。もう一種の罰ゲームですよ。視聴率もない頃ですから、ディレクターさんも一緒になって遊んでいたんですね(笑)。

二宮: その役の出来栄えは?
森本: ドアを開けてからセリフを言って閉めるまで、10秒くらいだったと思いますけど、すごく長く感じましたね。脳味噌が真空パックのようになって……。みんなが笑っているんです。緊張して震えていたのと、名古屋弁がひどかったんだと思います。肝心の美人おかみが笑い転げてしゃがみ込んじゃったんですよ。で、ようやく立ち直って「裏に……」って言ってくれるまでの長くて寒くて恥ずかしいこと。「はーい」と震える声で言いながらドアを閉めたときに「役者は絶対無理だ」と思いました。でもその後も、NHKのディレクターに「男が足りないから来い」と言われて、小さい役をやりました。そうしたら大学に受かったので「役者は卒業させていただきます」と挨拶に行ったら、「じゃあ、最後に餞別で役をやるから、やっていけ」と言われて。セリフが9つある役でした。それを、歯を食いしばる思いでやって、東京に戻ったら、またNHKの人から呼び返された。今度は、「交通費を出す」と言われたので、それにつられて名古屋に帰って…。

二宮: ギャラも高くなっていたんですか?
森本: ギャラは、通行人のときに500円だったのが、その時は1200円になっていました。しかも名古屋までの交通費も出る、と。「1回だけなら」と思ってやりました(笑)。そうしたら、また通行人で使ってやる、と。結局、一夏に8本やって、4000円いただきました。少しずつ慣れてきたこともありますけど、その頃にはだんだん義理が出てきて、次の年にはレギュラーを入れられてしまった。レギュラーを1年やったら、大学の単位が足りなくなったので「もうかんべんしてください」と辞めたんです。贅沢な話ですよね。

二宮: 学生をやりながら、俳優をされていたんですね。
森本: そうです。大学2年の頃はほとんど名古屋にいましたね。で、やめてからは、コピーライターになろうと思って電通に勉強をしに行っていたんです。卒業するときに、電通のコピー局長から「行くところがないならうちに来るか?」と声をかけてもらって、入るつもりでいたんですが、突如「父、危篤」という電報が来て、名古屋に帰ることになったんです。あわよくば、名古屋の電通に入ろうという思いもありました。

二宮: お父さんの具合は?
森本: 僕が名古屋に帰ったら、良くなりました。それで、名古屋の電通に行って「コピーライターになりたいんですが、とってもらえませんか?」と言ったら、受付の人がコピーライターという言葉を知らなくて「うちではコクヨを使っているんですが」と。コピー用紙だと思ったんですね(笑)。

二宮: アハハハ。
森本: 嫌な予感がしたんだけど、「コピーライティングの方です」と説明して、担当者の人に会わせてもらった。そうしたら「名古屋の人口はせいぜい200万人。1000万人の東京とは違うんだ。コピーに払う金なんかない」と言われました。そこから30分くらい、コピーに金を払う、払わないで討論しましたね。僕は、「宣伝というのは幻想なんだから。200万人の幻想じゃダメだ。たとえ200万人でも、1000万人分の幻想をつくらなきゃダメなんだ。そのために、俺にコピー料を払え」と。厚かましいですよね(笑)。

二宮: でも説得力ありますよね。
森本: でしょう? そうしたら部署の上の人間が出てきて「じゃあ特別に1本800円払おう」と。でも、800円だったら、役者の方がギャラが良いじゃないですか(笑)。どうしようと困っていたら、街でNHKのディレクターにばったり会って「ちょうど今、『高校生時代』というドラマの不良高校生役を探しているから、やれよ」と言われたんです。それで、不良高校生の役でまたドラマの世界に入ったんです。もう大学を出ているのに(笑)。だから、それが役者という意識の始まりなんです。でも原点は「電器屋の小僧」ですよ(笑)。

 「演技」とは、生命の艶を「感じる」こと

二宮: ディレクターの方に会ったというのは運命だったのかもしれませんね。お父さんの後を継ごうという思いは?
森本: オヤジは、僕を板前にしたかったんです。でも向いていなかったんですね。包丁で魚をさばくときに、頭が取れても魚がピクピク動いているのを見て失神してしまったんです。血を見るのがダメなら揚げ物ならどうだ、と天ぷらも教えてくれました。その時の教え方は、今、僕にとって芝居の極意のようになっていますね。油を鍋に入れて火をかけて「よう見とけ」と。「油に熱が加わると、湯気が立ちよる。最初は白い湯気が立ちよる。白い湯気は湿っとる。その湯気が乾いてくると、紫の湯気になりよる。紫色のけむりが糸を引いて、立ち上りよるやろ。そうしたら、油が呼びよる。ほら、ここじゃ」と、油の中に具材を入れたんです。

二宮: ほう……。職人ですねぇ。
森本: 「ほら、呼びよる」という感覚。それを言った瞬間に、油に入れているんです。芝居でもナレーションでもそうですけど、その間合いに呼ばれた瞬間に、声が出せるかどうかなんですね。絵とか音楽とか、格闘技もそうかもしれません。

二宮: あらゆるものの極意なんでしょうね。
森本: そうですね。「呼吸」ですよね。思ったときには、動いている。あれはすごく、今に生きている。有難かったですね。いろんな人と芝居をやると、いろんな呼び方があるんです。「呼びよる」を自然に感じて、入って行ける感覚が好きなんです。「演技」は「艶戯」だって昔言っていたんですが、演じるとか仕草ではなく、生命の艶を「感じる」ことなんですね。

二宮: なるほど。スポーツの世界でも同じことが言えるかもしれませんね。正岡子規はボールゲームを「球技」ではなく「球戯」と書いたんです。それが、いつの間にか「技」になってしまった。
森本: ああ、やっぱりそうなんだ。芝居も、演じる「技」と書いた瞬間に、唯の技術化になってしまったんでしょうね。

二宮: レオさんは、やはり役者としての才能が備わっていたんですね。
森本: 無茶苦茶運が良かったんですよ。今思うと、ある人たちから「すごい努力家だった」と言われることがあるんです。コピーライターから役者になったから、芝居の基本は何も知らなかった。だから若いヤツを集めて「演技の基本って何?」って教えてもらったんです。そうすると、スタニスラフスキーとかブレヒトとか、いろんな名前が出てくるわけです。そういうのを全部調べていったら面白くなって……。端から見ると努力家に見えたんでしょうけど、本当に戯れていただけです。うぬぼれて言うなら、僕には学ぶことを楽しむ才能があったのかもしれません。っていうか、そんな場所に連れて来ていただいた幸せ、ですよね。

二宮: 「学ぶことを楽しむ」ですか。重い言葉ですね。
森本: スポーツ選手もみんなそうだと思います。苦しくても努力するのは、楽しさがあるからでしょうね。あるいは、学ぶことが苦しくても、楽しめるところまで頑張れば、扉が開くかもしれない。どうしてもその扉が開かなかったら、別の楽しみ方を見つければいい。ホイジンガは、人は「ホモ・ルーデンス」――つまり遊戯人間だと言っていますが、きっと人間は命がけで遊ぶ動物なんですね。

(続く)

森本レオ(もりもと・れお)
本名・森本治行。1943年2月13日、愛知県名古屋市生まれ。俳優、ナレーター、タレント。日本大学芸術学部卒。日大芸術学部放送学科卒。67年NHKドラマ「高校生時代」でデビュー。翌68年から4年半東海ラジオの深夜放送でDJを務める。73年「花心中」で映画デビュー。多くのドラマ、映画で活躍。CMやドラマ、ドキュメンタリーのナレーションも数多く務めている。

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