二宮: レオさんといえば高円寺在住の大先輩ですが、この街に住まわれてどのくらいになりますか?
森本: 29歳で東京に出てきて以来ですから、長いですね。65歳になりましたから、もう36年になりますね。
<提供:アサヒビール株式会社>二宮: 36年! それは長いですね。それにしても、レオさん、65歳にはとても見えませんね。世の中の65歳の中で一番若いと思いますよ。
森本: いや、そんなことないですよ。うまいなァ。いつからそんなお世辞がうまくなったの(笑)。
二宮: いえいえ、本心ですよ(笑)。歳をとらない秘訣は?
森本: いや、人間、普通に生きていればこんなものですよ。アメリカなんかに行くと、じいさんもみんな元気で若いじゃないですか。日本には年功序列制度があるでしょう。あれがいけないんです。「歳をとらないといけない」と潜在意識に思わせて、DNAまで侵している。だからみんな、必死に歳をとろうとしているんです(笑)。
二宮: ハハハ、なるほど。でもレオさんは体つきも若々しい。鍛えていらっしゃるんですか?
森本: 全然していませんよ。唯一、健康法といえばダイビングくらいですね。でももう腹は出ているし、ダイビングスーツがだんだんきつくなってきましたよ。
二宮: 昔から身体は丈夫だったんですか?
森本: それが、産まれたときは未熟児だったんです。おふくろが僕を産んだのが35歳、当時でいうと高齢出産ですよ。さらに虚弱体質で、体重が12貫目だったというから、40キロちょっとしかなかったんでしょうね。で、赤ん坊を産む体力がなくて、2日間うなっていたという。見かねた医者が「このままだと2人とも死んでしまう」と、鉄のツメみたいな機械で僕を引っ張り出したんですって。そうしたら息をしていなかった。それで、もうダメかもしれない、と重い雰囲気だったけど、看護婦さんが僕を逆さにしてバンバン叩いたんですって。それで2時間くらい叩き続けたら「フニャ〜」って、ネコみたいな声で泣いた、と。
二宮: 産まれたときに息をしていなかったとは……大変だったんですね。
森本: その時の医者が、僕が小学校2〜3年の頃に家に来ましてね。僕の本名は治行(はるゆき)というんですが、酒を飲みながら、「いやあ、ハルちゃんはよう生きとるなァ」と。僕は隣の部屋でコマを作って遊んでいたので、障子越しに全部聞こえてきたんです。「中学校まで上がれたら『望外の幸せ』と思わないといかんぜや」と言ったんですね。その時は、「ボウガイって何だ?」と意味まではわからなかった。でも、何となく、自分は中学校までが賞味期限なんだなと、それは分かったんです。
二宮: 自分の人生は中学までだ、と?
森本: そのときに刷りこまれてしまったんですね。おふくろは僕に聞こえているのが分かっているから、必死に話題をかえようとしていました。僕は「あ、ここにいちゃいけないんだ」と、そっと外に出て、でもどうしていいかわからなくて、なぜか家の前の電柱を登ったんです。子供だから必死になって登って、そうしたら途中ですごく怖くなって、下りたくても下りられない。どうしよう、としばらくしがみついていたら、ちょうど小学校の向こうに夕焼けが見えて「きれいだなァ」と……。そこまでしか覚えていないですね。
ずっと生きることにおびえていた二宮: レオさん、ご兄弟は?
森本: いません。僕を産むだけでおふくろは死ぬか生きるか、という感じでしたから、2人目なんて考えられなかったでしょうね。産んでからも乳が出ないし……。僕が生まれたのは戦時中でしたし、大変だったと思います。
二宮: お父さんは何をしていらっしゃる方だったんですか?
森本: 親父は板前で、働いていた料亭は、戦前まではけっこう大きかったんです。それが戦後、強制買い上げで、何十万円かもらえるという話だったのが、結局、一銭ももらえずに終わってしまった。それ以来、親父は自暴自棄になって……。ヤケになって家に火をつけようとしたり、酒も浴びるように飲んで……。怖かったですよ。
二宮: やはり時代背景も影響しているのでしょうね。お父さんのご出身は?
森本: 大阪の河内です。言葉がきつくて、河内弁で「おんどれ、黙っとけ、ボケェ!」という感じですよ。おふくろは四国・香川の出身だから、柔らかい語り口で、親父と対照的でしたね。四国の柔らかい響きと、親父の「黙っとけ、ボケェ!」という、その両方が当たり前のように僕の中に入っていたことは、後になってすごく有難かったですね。役者をやるときに、とてもラクなんです。普段はおふくろのボキャブラリーの中で甘えていますけど、芝居をやっていると親父が出てくる。自分が親父になっているような感じがしますね。
二宮: 育った環境が役者をやる際に生かされたわけですね。
森本: 子供のときに、ある種、常に精神的にギリギリの場所にいたので、それは役者としてとっても良かったと思います。
二宮: 未熟児だったとおっしゃっていましたが、その後はお元気になられたんですか?
森本: ずーっと、生きていることにおびえていた気がします。高校に入ったとき、「こんなに生きているのはおかしい」と。でも大学まで入れた。「ありえねぇ」と(笑)。早く死のうと思って、ビールや焼酎に唐辛子を入れて飲んだり、無茶をして倒れたこともありました。病院で「栄養失調だ。胃がビランしている。膵臓もダメだ」と言われたときは、何となくホッとしました。「これでようやく死ねるんだ」と……。
二宮: その後は?
森本: 治りましたね。おふくろの病気を治そうと思って、漢方薬の勉強をしていたんです。そこで良い先生に出会って、自分も試したら、すごく効いたんです。ここまで生きのびてきましたからね。運が良かったんでしょうね。
二宮: しかし、ずっと“死”の恐怖と戦ってきていたわけですね。
森本: 一度寝ると、そのままもう起きることはないかもしれない、という恐怖感はずっとありました。だから、無理やり毎日起きていましたね。オーディオに凝っていて、ジャズメンの何気なく弾いたベースの一つの音の響きに、ものすごく深い思いを感じるようになって……。
二宮: 昔から感受性が豊かだったんですね。
森本: 感受性は、危機感が磨くものですからね。
二宮: なるほど、それは名言ですね(笑)。
森本: そう思いますよ。幸せな人間は感受性に奥手ですよ。こんなこと言うと、石が飛んできそうですね(笑)。でも、感受性も過ぎれば、いじけとねたみの元ですからね。幸せな人って、感受性がついステレオタイプになるんですよ。どこかの本やテレビで見た幸せという光景と自分の姿が重なったら「わ〜、幸せ!」って。危機感の中で過ごした人って、何かを食べるときさえ、背中の気配におびえて食べなくてすむという、それだけですごく幸せなんです。
二宮: それはやはり、ご自身の経験から?
森本: 家にいたときは、親父の気配を背中に感じて、いつもビクビクしていましたね。それがないだけで、すごく幸せだった。医者には「中学まで生きたら『望外の幸せ』と思わないといかんぜよ」と言われるし……。だから、ごく当たり前のちょっとしたことが、本当に幸せに感じましたね。
(続く)
森本レオ(もりもと・れお)本名・森本治行。1943年2月13日、愛知県名古屋市生まれ。俳優、ナレーター、タレント。日本大学芸術学部卒。日大芸術学部放送学科卒。67年NHKドラマ「高校生時代」でデビュー。翌68年から4年半東海ラジオの深夜放送でDJを務める。73年「花心中」で映画デビュー。多くのドラマ、映画で活躍。CMやドラマ、ドキュメンタリーのナレーションも数多く務めている。
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