
マスクは甘いが、芯はしっかりしている。
東京ヤクルトのドラフト1位・石山泰稚だ。500名のファンを前にした入団発表では「まずケガをしないことが一番。その中でチームに貢献したい」と抱負を述べた。新聞の見出しになる大きな目標ではないが、堅実な話しぶりはプロでも一段ずつ階段を昇っていきそうな期待を抱かせる。
(写真:目標とするピッチャーには同じ秋田県出身の石川をあげた) プロ野球が日本にできて78年、これまで何千という選手が、その門をくぐってきた。成功する選手の共通項を挙げよ、というのは難問だが、少なくともケガの多い選手が大成しないことは確かだろう。1軍で活躍し、結果を残すには、何よりケガに強く、故障が少ないことが第一条件である。
石山は「体は細いけど、ケガをしない」ことが自らの長所だと明かす。これまで故障らしい故障は東北福祉大時代に右ひじの靭帯を軽く痛めた程度。ケガをしない体は、生まれ持った柔軟性に加え、社会人のヤマハで徹底的にトレーニングを積んだ賜物だ。プロに入っても、「ピッチャーは下半身が大事なので強化していきたい。上半身のインナーマッスルも鍛えたい」とさらなる体づくりに励むことを誓った。
「肩甲骨周りだけでなく、ヒジ、手首、指ともに稼働域が広い。体の軟らかさはピッチャーとして大切な要素。だからフィジカルさえ鍛えれば、もっと伸びる選手だと思いました。期待とともに、いいピッチャーに育てなくてはという責任を感じましたよ」
ヤマハの右島学監督は、そう石山の第一印象を語る。
柔軟性はピッチングにおいても、ひとつの武器だ。MAX146キロと球速は並でも、ゆったりとしたフォームから腕をしならせて投げ込むボールは、対戦した打者が「キレがあって、球速より速く感じる」と舌を巻く。スライダー、カーブ、フォークと変化球も多彩だから、相手はなかなか的を絞りづらい。
「基本は真っすぐでも押せるタイプ。でも、バッターが真っすぐに狙いを絞ってくれば、変化球をうまく使って打ち取ることができます」
今季、主にヤマハでバッテリーを組んだ川邉健司はそう話す。彼は明治大時代、広島で新人王に輝いた野村祐輔と同期だった。野村と石山ではタイプが異なるが、「走者を背負った場面でも、何とか粘って最少失点で切り抜けようとする意識の強さ」は共通しているという。
田中将大(東北楽天)、前田健太(広島)らと同じく、今をときめく88年世代。しかし、中学時代は内野の控えやブルペン捕手をやるなど、将来を嘱望されるような選手ではなかった。同じ東北地区には光星学院高の坂本勇人(巨人)がおり、対戦もしているが、プロの世界はまだ遠い彼方にあった。
プロが見えてきたのは、強豪の東北福祉大に入ってから。着実に成長を遂げ、3年になって頭角を現した。リーグ戦の通算成績はわずか2勝(0敗)も、防御率は0.64。いつしか右の本格派として複数の球団が視察に訪れる存在になっていた。
しかし、大学卒業時はプロから声がかからず、社会人へ。右島は石山を「1年目より2年目と、自分を見据えて課題に取り組み、心技体が揃って伸びていった」と評する。たとえば1年目の都市対抗野球。ヤマハ(浜松市)は2回戦でJR東日本(東京都)と激突した。十亀剣(埼玉西武)、川端崇義(オリックス)らドラフト指名選手を3名も抱えた強豪に、ヤマハは1点ビハインドながらも終盤まで接戦に持ち込んだ。
7回途中からマウンドを託された石山は、8回、味方のエラーもあり、2死二、三塁のピンチを招く。続くバッターを追い込み、アウトローの真っすぐで勝負をかけた。ところが……。ウイニングショットはシュート回転して甘く入る。相手はこれを逃さない。ライト前へ運ばれ、走者が相次いで生還。ダメ押しの2点が入り、勝負が決まった。石山にとっては、まさに1球に泣いた試合だった。
「あのゲームをきっかけに、石山はもっとストイックになりましたね」と右島は振り返る。
「コーチからも指摘されたのでしょうが、より細かいところまでレベルアップしようと努力しました。シュート回転しないように投げるには、どんなフォームが適しているのか。ステップの幅を改善したり、一段と野球に対する取り組みが素晴らしくなりました」
制球力がアップし、春のJABA静岡大会、京都大会では2試合連続完封。ドラフト1位でプロへの道を切り拓いた。
失敗と書いて成長と読む。失敗は成功の母である。まさに苗字のごとく、ひとつひとつ経験という名の“石”を積み重ね、プロ入りという“山”を築いた。この先歩む旅路では、キツい洗礼を浴びることもあるだろう。壁にぶち当たることもあるだろう。焦らず、弛まず、自らを高め、白星の山を築いてほしい。
(次回は1月7日に更新します)
(石田洋之)
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