今季、富山サンダーバーズは前後期ともに優勝争いをしたものの、いずれも北陸地区2位という結果に終わり、プレーオフに進出することができませんでした。大一番での試合で勝ち切ることができなかった課題や反省点はたくさんあります。しかし、その一方で自分で考える力を身に付け、引き出しが増えた選手は少なくありませんでした。来季につながる成長が見てとれ、指導者として手応えも感じています。
 高塩、成長への確かな手応え

 球団職員時代を含めると、6年間お世話になった新潟アルビレックスBCを離れ、新天地で迎えた今季、私にとっては新しい挑戦でもありました。これまで培ってきたピッチングコーチとしてのスキルが試されると考えていたからです。シーズンを終えた今、ピッチングコーチとしてやるべきことにおいては、「間違ってはいない」という手応えを感じています。その成果のひとつとしては、チーム防御率が挙げられます。昨季、リーグワーストの4.17だった防御率は、今季は新潟に次ぐリーグ2位の3.02でした。

 しかし、今シーズンはマウンド上での状況判断、例えば四球を出していい場面なのか、絶対に出してはいけない場面なのか、またはボールカウントの組み立て方など、ピッチャーとして最低限必要なことを浸透させるのに時間を要し、基礎的な部分で終わってしまったという感は否めません。なかでもシーズン中に達成させなければいけなかったのは、エースの確立とリリーバー不足の解消でした。

 今季、チームの勝ち頭として9勝を挙げたのが高塩将樹(藤沢翔陵高−神奈川大−横浜金港クラブ)です。彼はもともと真っ直ぐとスライダーにキレがあり、さらに昨季にはチェンジアップとフォークボールを習得。オフにそのフォークの精度を上げ、球速もアップし、先発としての活躍が期待されていました。その期待通り、1年間、ローテーションを守り続けたことは、よくやってくれたと思っています。

 メンタル面で弱い部分もあった高塩ですが、結果を出すことで自信をつけたことも大きかったのでしょう。後期ではエースの風格が見え始めていました。そんな彼の成長を最も感じたのは、9月18日の福井ミラクルエレファンツ戦でした。この時、首位・福井との差は4ゲーム差。この試合に勝つか負けるかでは、逆転優勝への可能性がまったく違いました。

 試合前、私は高塩に「ファーストストライクを怖がらずに取りにいけ。逆にセカンドストライクは丁寧に」という指示を出しました。実は私が試合前、高塩にこうしたピッチングに対して具体的な指示を出すことは初めてのことでした。彼は神経質なタイプで、登板する試合の前には入り込んで周りが見えなくなります。そんな彼に、試合前に何か指示をすれば、そのことばかりを気にして、ピッチングに影響が出てしまうと思っていたのです。

 しかし、シーズンも終盤、この1年間でどれだけ成長しているかを確認するうえでも、指示を出してみようと考えました。その根底には、出した指示を実施するだけのスキルも既に持ち合わせているという思いもありました。結果、高塩はほぼ完璧な内容で、8回4安打1失点という好投を見せてくれたのです。

 エースに必須の“攻め”と“開き直り”

 ところが、その次の登板となった9月23日の群馬ダイヤモンドペガサス戦で、高塩の弱さや経験不足が露呈してしまいました。その試合、高塩は2回裏に3失点を喫し、負け投手となりました。問題は黒星がついたという結果ではなく、その内容でした。伏線となったのは1回裏のピッチングでした。2死三塁の場面で、打席には本塁打王のカラバイヨでした。初回ということもあり、無理に勝負をする場面ではありませんでしたので、私は敬遠のサインを出しました。結局、カラバイヨの次の打者を内野ゴロに打ち取って、そのイニングはゼロに抑えたのです。

 しかし、カラバイヨへの敬遠が高塩の心理に変化を与えたのでしょう。2回裏、彼は守りに入ったピッチングをし始めたのです。まずは、1死一、二塁の場面で9番打者に四球を与えて満塁としてまいました。下位打者への四球は、明らかにピッチャーのミス。大事なゲームだからこそ、攻めのピッチングをして欲しかったのですが、そこで彼の弱気が出てしまいました。その弱気が影響したのでしょう。1死満塁で痛恨のワイルドピッチ。これで1点を先制されてしまいます。

 さらに1番打者に粘られ、フルカウントとなったところで、キャッチャー杉本昌都(水戸短期大附高−横浜−三重スリーアローズ)が出したサインはフォークボール。これは「四球になってもOK」という意味でのフォークでした。点差や状況にもよりますが、スコアリングポジションにランナーがいる場合、無理に勝負をしないというチームとしての決め事があったのです。ところが、高塩は四球を嫌がり、フォークをど真ん中に放ったのです。結果はセンター前へのタイムリー。さらに2番打者に犠牲フライを打たれて、3失点を喫しました。

 ようやく3アウト目を取ってベンチに帰るや否や、杉本は怒りを抑えきれない様子で、高塩に問いただしていましたが、その気持ちは十分に理解できました。四球を嫌がったのは、高塩が腹をくくり、開き直ってフォークを投げることができなかったからにほかなりません。ピッチャーは状況によって、攻めの姿勢を貫かなければいけない時と、逆に図太く開き直らなければいけない時があります。それを“ここ一番”の時に、マウンド上で気づくことができるかどうか。それができるピッチャーこそ勝てるのであり、エースとなることができるのです。高塩にはそれが、まだ足りなかったのです。

 もうひとつの反省は、リリーバーの不足を解消させることができなかったことです。開幕当初からリリーバーが1枚足りず、早急に育成しなければならないと考えていました。しかし、結果的にはもう1枚、カードを増やすことができませんでした。人材がいなかったわけではありません。右サイドスローの中村恵吾(宇部鴻城高−神奈川大)や、サウスポーの佐藤康平(弥富高−東海学園大−NAGOYA23)には期待を寄せていました。しかし、5月に秦裕二(智弁学園高−横浜)が加入したことで、私自身が安心してしまった部分があったのかもしれません。秦と大竹秀義(春日部共栄高−信濃グランセローズ)の2人で後ろを回すのは無理があると感じていながら、秦に頼り過ぎてしまった部分は否めません。こうした反省を来季にいかしていきたいと思っています。

 来季、6年ぶりの頂点へ

 さて、今シーズンを振り返って思うのは、チームとして穴が多かったということです。確かに前後期ともに優勝争いはしたものの、内容を詳細に分析すれば、自信をもって武器とするものが少なかったように思います。それは決して技術のみならず、メンタル面においても、そして人間性においても、チームとしての強みがもてなかった。これが大一番の勝負で勝ち切ることができなかった最大の要因だったのではないかと感じています。

 とはいえ、選手はそれぞれ着実に成長しています。特に私が感じたのは、キャッチャーの杉本でした。配球の組み立て方を習得したことによって、リード面で大きく成長してくれたのです。配球には主に投手、相手打者、状況それぞれを主体として考える3種類があります。あくまでも基本的な考えとしてですが、まずは先発投手に対して、序盤は投手主体でリードします。しかし、試合が進むにつれ、イニングや点差を考慮し、どこまで投手主体でいくのかを見極めなければなりません。例えば中盤以降、1点差勝負となれば、相手打者の反応を見ながらのリードに切り替えます。さらに終盤になれば、状況を読みながらリードしていかなければなりません。

 もともと杉本のリードは投手主体のものでした。ですから、投手陣は杉本に対して「投げやすさ」を感じており、バッテリーとしては非常にいい関係を築いていました。しかし、いつもそのリードでは、投手の調子が悪くなった時に、立て直すことができません。つまり、“悪いなら悪いなりに”というピッチングを引き出すことができないのです。しかし、今季の杉本は試合の展開や状況によって、リードを切り替える術を身に付けました。それが投手陣を支え、前後期ともに優勝争いができた要因のひとつとなったのです。来季も、さらなる成長を期待したいと思います。

 また、サンダーバーズの選手が野球への気持ちが予想以上に熱かったということも、コーチとして非常に嬉しい発見でした。日ごろ、選手によく言うのは、「失敗から何を学ぶのか」ということ。失敗した時こそ、成長のチャンスだということです。その点、サンダーバーズの選手は失敗をズルズルと引きずるような選手はほとんどいませんでした。例えば、自分のミスで負けてしまったりすると、その悔しさを次の試合で晴らそうと奮起する選手が多かったのです。そうした反骨精神もまた、選手の成長には欠かすことはできません。

 サンダーバーズは2010年以降、4年連続でプレーオフを逃しています。リーグ優勝においては08年に初優勝して以来、1度もありません。きっと富山のファンも歓喜の瞬間を、首を長くして待っていることでしょう。来季は今季見えた穴をしっかりと埋めて地区王者の座を掴み取り、チャンピオンシップでリーグ王者、そして日本一をかけた争いをファンの皆さんに見せたいと思います。

中山大(なかやま・たかし)>:富山サンダーバーズコーチ
1980年7月13日、新潟県生まれ。新潟江南高校、新潟大学出身。大学時代は1年時から左腕エースとして活躍。卒業後はバイタルネットに入社し、硬式野球部に所属した。リーグ初年度の2007年、新潟アルビレックスBCの球団職員となる。翌年、現役復帰し、同球団の貴重な左腕として活躍。1年目には先発の柱として9勝、リーグ4位の115奪三振をマークし、球団初となる前期優勝に大きく貢献した。09年限りで現役引退し、10年より投手コーチに。12年には球団初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。13年より富山サンダーバーズの投手コーチに就任した。
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