4年に1度のビッグイベント、サッカーW杯が13日に開幕する。開催地はサッカー王国・ブラジル。史上最多5度の優勝を誇るカナリア軍団は、今回も優勝候補の筆頭に挙げられている。1994年の米国大会で4度目のW杯制覇を果たしたブラジルは、その4年後のフランス大会でも決勝にコマを進め、ホスト国・フランスと激突した。連覇を目指した王国にフランスはいかに挑んだのか。当時の観戦記で振り返ろう。
<この原稿は2002年発行の『ワールドカップを読む』(KKベストセラーズ)に掲載されたものです>
<空は灰色(不安)だが、我々フランス人の心は、3つの色(希望)で満たされている>
決戦当日、わずか60万部の部数ながら、世界一の高級紙といわれる『ル・モンド』はそう書いた。
3つの色――すなわちトリコロールはリベルテ=自由(青)、エガリテ=平等(白)、フラテルニテ=博愛(赤)によって構成されている。それはフランス人をフランス人たらしめるレゾンデートル(存在理由)のようなものだと言っても過言ではない。
98年7月12日、パリ市北部にあるスタッド・ド・フランス(サンドニ)。15回を数えるワールドカップの歴史の中でも、開催国と前回優勝国が決勝で対戦するのは初めてのことだった。
<多くの分析者が、この「日曜日」を、まるで料理の味を確かめるようにして解剖していくだろう。そうした行為は、今や社会現象になりつつある。果たして「日曜日」は吉とでるか凶と出るか。生か死か。あるいは喜びの祭りとなるか怒りの暴動となるか。フランスのすべての希望と不安を乗せた「気球」は今日、出発する(中略)。「日曜日」はフランス人にとって真の冒険の日となるだろう。それは必ずしも優勝を意味するものではない。歴史上、たったひとつの「日曜日」にふさわしい、花火のような輝きを見せなくてはならないのだ>(『ル・モンド』)
とりわけ後段の部分に、フランス人のサッカーに対しる、少々スノップな響きのこもったこだわりを見ることができた。優勝は大切だが、「花火のような輝き」、すなわち20世紀最後のファイナルにふさわしい内容を示さなければならないとしているのである。
ワールドカップは1930年、フランス人のジュール・リメ(第3代FIFA会長)の発案によって創設され、第1回のウルグアイ大会からフランスも参加した。しかし、フォンテーヌを擁した66年も、プラティニが君臨した82年もセミ・ファイナル止まり。まるでシャンパンのコルクを次々と弾ませるような華麗で攻撃的なサッカーを披露しながらも、最後の壁を越えることができず無冠に甘んじ続けてきた。
しかし、それはフランス人にとって屈辱を意味するものではなかった。覇権への遠い道のりは逆に華麗で攻撃的なサッカーに対する誇りを助長した。フランス人にとってサッカーは「勝負」である前に、彼らの思想や志向が色濃く刷り込まれた「文化」であると言わなければならないのである。
一方のブラジルは、セミ・ファイナルでPK戦の末、かろうじてオランダを退けたものの、6試合9失点という数字が示すように、守りに安定感を欠いていた。大会ナンバーワンのアタッカーであるロナウドも時折、驚くべき能力を示したものの、周囲とのコンビネーションに齟齬をきたし、その問題はいよいよ深刻の度合いを深めていた。もうひとりのストライカー、ベベットにいたっては、4年前に比べスピードもテクニックも衰え、なぜセレソン(代表チーム)の一員でいるのかさえわからなかった。
前日、ロナウドは弱気そうに語っていた。
「フランスとの試合は、そう簡単にはいかないだろう。“プレーヤーはどのゲームにも全力を出すべき”という意見があるが、ここにきてさすがにスタミナも尽きてきた。でも、決勝なのだから泣き言をいっても始まらない。残っているパワー、スタミナをすべて振り絞るしかない」
試合前、“事件”が起きた。ブラジルが最初に提出したスターティングメンバーのリストからロナウドの名前が消えていたのだ。代役はエジムンド。傷めていた右足首が相当深刻な状態であることを窺わせた。結局、土壇場で新しいメンバー表にはロナウドの名前が書き加えられたが、もはや21歳のストライカーが“半病人”同然であることは誰の目にも明らかだった。
衝撃的な事実が明らかになったのは試合後だった。実は試合開始7時間前、ロナウドは全身けいれんに見舞われ、口から泡を出し、意識不明の状態に陥っていたというのである。
「思い出すだけで鳥肌が立つ」
チームメイトのリバウドは語った。
「試合中、ずっとあの光景が頭から離れなかった。皆、同じだと思う」
(中編につづく)
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