2年後のリオデジャネイロ五輪へ再スタートの金メダルだ。8月にロシアで行われた柔道の世界選手権、男子73キロ級は2大会ぶりに中矢力が制した。2011年に初出場で世界選手権を制し、翌年のロンドン五輪に臨んだものの、結果は惜しくも銀メダル。昨年の世界選手権では準々決勝で敗れ、病院送りにさせられる屈辱を味わった。今大会、中矢は再び“世界一”に輝き、復活をアピールした。五輪の借りは五輪でしか返せない。中矢が初めて“世界一”となった際の秘話を、2年前の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2012年1月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 初の「世界一」を狙う中矢力にとって最大の山場は準決勝だった。相手は昨年の世界チャンピオン秋本啓之。これまでの対戦成績は2戦2敗。倒したくても倒せない相手、それが秋本だった。
 2011年8月24日、柔道世界選手権パリ大会男子73キロ級準決勝は日本人対決となった。
 明暗を分けたのは2分45秒、秋本が仕掛けた背負い投げ。これを読んでいた中矢は大外刈りで切り返し、「技あり」を奪った。一瞬の返し技だった。

「ここしかないというタイミングで大外刈りが入りました。研究の成果が出たと思います」
 そう前置きして中矢は会心の場面を振り返った。
「秋本さんは僕が技を掛けたら、すぐに担ごうとする。担いて(投げようと)回転し始めた時、相手の軸足にこちらが重心を乗せると回れないじゃないですか。ビデオを観ながら、ずっとそのタイミングを研究してきました」
――どのように重心を乗せたんですか?
「上半身でコントロールし、回らせないようにするんです。回り始めたら、もう手遅れ。これは本当に一瞬のタイミングです」

 準決勝で秋本を下した中矢は決勝でオランダのデックス・エルモント相手に序盤から攻めまくり、「指導2」を与えて初優勝を飾った。ロンドンが近付いた瞬間だった。
「今回はいつもとは違う国際大会だったので、“絶対に負けない”という気持ちを持って畳に上がりました。これまでは諦めるというか、弱気になる場面があって、メンタルから負けてしまった。今回もヤバイと思うような場面は何度かありましたが、“絶対に諦めない”という気持ちは最後まで失いませんでした。だからこそ4回戦、準々決勝とゴールデンスコアになっても勝てたんだと思います。決勝でも、まだ(4回戦で痛めた)右足首の痛みが残っていてテーピングを巻いて臨みました。それでも“前へ前へ”という思いで攻めた。それが優勝につながったんでしょう」

 中矢の言葉にもあるように、実は4回戦のサインジャルガル・ニャムオチル(モンゴル)戦で右足首を負傷した。ニャムオチルはモンゴル相撲経験者。「世界一」になるには異質な柔道にも組み勝たなければならない。苦しみながらも延長戦の末に勝ち抜いた自信が快進撃を支えた。初の「世界一」は間違いなく中矢を一回り大きくさせた。

 シドニー五輪男子100キロ級金メダリストで東海大男子柔道部副監督、全日本コーチの井上康生は中矢の成長の背景に「お母さんの存在があるのでは……」と読む。

「昨年10月、ロッテルダムでのグランプリには私も同行しました。3回戦でアクシデントがあり、ケガの痛みもあって負けてしまった。私には“心の弱さ”のようなものが見えました。それが昨年11月の講道館杯で初優勝あたりから見えなくなってきた。“何があったんだ?”と聞くと”母からの言葉がポイントになりました“と。ロッテルダムの大会の後、リキがお母さんに“もうダメかもしれない”と電話すると“お母さんには来年、リキが輝いている姿が見える”と言われたそうです。単純かもしれませんが、柔道家はちょっとした言葉で変わったりすることがよくある。実際、昨年末からグランドスラム東京大会、同パリ大会、同リオ大会に優勝するなど、ずっといいかたちできています。今年2月に行なわれたハンガリーでのワールドカップは反則負けになりましたが、あれはミスジャッジが原因です。今回の世界選手権でも足首をねんざするなど、本人によれば3回ぐらい心が折れそうな時があったそうです。それでも諦めずに、ひとつひとつ課題を乗り越えて金メダルを獲得した。そこに彼の大きな成長を見ますね」

 力と書いてリキと読む。父親が大のプロレスファンで、人気レスラーの長州力にならったのが命名の由来だ。兄もプロレスフリークで子供の頃は2人でプロレスの技を試したり、掛け合ったりしたという。
「僕も長州力が大好きで、よくサソリ固めとかも掛けました。さすがに柔道では使えませんけど……」

 松山市の生まれ。幼稚園の頃に三津浜柔道会で柔道を始め、小学3年の時に伊予柔道会に入門した。
 同柔道会の先輩に世界選手権女子48キロ級金メダリストの浅見八瑠奈がいた。
「めちゃくちゃ力があって強かったですよ」
 浅見は小学生時代の中矢について、そんな印象を持っている。

 ただ当時の中矢はガリガリで食も細かった。増量を始めたのは中学3年生になってから。朝から2.5合のごはんを食べた。夕食後も夜食を平らげた。食べすぎたのかじんましんが出たこともあった。
「1年間で18キロも体重を増やしたんです。自分でもびっくりでした」

 地元の強豪・新田高を経て東海大に入学。監督の上水研一朗の指導方針はこうだった。
「あのたくましさと素質があるのだから、世界に通用する選手にしたいと思っていました。だから、まずはしっかりと組むこと。そして、どんな技でも仕掛けられ、相手に的をしぼらせないようにすること。その点を徹底させました」
 得意は寝技。背筋が強く、押さえ込むと、まず逃げられることはなかった。しかし、寝技に固執するあまり、攻め方がワンパターンになってしまうことがあった。

 振り返って、井上康生は語る。
「大学に入ってきた頃は、基本的に寝技だけの選手でした。早く寝転びたい。畳にへばりつきたいという思いが強いのか、ともすると見た目の悪い柔道になっていた。それを少しずつ修正していったことで今のリキがある。今なら臨機応変に相手を攻めることができます。技を切られたら、こうしよう。あるいは、切られる前にこう仕掛けようと変幻自在に戦い方を変えられる。彼は考え方が柔軟なんです。普通、ひとつのことを教えて“これをやれ!”と命じたら、そればかりやる選手が多いんですが、彼は“次はこうやりましょう”といろいろなアイデアが出てくる。この創造力はスゴイな、と思って見ています」

 ロサンゼルス五輪男子無差別級金メダリストの山下泰裕は現在、東海大体育学部長の要職にある。時折、道場にやってきては後輩たちに指示を出す。
「山下先生からは“足を使え!”と言われています。“足が使えるようになれば、もっと自分の得意技が効くようになる”と。だから、最近は以前にも増して足の動きを意識した練習をやっています」

 ロンドン五輪まであと7カ月。卒業後は柔道選手が数多く所属する警備会社への就職が決まっている。最近は就職に備え、自動車教習所に通う日々。
「まだ教習所のドライブコースの中を走るだけですが、車の運転っておもしろいですね。いい気分転換になりそうです」

 22歳はそう言って、屈託なく笑った。
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