東京ヤクルト時代は果たせなかったリーグ優勝を達成した。
 海の向こう、メジャーリーグでは青木宣親の所属するカンザスシティ・ロイヤルズがワイルドカードから勝ち上がり、アメリカンリーグを29年ぶりに制覇した。日本時間22日からスタートするワールドシリーズではナ・リーグ覇者のサンフランシスコ・ジャイアンツと対戦する。
 青木はポストシーズン、27打数7安打、打率.259と決して数字は目立たないが、全試合で2番打者を務め、いいつなぎ役になっている。リーグ優勝を決めたボルチモア・オリオールズとのアメリカンリーグチャンピオンシップ第4戦では、1打席目に死球を受けて出塁。その後、二塁に進み、4番エリック・ホズマーの一塁ゴロで本塁への送球をキャッチャーが弾く間に一気に生還した。これが結果的に決勝点となり、ロイヤルズが2−1で接戦を制した。

 日本球界初のシーズン200安打2度の実績を引っさげて、ポスティングシステムを利用してメジャーリーグに移籍して3年目。日本時代のように常に3割以上のハイアベレージを残しているわけではないが、毎年、2割8分台とコンスタントにヒットを放っている。

 この青木が、ヤクルトでブレイクし、メジャーリーガーになるまでの選手になる上では、欠かせない人物が3人いる。1人目はプロ入り時の監督だった若松勉だ。青木にとってプロ2年目となる2005年、この年は外野のレギュラーだった稲葉篤紀がFA宣言をして北海道日本ハムに移籍し、ポジションがひとつ空いた。

「必ずチームに貢献します!」
 その年の元旦、年賀状にそうしたためて、若松に送ったのが青木だった。
「稲葉さんもいなくなって、当時はセンターも固定されていなかったので、ポジションは2つ空いている。僕はファームで首位打者もとって、足の早い選手はオレしかいない。盗塁できるし、打てるんだから、“オレを使え”と(笑)。あの時は、そんな気持ちだったんです」
 
 年賀状を使っての“直訴”は若松の心に届いた。
「1年目はインサイドがまだ引っ張りきれなくて、秋のキャンプで振り込んで振り込ませたんです。“これなら、使えるな”と思っていました。それで開幕から出したんだけども。最初のうちは全然打てないんですよね。でも、我慢して使い続けました。すると、徐々に自分の力を発揮し出したんです」
 この年、青木は1番打者に定着し、イチローに次ぐ史上2人目のシーズン200安打を達成した。

 その開幕から打てない時期に貴重なアドバイスを送ったのが先輩の古田敦也だ。それは横浜スタジアムでの横浜戦での出来事だった。悩める青木に「お前、なんで打てないか分かるか?」と声をかけた。
「もっとバットをフラットに振ってみろ」
 当時の青木は、足を生かした内野安打も狙おうと、ボールを上から叩きつけてゴロを転がそうという意識が強かった。しかし、それではボールとバットの接する部分が“点”でしかなくなる。ボールの軌道と並行にバットスイングし、“面”でとらえれば、当たる確率は高まる。古田はそれを指摘したのだ。
 
「昔から、その打ち方はやろうと思ってもできなかったんです。でも、どっちにしろ打てないんだったら、もう変えなきゃダメだと思いました。それで試してみたら、その時はできたんですよ。それからヒットも出るようになりました」
 先輩の助言が、青木に打撃開眼のきっかけをつくったのである。

 そして、青木のバッティングをマンツーマンで磨きあげたのが、打撃コーチの杉村繁である。全体練習前に青木にトスをあげ、ティーバッティングでスイングを固めていった。今季も山田哲人らと実施し、飛躍の礎となった早出練習である。杉村は以前、青木をこう評していた。
「一流打者って共通点があるんですよ。1つは選球眼がいい。2つ目が負けず嫌い。3つ目が頭がいい。4つ目が非常に練習をする。あと最後は気分転換がうまい。青木は全て備えていたね」

 ヤクルトからメジャー移籍し、ワールドシリーズまで勝ち進んだ例としては、タンパベイ・レイズ時代の岩村明憲を思い出す。レイズは万年Bクラスの弱小球団で、AKI IWAMURAはチームを変えた象徴となった。ロイヤルズも29年ぶりにプレーオフに進んだチームだ。NORI AOKIも躍進の立役者として注目を集め始めた。

 レイズはワールドチャンピオンを勝ちとれなかったが、果たしてロイヤルズはどうか。小柄な青木が大舞台でキラリと輝くことを期待したい。

(次回は11月3日に更新します)

(石田洋之) 
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