アイランドリーグ選抜を率いた北米遠征はあっという間でした。6カ所を移動しながら、現地の独立リーグCan-Amリーグと16日間で16試合。最初に渡った米国ニュージャージーが蒸し暑かったこともあり、選手たちは途中ヘバっていた時期もありましたが、いい経験が積めたのではないでしょうか。
結果は6勝10敗の負け越しでした。ただ、マウンドやボールの違い、アンパイアの不利な判定といったアウェーの要素を考慮すれば、まずまずの成績と総括できるでしょう。Can-Amリーグのピッチャーは総じてクイックモーションが苦手で足を絡めた攻撃は十分、通用しました。
一方で、野手のレベルが高く、バントやエンドランなど細かい野球ができる点は予想以上でした。甘い球は簡単に外野の頭上を越すパワーを持っている上に、小技もできる。彼らを日本人が上回るには、より精度の高い野球をしなくてはなりません。これを選手が体感したことは、今後の大きな財産になるでしょう。
実際、16日間で選手たちには明らかな成長がみられました。たとえば、バッターのスイング。相手ピッチャーの重くて微妙に動くストレートは、小手先では打ち返せません。下半身主導で振り切る必要性を実感したのでしょう。試合を重ねるうちに、土台がしっかりして力強いスイングができるようになってきました。
また球場の雰囲気も、四国にはないものでした。イニング間にはグラウンドでいろいろなアトラクションが実施され、スタンドでもグッズや食べ物を配ったり、お客さんを楽しませていました。印象深かったのは、子どもたちがたくさん来ていたこと。子どもたちにとっては、きっと野球よりも、イベント目当てなのでしょうが、観客を飽きさせない工夫は、アイランドリーグも取り入れられるはずです。
この北米遠征を通じ、選手のレベルアップはもちろん、試合運営やお客さんの盛り上げ方などで各チームが切磋琢磨できれば、今回の試みは大成功と言えるでしょう。
前期の徳島は4期連続の優勝を逃し、12勝15敗7分の3位に終わりました。引き分けの多さが物語るように、勝ちきれない試合が多く、優勝した香川の独走を許してしまいました。
後期はピッチャーでは
福永春吾、
エドワード・ウィリアム・ブランセマ、
吉田嵩の3枚に続く存在が求められます。福永、ブランセマ、吉田は北米遠征に参加し、それぞれつかんだものもあるでしょう。特に福永は四国では武器だった速球が簡単にはじき返され、力勝負だけでは上のレベルは抑えきれないことを肌で感じたはずです。ピッチングを磨く上では、貴重な体験ができたように思います。
後期のカギを握るのは左腕の
宍戸勇希です。彼は今季の軸として期待されながら、開幕から調子が上がらず、前期は7試合で防御率13.50の成績に終わってしまいました。後期に向け、このところのオープン戦では先発を任せています。彼が先発で一本立ちできれば、ブランセマや吉田を勝負どころのリリーフに回すなど、投手起用も柔軟にできるようになります。
打線では前期、不調だった
松嶋亮太、
鷲谷綾平、
増田大輝は北米遠征を経て、バットが振れるようになってきました。ここに新人の
寺田奨、
橋本球史、外野でコンスタントに試合に出た
三ヶ島圭祐らが絡んでくると、攻撃力はアップします。
キーマンは上位を打つ増田でしょう。彼は打力と機動力を持ち併せ、なんでもできるタイプです。チャンスメイクはもちろん、ポイントゲッターとしての役割も望めます。ただ、前期はわずか打率.174。彼が本来の力を発揮できなかったことが打線のつながりの悪さにつながってしまいました。
チーム状態は開幕時と比べれば、だいぶ上がってきましたから、本音は早く後期がスタートしてほしいところです。前期は香川が頭一つ抜けましたが、4球団の実力は大差ないとみています。後期へ補強するチームもある中、徳島は現有戦力で臨む予定です。その分、チーム力を高め、3年連続の後期優勝へ、1試合1試合を大事に戦っていきます。

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中島輝士(なかしま・てるし)プロフィール>:徳島インディゴソックス監督
1962年7月27日、佐賀県出身。柳川高時代はエースとして3年春の甲子園に出場。プリンスホテルに進んで野手に転向する。87年のソウル五輪予選で日本代表に選ばれて活躍。本大会でも好成績を残し、チームの銀メダル獲得に貢献する。89年に日本ハムにドラフト1位で入団。1年目に史上2人目となるルーキーの開幕戦サヨナラ本塁打を放つ。92年はオールスターに出場し、打率.290、13本塁打をマークした。96年に近鉄に移籍後、98年限りで引退。その後は近鉄や日本ハムで打撃コーチ、スカウトを歴任。11年には台湾の統一セブンイレブンでコーチとなり、12年途中からは監督に昇格する。14年は徳島のコーチを務め、15年から監督に就任。
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