障害者スポーツの中でもひと際高い人気を誇る競技が車椅子バスケットボールだ。その“顔”とも言うべき大きな存在の選手がいる。元Jリーガーの京谷和幸選手だ。ユース代表、バルセロナ五輪代表候補などサッカー選手として将来を嘱望されていた京谷選手。しかし、Jリーグが開幕した1993年秋、車の事故で胸椎と腰椎を損傷し、車椅子生活を余儀なくされた。しかし、周囲から勧められて始めた車椅子バスケットボールでシドニー、アテネ、北京と3大会連続でパラリンピックに出場。そして38歳となった現在も日本代表の主力として活躍している。大きな試練を乗り越え、国内トップにまでのぼり詰めた京谷選手に二宮清純が独占インタビュー。今回はその一部を紹介したい。
(写真:7月には世界選手権を控えている京谷選手)
二宮: 京谷和幸さんといえば、今や国内では車椅子バスケットボール界の顔と言っても過言ではありません。2008年の北京パラリンピックでは日本選手団の主将を務めました。
京谷: ありがとうございます。今はすっかりベテランになってしまって、フィクサー的存在です(笑)。

二宮: チームのまとめ役としての役割も大きいのでは?
京谷: そうですね。若い選手にとってはヘッドコーチに直接聞きづらいこともあるので、僕がパイプ役になることもありますね。

二宮: 京谷さんが事故に遭ったのは22歳の時。ちょうどJリーグが開幕した年でした。選手としては、まさにこれからという時期だっただけに、車椅子生活になることを知ったときは相当なショックを受けたのでは?
京谷: そうですね。実は主治医から宣告される前に妻の日記を見てしまったんです。そしたら「脊髄神経がダメになって、車椅子の生活」というようなことが書いてありました。でも、信じられなくて受け入れることができませんでした。だからとりあえず見なかったことにしようと。正式に宣告されるまでは、葛藤の日々でした。

二宮: 宣告される前に、既にショックを受けてしまっていたと。
京谷: はい、そうなんです。だから宣告される日の朝は、すぐに「あ、来る時が来たな」とわかりました。雰囲気がいつもとはまるで違いましたし、主治医のほかに、院長先生もいたりして......。「これから車椅子生活になります」と言われて、「はい、わかりました」と答えただけでした。

二宮: どれくらい入院したのですか?
京谷: リハビリも入れると約7カ月です。その間に車の運転の訓練もしてもらいました。手動装置を使って手で運転するんです。でも、最初は怖かったですね。事故がトラウマになっていて、車に乗ること自体が嫌でした。車椅子バスケットボールの見学に誘われたときも、運転が嫌で行きたくなかったんです。そんな僕の重い腰を上げてくれたのが、妻でした。「私が運転してあげるから一緒に行こう」と言ってくれたんです。

二宮: その奥さんとは入院中に入籍したそうですね。
京谷: 事故後、11日目に籍を入れました。彼女とは婚約をしていて、実は事故の日は結婚式の衣装合わせの日だったんです。でも、事故で入院してしまったので延期かなと思っていたら、彼女から「入籍しよう」と言ってきたんです。当時、僕は車椅子の生活になるなんて想像もしていなかったので、「なんで、今なんだ?」と不思議に思っていました。でも、彼女はもうその時には既に全てをわかっていたんでしょうね。

二宮: しっかりしている方ですね。
京谷: そうですね。後から聞いたのですが、僕の両親は「結婚の話は白紙に......」と妻の両親に言ったそうです。でも、妻は頑として首を縦に振らなかったそうです。


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