
今年9月、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定した。当初、最も優勢と報じられていたマドリード(スペイン)が1回目の投票で落選。イスタンブール(トルコ)との決選投票で60対36と圧勝した東京が、開催都市となったのだ。現地では、投票の直前まで票が動いていたという。果たして、ブエノスアイレス(アルゼンチン)で何が起きていたのか。東京大会開催の実現に尽力してきた鈴木寛氏に裏舞台を訊いた。
伊藤: 2020年東京オリンピック・パラリンピックが決定しました。鈴木先生は16年大会から7年半、ずっと招致に携わってきたわけですが、今、どんな思いでしょうか?
鈴木: いやぁ、とても嬉しいですね。と同時に、ホッとしました。もし、今回落選したら、僕が元気なうちに東京でオリンピック・パラリンピックを開催するというのは、もう無理だなと思っていましたからね。
伊藤: それほどの気持ちでブエノスアイレスに乗り込んだと?
鈴木: はい。僕だけでなく、全員が相当な覚悟でブエノスアイレスに行ったんです。それこそ日本スポーツ界をはじめ、この国の歴史の大きな岐路だったわけですからね。ですから、決まった時は本当にホッとしました。
二宮: 鈴木さんは16年大会で落選した時も現地にいました。その時の悔しさを知っているからこそ、今回の招致成功は感慨深いものがあったでしょうね。
鈴木: そうなんです。4年前のコペンハーゲンでは、帰りの飛行機で大の大人が男泣きしていた。その時の挑戦と反省、そしてこの4年間の積み重ねがあったからこそ、今回の成功があったと思っています。
生かされたサッカー界の人脈 伊藤: 今回の招致活動では、地球10周分はしたのではないかというくらい、ロビー活動に奔走したそうですね。「日本人はロビー活動が下手だ」と言われていますが、そこをしっかりとできたことが勝因につながったと。
鈴木: はい、まさにその通りだと思います。
二宮: 今回は02年W杯を招致したサッカー関係者が幅広い人脈をいかし、ロビー活動で力を発揮しましたよね。
鈴木: サッカーは世界で最も競技人口が多く、IOC委員の中にもFIFA(国際サッカー連盟)会長のゼップ・ブラッター氏など、サッカー関係者が5名いるんです。また、IOC委員の多くが欧州ですから、サッカー界の人脈というのは非常に大きな影響力をもちます。ですから、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会副会長の川淵三郎氏をはじめ、日本サッカー界関係者の尽力も大きかったことは間違いありません。
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