二宮: 今回はあらためてデビューからの25年を振り返っていきたいと思います。プロレスラーになろうと思ったきっかけは?
蝶野: 正直、プロレスもボクシングも相撲も含めて格闘技はあまり好きではなかったんです。小さい頃からサッカーが大好きでした。今でも夢はサッカー選手。妻が本場のドイツ生まれですから、3歳の長男の背中を見ながら、「こいつがサッカーやってくれたら、ブレーメンあたりに留学させたいなぁ。30メートルくらいのミドルシュートを常に打てるような大きな選手になって、ブンデスリーガの試合に出ているところを観に行きたい」と夢見ているんです(笑)。


二宮: ところがサッカー少年は、なぜかプロレスの道に進んでしまった……。
蝶野: 高校入学にあたって、ある私立のサッカー強豪校を受験したのですが、筆記で落ちてしまったんです。確か古文が8点くらいしか取れなかった(苦笑)。そこで公立校に入ってサッカーをしました。卒業後、1年くらいフラフラしていたんですけど、たまたま金曜の夜に見たプロレス中継で運命が変わったんです。
 当時は藤波辰巳(辰爾)さんと長州力さんの抗争で盛り上がっていた。それまでのプロレスにはジャイアント馬場さんとフリッツ・フォン・エリックが戦うような、怖い怪獣映画のイメージがあったんです。でも2人の戦いはものすごくカッコよかった。それから毎週欠かさず中継を見るようになって、実際にやってみたいという気持ちがわいてきました。サッカー選手にはなれませんでしたが、漠然と「スポーツで飯が食えれば」という夢は持っていましたから、見よう見まねでトレーニングをして入門したというわけです。

 1日にスクワット3000回!

二宮: 武藤敬司さん、橋本真也さんは同期入門ですよね。
蝶野: 同じ日の入門です。みんな最初は坊主にさせられたので、“なんかダサいヤツばっか集まっているな”という印象でしたよ(笑)。

二宮: 新日本プロレスのトレーニングはハードなことで有名です。
蝶野: 入門して1カ月は厳しかったですね。当時は選手数が多くて合宿所が定員オーバーだったので、しごいて辞めさせたかったみたいです。道場もいっぱいいっぱいで、外で練習させられましたよ。スクワットにしても、普通なら300〜500回のところをオレたちは1000回。最初はフォームが違うとか、先輩たちにさんざん言われてやり直しをさせられました。ただ、その年の9月に長州さんたちが大量離脱して、思いのほか早くデビューの機会がめぐってきたんです。

二宮: それだけ下半身を鍛えたら、年をとっても衰えないでしょう?
蝶野: どうなんですかね(笑)。同じことを繰り返しても、あまり意味がないような気がします。だったら、いろんなバリエーションで筋肉を鍛えたほうが身になると思いますよ。オレたちの時は半分、罰ですから。2度ほど、先輩に3000回のスクワットをやらされた覚えがあります。なんだか途中で飽きちゃいました。

二宮: 飽きる飽きない以前によくできますね。
蝶野: やろうと思えばできるんですよ。他にすることがないので、フローリングの床の目を50回やることに、1つずつ数えていました。そうでもしないと続けられない。 

二宮: 3000回だと、かなりの時間がかかるでしょう?
蝶野: 1000回で30分くらいですから、その3倍で1時間30分程度。でも他の新弟子の中には7000回くらいやったヤツもいるんですよ。さすがに足がパンパンに張って動けなくなっていました。

二宮: 練習の後は汗で水たまりができるというウワサを聞いたことがありますよ。
蝶野: それは本当です。夏場だったらすぐ水たまりになりますよ。最初は大変ですけど、慣れてくれば自分の限界がわかってくる。そのレベルまでは普通にこなせるようになるんです。

二宮: 新日といえばアントニオ猪木さん。実際に間近で接しての印象は?
蝶野: 近くにいるのに、もう届かない距離にいる人でした。入門前までは「猪木さん目指して」と考えていましたが、門をまたいだ瞬間、1年先輩の獣神サンダー・ライガーさんとか、佐野直喜(巧真)さんとか強いレスラーがいっぱいいる。とてもじゃないけど、追いつけないなと思いました。

 レスラーならではのお酒の楽しみ方

二宮: レスラーはお酒の飲み方も豪快です。いろいろ武勇伝もあるのでは?
蝶野: たくさんありますよ(笑)。入門してすぐの頃、後藤達俊さんが夜、先輩がいなくなったのを見計らってワインを持ってきて結構飲んでいましたね。大先輩のドン荒川さんに飲みに連れて行ってもらった時も色々なお酒を夜遅くまで飲んでいました。お酒の付き合いもレスラーの役割とみなされていましたから、いくら遅くまで楽しんでも怒られませんでした。ただ、翌朝、若い衆は早起きして道場の掃除をしなくてはいけない。当然、練習もあります。それは大変でしたね。

二宮: デビュー後、しばらくは海外遠征が続きました。
蝶野: オーストリア、ドイツから始まって、アメリカのカンザス、一度戻って、今度はカナダに渡り、アメリカのアラバマ、最後は再びドイツに行きました。だいたい各地を半年から1年のスパンで回りましたね。

二宮: ドイツのプロレスというと、あまりイメージがわかないのですが、どんな雰囲気ですか?
蝶野: オレが試合をした時は、カーニバルレスリングの延長みたいな感じでした。ビアフェスタなどのお祭りの出し物として、サーカスなどと同様に各地を転々とする娯楽になっているんです。広場にテントを張って、夜にみんながビールを飲みながら試合を楽しむ。日本やアメリカのプロレスに比べるとアダルトな雰囲気です。といってもあくまでも移動遊園地みたいなものですから、レスラーの社会的地位も高くない。

二宮: 海外だと東洋人のレスラーはヒール扱いされて嫌われる。日本に戻ったほうがやりやすい部分もあったでしょう?
蝶野: 個人的には外国の誰も自分を知らないところで、自分の体ひとつでアピールするほうがおもしろかったですね。日本だとそこそこ知名度があって、リングに上がるだけで応援してくれる。でも海外だとそうはいかない。お客さんに予備知識がない中、どうやって沸かせるか、何を伝えるか。そういうことを考えながら試合に臨んでいました。

二宮: 観客のハートをつかむ上で工夫した点は?
蝶野: 基本的なスタイルは日本にいた時と変わりません。でも、攻撃する時や、逆にやられている時の表情や動きには気をつけましたね。やっぱりレスラーは360度から見られていますから、背中からも何かを発していないといけない。そういうレスラーにとって大切な部分を海外で磨けたかなという思いはあります。

 ルー・テーズ直伝の裏技

二宮: アメリカでは一時期、ルー・テーズ道場にも通われましたね。
蝶野: 基本的にはチェーン・レスリングを練習していたんですけど、自分や対戦相手だけでなく、お客さんや興業全体をみて試合をすることを教えられましたね。そこで習ったSTF(うつぶせになった相手の片足を両足で挟んで固定し、覆いかぶさってフェイスロックの要領で締め上げる)はテーズさん直伝の裏技。昔のビデオを見ると、確かに使っている。もうアメリカではラリアットや派手な打撃系が中心になっていましたから、まったく見向きもされていませんでした。日本ならこれは使えると思って、持ち帰ったんです。

二宮: そして海外遠征から帰国後、武藤選手、橋本選手と「闘魂三銃士」で人気を集めました。
蝶野: 海外遠征に出た時、オレは日本からの片道の航空券しかもらえなかった。いつ帰国できるのか、まったくの未定。1度、試合で帰国命令が出た時も、現地で受け取ったのは日本までの往復航空券。要は試合が終わったら遠征先に戻る、一時帰国という扱いだったわけです。それを何度もやられたので、「オレはこのまま日本に戻れないんだろうな」という感覚でした。だから「闘魂三銃士」として日本でやると決まった時も、またしばらくしたら海外に出されるんじゃないかと信用できなかったですね。

二宮: 25年間で一番闘いがいのあったレスラーは?
蝶野: やっぱりデビュー戦の相手でもあった武藤さんでしょうね。別々の道を歩んでいても、どこかで波長があっている。リングに上がると何も考えなくても技の掛け合いができる気がします。彼のような魅せる選手がいたから、三銃士は成立した。武藤さんがいなかったら、単なる地味な四天王みたいになっていたかもしれない。これからも彼とはいい試合をしたいですね。
 
 ヒールでもサインは断らない

二宮: 今日も衣装は全身黒づくめ。ヒールに転向してからはすっかり黒というイメージが定着しましたね。
蝶野: あれは東スポさんがつくったんですよ。こちらがいくらまともなことを言っても「黒の〇〇」とか「黒い〇〇」と見出しがつく(笑)。

二宮: 世間一般の人たちからは“怖い人”とみられているようですよ。実際にお話してみると、随分ギャップがあると言われるでしょう(苦笑)。
蝶野: ええ。街中でも声はかけられないですね。ある意味、握手攻めやサイン攻撃にも合わないのでラクといえばラクですよ。でも、サインや写真撮影を求められたら基本的には断らないように心がけています。
 きっかけになったのは、nWo時代に名古屋駅で新幹線を待っていた時のこと。バーッと横を同じスーツの一団が通り抜けていったので、パッとサングラス越しに見たら、あのドゥンガがいた。彼らはジュビロ磐田の選手たちだったんです。

二宮: ドゥンガといえば、1994年のW杯アメリカ大会の優勝メンバーでキャプテンを務めていました。元サッカー少年としては、スーパーヒーローですよね。
蝶野: 一緒にいた天山(広吉)を呼んで、「おいドゥンガだ、ドゥンガだ」とひとり興奮していました。天山は「ドゥンガって誰ですか?」って知らないから、思わず「バカ野郎!」と(笑)。オレとしてはドゥンガのサインを欲しくてたまらないんだけど、周りの目が気になって勇気が出ない。

二宮: ヒールで売っているだけに、「サインください」と気軽には言えなかったわけですね。
蝶野: そしたら、ジュビロの選手たちもこちらに気づいたようで、「あっ、蝶野だ、天山だ」とささやいているから、ますます行けなくなってしまった(苦笑)。ホームでひとり悶々としていたら、向こうからバーッとこっちに走ってきた選手がいた。それがゴン君(中山雅史)でした。「蝶野さん、ファンです。サインください」って。

二宮: 彼も当時はバリバリの日本代表。かなりの人気がありました。それでもサインを求めに蝶野さんのところへ来たと?
蝶野: だから「コイツはすごいな」と感心しましたよ。この出来事でオレはファンの気持ちをよく理解できた。勇気を出してサインをもらいに行くことが、どれだけ大変か。それ以来、ファンの勇気にはこちらも精一杯応えないといけないと思い直しました。実際、サインをしていると「いや〜、殴られるかとビクビクしていました」って言われるんですけど(笑)。

二宮: ここまで来ると1年1年が勝負というところでしょうが、次なる目標は?
蝶野: 来年は猪木さん、馬場さんのデビュー50周年にあたります。プロレス業界も冷え込んでいる中、何か大きなイベントをやったほうがいいのでは、という話が出ているんです。どうせならメディアも巻きこんで、ファンをワクワクさせることを大々的にやりたい。二宮さんも協力お願いしますよ。

>>前編はこちら


<蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)プロフィール>
1963年9月17日、米国ワシントン州生まれ。84年、新日本プロレスへ入門し、武藤敬司戦でデビューする。アントニオ猪木の付き人を経て、ドイツ、米国での海外遠征を経験し、89年に帰国。武藤、橋本真也とともに闘魂三銃士として人気を博す。91年には「G1 CLIMAX」の第1回大会で優勝。翌年のG1も連覇を果たすなど、この大会を5度制覇し、“夏男”の異名をとる。94年からはヒールに転進し、IWGPヘビー級王座など、さまざまなタイトルも獲得。黒を基調としたコスチュームでプロレスファン以外にも広く知られる存在になる。2007年からは新イベント「蝶野王国」を開催。10月12日には25周年特別興行「ARISTRIST IN 両国国技館」を行った。身長186cm、体重108kg。
>>蝶野正洋オフィシャルブログ「蝶野王国」はこちら
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(構成:石田洋之)
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