
19歳の時に右目の視力を失い、さらに28歳の時に左目の視力をも失った石井宏幸選手。奈落の底に突き落とされそうになった時、いつも彼を救ったのはサッカーだった。「ケガをするのは日常茶飯事」と言うほど激しいプレーの連続のブラインドサッカー。二宮清純がそのブラインドサッカーの魅力に迫った。
二宮: 石井さんは子供の頃からサッカーが好きだったと聞いています。
石井: はい。小学1年から始めたのですが、もう夢中になってボールを蹴っていました。中学時代は喘息を患ってできなくなってしまったのですが、それでも日本代表の試合などを観ることは好きでした。W杯予選の "ジョホールバルの歓喜"(1997年)も現地まで観に行っているんです。その頃はまだ左目は見えていたので、現地で知り合ったサッカー仲間とともに草サッカーを楽しんだりすることもありました。
二宮: ブラインドサッカーと出合ったのは?
石井: 28歳の時、サッカーのことを勉強しようと英国で留学先を探していた時に、急に視力が落ちてしまいました。緑内障と診断され、「このままではいずれ失明する」と言われたので手術をしたのですが、結局、手術は成功しなかったんです。それで一度はサッカーをすることは諦めたのですが、偶然、インターネットでブラインドサッカーを知ったんです。それで神戸での講習会を受けたのが始まりでした。
二宮: 石井さんが失明したのは20代後半ですから、先天性の人たちと比べると、不利な点もあったのでは?
石井: いろいろな意見がありますが、確かに先天性の人は耳の感覚が鋭いですね。一方、僕のように後天性の人は方向認知など耳の感覚が鈍いと言われています。
二宮: なるほど、確かに後天性の人は見えていた時には音を頼りにすることはなかったわけですからね。
石井: そうですね。ただ、その点はトレーニングでカバーできると思っています。とにかく日々、練習すること。これに尽きます。
このつづきは
>>「挑戦者たち」〜二宮清純の視点〜 でお楽しみください!
◎バックナンバーはこちらから