目の覚めるような一撃、という表現があるが、山口の同点弾ぐらい、この表現にふさわしい一撃はなかった。言うまでもなく素晴らしいシュートではあったが、それ以前に、試合が信じられないほどに退屈だったからである。あのシュートが決まるまで、視聴者が闘っていたのは韓国ではなく睡魔だったのではないか。少なくとも、わたしに関してはそうだった。

大会が始まれば言い訳はしないはずだったハリルホジッチ監督は、北朝鮮戦の後に前言を翻した。本人からすれば言わずにはいられなかったのかもしれないが、対マスコミという視点から見ると、これは完全な失敗だった。比較的好意的に見ていたメディアまで、一気に批判的なスタンスをとるようになったからである。

監督としての経験は豊富なハリルホジッチ監督だが、メディアに囲まれた経験となると、ミランなどビッグクラブで指揮をとったザッケローニにはかなわない。過激な自国のメディアと対峙してきたアギーレほどでもない。主力のいない、W杯とは無関係な試合の敗戦など関係ない、とふんぞり返っていればよかったのだが、そんな余裕はなかったらしい。

苦境でこそ、その人の人柄なり信念はよく見える。

彼は勝ちたかったのだろう。どうしても、なんとしても勝ちたかったのだろう。そして、そんな状況で彼の選択した戦い方は……徹底してボールを保持するサッカーではなく、前線から圧力をかけまくるサッカーでもなく、じっくりと自陣に引いて構えるサッカーだった。

それが間違っている、というわけではない。世界の監督100人に問えば、同様の答えを選ぶ監督が50%を超えるかもしれない。

だが、だとしたらなぜハリルホジッチ監督が選ばれたのか。

わたしには、まったくわからなくなってしまった。

日本が韓国に勝てなかったことならば、これまで何度もあった。だが、日本がボール保持率で劣勢だった記憶はあまりないし、そもそも、日本がボール保持率を高めようとしない試合などは、近年、皆無だった。

監督が代わるごとにサッカーも変わるのが、これまでの日本だった。その反省を受けて選ばれたのがアギーレでありハリルホジッチだったはず。だが、善しあしはともかく、この大会で見えてきたことがある。

現監督は、前任者たちの系譜を受け継ぐものではないらしい。

ザックのチームは、誰が出ていてもザックのチームだった。グアルディオラの率いるチームが、どこであっても同じ香りを漂わせているように。

だが、今回の日本代表に、本田たちがプレーするチームとの共通点を見つけることは難しい。正直、勝敗はどうでもいい。チームの哲学が見えなくなったのが、わたしには一番残念である。

<この原稿は15年8月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>