公益財団法人日本サッカー協会(JFA)最高顧問の川淵三郎キャプテンが、初めて障がい者スポーツを目にしたのは、1960年のことだ。サッカー日本代表として訪れたドイツの地で、車椅子に乗った人たちがボールを使って楽しんでいたという。川淵氏は、日本では街中で見ることさえもなかった障がい者がスポーツを楽しんでいることに衝撃を受けた。それから半世紀が経った今、日本は世界で初めて同一都市で2回目のパラリンピック開催を5年後に控えている。果たして川淵氏の目には今、日本の障がい者スポーツがどのように映っているのだろうか。そして、2020年東京パラリンピックを成功に導くために必要なものとは――。
伊藤: 今回のゲストは、川淵三郎キャプテンです。川淵さんは、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会評議員も務めていらっしゃいます。

二宮: 2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、だいぶ機運が高まってきたと感じています。ただ、オリンピックと比べると、パラリンピックはまだまだかなという印象を受けますが、川淵さんはいかがでしょうか。

川淵: それでも、前回の時とはずいぶんと違うと思いますよ。私は50年前の1964年東京オリンピックに、サッカー日本代表として出場しました。実はその1カ月後に、東京パラリンピックが開催されていたというのは後から知ったことなんです。当時はまったく知らなかった。ところが今は、「オリンピック・パラリンピック」という名称で呼ばれるなど、オリンピックとパラリンピックをセットにして考えることが当然となっています。そういう意味では、50年前と今とでは、パラリンピックの認知度は天と地ほどの差があると思います。

伊藤: 日本財団パラリンピック研究会が発表した「国内外一般社会でのパラリンピックに関する認知と関心」の調査結果報告によると、今では98.2%の国民がパラリンピックの存在を知っています。

川淵: 2012年ロンドンパラリンピックが大成功を収めたことも、日本人のパラリンピックへの意識を高めている大きな要素になっていると思いますね。2020年は、さらに盛り上げていこうと、パラリンピックや障がい者スポーツへの理解や関心が広がっているなと感じています。

伊藤: 障がい者スポーツには、実はサッカーは何種類もあります。パラリンピックで行われているのは、日本で「ブラインドサッカー」と呼ばれている視覚障がい者の「5人制サッカー」と、脳性まひの選手が行う「7人制サッカー」の2つ。そのほかにも、手や足を切断した選手の「アンプティサッカー」、重度障がい者の「電動車椅子サッカー」、「知的障がい者サッカー」、聴覚障がい者の「ろう者サッカー」があり、それぞれW杯など世界規模の大会が行われています。これだけたくさんの種類のサッカーが存在するということは、それだけサッカーをしたいという人が多いということの表れではないでしょうか。

川淵: 嬉しいですよね。以前はすべて任意団体で、現在もまだJFAがサポートするポジションにはないのですが、将来的にはサッカーという同じ枠の中で、一緒に活動していきたいなと思っています。


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