二宮: 初めてオリンピックを意識されたのはいつ頃ですか?
田村: 小学校3年生の時、前にも話したように柔道と同時にピアノも習っていたんですよ。ある時、ピアノのお稽古の後に道場での練習があって、道場に行くのが遅れてしまったことがあったんです。「すいません。ピアノがあって遅れました」と言ったら、稲田先生に「ピアノにはオリンピックはないたい!」と言われまして(笑)。その時は「オリンピックって何かな」という程度で、あまり気にはとめなかったんです。
 でも当時、山下泰裕先生がロサンゼルスで戦っているのを見て、「オリンピックって外人と試合するんだぁ」と思いましたね。だから「私も将来、山下先生みたいに外人と試合する!」って。それが最初でしたね。
 結婚しても柔道を続けたい

二宮: ところで、「田村亮子」という柔道選手を一躍有名にしたのは、1990年の福岡国際だったと思います。田村さんはまだ中学校3年生で、当時一番強いと言われていたカレン・ブリックス選手を投げ飛ばしたんですから、その衝撃といったら凄かったですよ。
田村: 私も驚きました。小学校の頃から憧れていましたからね。私がブリックス選手を初めて見たのは小学2年生の時で、それから毎年福岡国際を見学に行っていたんですよ。そして彼女は毎年優勝して帰るんです。「また来年も優勝しに来るわ」なんていうコメントを残したりして、すごくカッコいいんですよ。でもまさか、あの場で対戦できるとは思っていなかったですね。

二宮: あれは準決勝でしたね。
田村: そうです。すごく緊張したんですが、対戦する前に目が合ったんですよ、ブリックス選手と。畳に上がった時にバチッと。その時に、ブリックス選手のほうが先に目をそらしたんです。稲田先生の「睨み合って目をそらしたほうが負ける」という教えを思い出した。「先生の言ったこと、ここで当たるのかな、当たらないのかな」と思っているうちに試合が始まっていて。そして本当に勝ってしまったんですけど、あれから180度変わりましたね、柔道に対する思いが。ブリックス選手に勝ったことがすごく大きな自信になって、「本当に世界は近いな」と思えるようになりました。
 それに、取材をして頂けるというのが嬉しいという気持ちも芽生えましたね。自分を表現できる分、言ったら言っただけの努力をしなくちゃいけないとも感じましたし。あの時から「ヤワラちゃん」って呼ばれるようにもなったわけだし、あの試合がなかったら今の自分はないなと思います。

二宮: では、今までの試合で一番印象に残っているのはやはりブリックス戦?
田村: そうですね。すごく鳥肌が立ったし、あの試合は自分にとっても衝撃的でした。今までいろいろな国際大会に出場しましたが、やはりあれが一番大きいです。

二宮: 何百試合と戦ってきた中で、一番「強い」と感じたのもブリックスですか?
田村: はい。ブリックス選手の場合、力ではなく、技とテクニックが持ち味です。スピードもあるし、本当に巧い選手でした。今ブ、リックス選手の現役バリバリの頃のビデオを見ると、相当強いなって感じがありますよ。

二宮: 彼女、もう引退されたんですね。
田村: ええ。引退されてお子さんが生まれて、イギリスでちびっこに柔道を教えていらっしゃるそうですよ。ご主人も柔道をやられている方なんですって。

二宮: 結婚したとしても、指導者として柔道にかかわれるのは良いことですよね。
田村: そう思います。そのへんは自分もトライしてみたいなっていうのはありますよ。

二宮: 田村さんも、将来結婚して子供ができても柔道を続けるおつもりですか?
田村: 続けたいですね。バシッとカッコいいところを見せたいです。自分自身が本気で「やりたい!」と思ったことはやっていきたいですし、できないことなんてないと思うんです。だから自分の可能性をどこまでも追求してみたいなって思いますね。

 1年の休みは5日だけ

二宮: 今振り返ってみて、学生生活は楽しかったですか?
田村: 柔道一色でしたけど、楽しかったですよ。お昼には友達と学食に行ったり、そういう普通の大学生活も経験しました。でも、朝はやっぱりトレーニングから始まるんです。基本的には小学校の時から練習のスタイルは変わらないですね。日曜日も練習がありますし、365日のうち361日は柔道をしていました。振り返れば柔道しかやっていなかった気がします。

二宮: 休みは5日間だけ!?
田村: そうですね、お正月に。野球選手とかと違ってオフがないんですよ、柔道という競技は。

二宮: 練習もいつでもできますものね。体育館には雨も降らないし(笑)。
田村: ええ。室内なので、いつでもできちゃうぞって感じです(笑)。大学時代は本当に毎日練習していましたね。だから仲間と一緒に汗を流して頑張った、という誇りがありますよ。今はそれぞれの道に進みましたが、連絡を取ったり、たまに会ったりして盛り上がっています。女の子同士だと盛り上がるんですよね、いろんな話で(笑)。大学でともに汗した4年間は、言葉では表せないくらい充実していました。

二宮: そうですか。卒業後にはトヨタ自動車に就職されましたが、仕事の方はいかがですか?
田村: 楽しいですよ。パソコンも、ゆっくりですけど習っています。自分のCMに関してのカレンダーを作ったりもしました。あとね、木村さんっていう部長がダンディーなんですよ。海外マーケティングとかいって、英語を喋っているんです。50歳を過ぎているんですけど、すごくモテるんですよ。

二宮: へぇ、羨ましいな。ところで乗っている車はやっぱりトヨタ?
田村: はい。トヨタに乗っています。

二宮: 他のメーカーの車には乗っちゃいけない?
田村:「他社の車を買ってはいけない」みたいな規則はあるらしいですね。

二宮:少しは安く買えます?
田村: 10%ですけどね。友達からもよく、「社員だから安く買えるんでしょ? 紹介してよ」って言われるんですけど、10%なのでそんなには変わらないです。そういえば、私は営業の部署ではないんですが、去年1台だけ売ったんですよ(笑)。後援会の会長が買って下さって。

二宮: そういう場合、ご自身にロイヤリティーは入ってくるんですか?
田村: いいえ。時計を貰っただけですね。でも、とても楽しんでいますよ、会社も。

 偉大だった長嶋さん

二宮: ところで、大学や会社以外の友達にはどんな人がいますか? たとえば柔道選手同士なんかは、普段は仲が良いものなんですか?
田村: 良いですよ。古賀(稔彦)選手とかも仲が良いですし、柔道関係者は女子も男子も仲良くやっていますね。同じ階級だと変に意識してしまう選手もいるみたいですけど、自分はそういうのは信じられません。もちろん真剣勝負をしている時は敵として戦います。でも、そうじゃない時は誰とでも普通に話しますよ。

二宮: 健全なライバル意識ですね。
田村: そうですね。頑張っている時はスイッチが入れ替わるというか、気持ちの切り替えが早いんだと思います。

二宮: 血液型はB型だと聞いていますが、ひょっとして長嶋さんみたいにあっけらかんとしたタイプなんですか?
田村: 長嶋さんほど素晴らしくはないですけどね(笑)。本当に偉大ですよ、長嶋さんは。ラジオで対談したことがあるんですけど、その時「ヤワラちゃんは良い耳してるねぇ」とか言っていきなり耳を触られちゃったんです(笑)。こっちは恥ずかしくて仕方ないのに、全然気にしてなかった(笑)。そういうところも全部含めて偉大なのは、長嶋さんだけだと思います。

(最終回につづく)
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<この記事は1999年8月に行われたインタビューを構成し、00年6月に掲載されたものです>
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