FORZA SHIKOKU
2003年春、天羽進亮(あもう・しんすけ)は徳島県吉野川市の天羽家の第3子として生を授かった。父・誠二はラガーマン。天羽の5歳上の姉(長女)はラグビー日本代表のエンブレムに因んで「桜子」、3歳上の姉(次女)は高校ラグビ […]
ラグビーの司令塔と言えば、「10」を背負うスタンドオフ(SO)が想起されるだろう。パス、ラン、キックのスキルを駆使し、チームのアタックを司る花形ポジションと言ってもいい。「やっぱり僕はタックルが好き」。全国大学選手権2 […]
徳島ヴォルティスのユース昇格のオファーを蹴った郡絋平は、地元の強豪校である徳島市立高校への進学を考える。実家から通えるため、両親も一安心……、と思いきや、そう易々と話は進まなかった。 <2017年6月の原 […]
郡紘平は小学生の頃から四国のトレセンに選ばれていた。小学校卒業後の進路を徳島ヴォルティスジュニアユースに定めた。郡は四国の精鋭に選ばれるほどの実力の持ち主。Jリーグの下部組織に進むのは当たり前と言えば当たり前である。兄 […]
郡紘平は徳島県徳島市で生まれ育った。3歳上の兄と遊ぶ活発な少年だった。郡の幼少期を父・寛之はこう述懐する。 「兄が小学校にあがったくらいの時に鉄棒の練習をしていたんです。すると隣で簡単そうに紘平ができてし […]
関東大学サッカーリーグ1部の専修大学サッカー部には、徳島県徳島市から上京して来た“クラッキ”がいる。今春、同大学に入学したばかりのMF郡絋平だ。1年生ながら、Aチームに身を置き、リーグ戦デビューもすでに果たしている。専 […]
2024年春、日本体育大学4年となった石川とわ。ビーチバレーボール部では最上級生となり、この年の全日本ビーチバレー大学選手権(全日本インカレ)優勝に懸けていた。“最後のインカレ”ということもあるが、それ以上に競技人生の […]
2019年春、愛媛県立三島高校に進学した石川とわは、ビーチバレーボールに出合う。きっかけは高校の顧問からの打診だった。体験会からスタートしたビーチバレー。インドアのバレーボールとアウトドアのビーチバレーは似て非なるもの […]
愛媛県四国中央市で生まれ育った石川とわは、幼少期、様々な習い事をした。水泳、ピアノ、琴、習字、バレエ、ダンス――。そのどれもがビーチバレーボール選手としての能力に繋がっているという。石川は「水泳が肺活量、ピアノや習字が […]
緑に囲まれた神奈川県横浜市青葉区にある日本体育大学健志台キャンパス内に、異質な空間がある。敷地内に海はないが、専用のビーチバレーボールコートが存在する。言うまでもなく日体大のビーチバレーボール部の練習拠点。同大4年の石 […]
宇山賢は香川県立高松北高校へ進学した。高校ではフルーレを主戦にしつつ、エペにも取り組んだ。ルールが違えば、種目の特性も異なる。エペを始めた頃を、宇山はこう振り返る。 (2017年4月の原稿を再掲載していま […]
香川県立高松北中学・高校にはフェンシング部がある。宇山賢が中学生だった当時、比較的フェンシングが盛んな四国でも、中学でフェンシング部が存在するのは非常に珍しかった。2つ上の兄は一足先に高松北中学のフェンシング部で汗を流 […]
宇山賢は、25歳とは思えないほど落ち着きがあり、紳士的だ。幼少期、彼はどんな少年だったのか。本人に問うと、「僕が子供の頃、カードゲームが流行っていました。限定カードや価値が高いカードがどうしても欲しかった。手に入れるま […]
高松市は香川県の中央に位置する四国の経済都市である。降水量も少なく、年間を通して温暖な気候だ。 (2017年4月の原稿を再掲載しています) この土地で生まれ育った宇山賢はフェンシング・エペ […]
「初めて見たのは高校2年生の時。“上手なセッターがいるなぁ。こういう子が来てくれたらウチも強くなるかなぁ”と思っていました」 そう五頭寛大(ごとう・かんだい)について語るのは、びわこ成蹊スポーツ大学バレーボール部監督の […]
2019年春、五頭寛大(ごとう・かんだい)は生まれ育った愛媛県を離れ、「日本一」を目指して京都の東山高校に進学した。多くの運動部が全国レベルの同校はバレーボール部も強豪として知られている。 五頭は愛媛県 […]
東京グレートベアーズ(東京GB)の五頭寛大(ごとう・かんだい)は2003年1月25日、愛媛県松山市に生まれた。「外で遊ぶタイプで、家にあまりいませんでした」。五頭曰く「田んぼと海が近くにありました」という長閑なまちで、 […]
バレーボールにおけるリベロとは、その語源にあたる『自由』とは異なる向きがある。前衛でのプレーが制限され、アタックも許されない。守備専門のスペシャリストポジションだ。その特異なポジションで“プロ2年生”を迎える大学生が、 […]
高校女子サッカーの強豪である日ノ本学園に所属していた中田有紀。AチームとBチームの間で苦しんでいた。チャンスをもらうものの、うまく生かせない自分にいら立ちを感じていた。 <2020年1月の原 […]
愛媛県の松山市立さくら小学校に入学し、1年生の終わり頃から地元の少年団でサッカーを始めた中田有紀。4年生からは桑原女子FCというチームにも加わった。愛媛県サッカー協会の理事がこのチームのコーチを務めていた。専門家の指導 […]
早稲田大学ア式蹴球部女子(早大女子サッカー部)の左サイドバック・中田有紀は愛媛県松山市で生まれ育った。取材をした際、彼女は非常に落ち着いていた。しっかりとした若者という印象を受けた。 <2020年1月の原 […]
早稲田大学ア式蹴球部女子(早大女子サッカー部の名称)は、全日本大学女子サッカー選手権大会を6度、関東大学女子サッカーリーグを6度制し、関東女子サッカーリーグにおいては11連覇中の強豪校だ。チーム不動の左サイドバックが愛 […]
「日本一になることを目標にしていました」 2020年春、三浦愛華は園田学園女子大学に入学した。しかし新型コロナウイルス感染症が流行した影響により、全国の学生同様、満足に練習を積めない不運もあったが、園田の環境に不満はな […]
「毎日辞めたいと思っていました」 そう振り返るほど三浦愛華にとって、奈良県立添上高校陸上競技部の練習はきつかった。タイムが伸びず、自分が成長しているとの手応えも微塵も感じられなかったのだろう。 「2年生の半ばまで、つい […]
今や陸上の日本代表に名を連ねるほどになった三浦愛華だが、競技を本格的に始めたのは意外にも地元の奈良市立若草中学に入学してからだった。なぜ陸上だったかについては、三浦自身はこう説明する。「チーム競技よりも個人競技が自分に […]