FORZA SHIKOKU
2013年、川之江北中学柔道部と川之江柔道会で技を磨いた立川新は、柔道の名門である新田高校に進学した。愛媛県松山市にある新田高校は1938年に創設。多くの部活動が全国大会に出場するマンモス校だ。寮は学校の目の前にあり、 […]
立川新は川之江柔道会に入門したばかりの頃は3歳の時だった。体が小さく悔しい思いをすることが少なくなかった。負けず嫌いの少年は父・昭宏の課したクライミング、走り込み、足指の筋力強化、パワーアンクルの装着といったトレーニン […]
立川新が柔道を始めたのは3歳からである。彼を近所の川之江道場に連れていったのは経験者の父・昭宏だった。 (2018年9月の原稿を再掲載しています) 父は入門当時の息子の様子を振り返った。 […]
日本男子の柔道界において、73キロ級は層が厚い。大野将平(旭化成)はリオデジャネイロオリンピックの金メダリスト。橋本壮市(パーク24)は2017年世界選手権王者である。彼らを筆頭に積極的に技を仕掛ける柔道家が多い。激戦 […]
2023年春、早稲田大学に入学した垣田真穂は拠点を静岡県に移した。1933年創部の同大自転車部の拠点は埼玉県所沢市にも関わらず、なぜ垣田は静岡に向かったのか――。それは松山学院高校卒業前に、日本自転車競技連盟(JCF) […]
2020年春、垣田真穂は愛媛県の松山城南高校(翌21年から松山学院高校に校名変更)の門を叩いた。松山城南は当時・全国高校総合体育大会(インターハイ)3連覇中の強豪校。福岡県タレント発掘事業、「ジャパン・ライジング・スタ […]
福岡県北九州市で生まれた垣田真穂(早稲田大学自転車部&チーム楽天Kドリームス)。その名前は両親の祖父から漢字1字ずつを取って付けられた。また「穂」については女子サッカー界のレジェンドにも由来しているという。ちなみに垣田 […]
自転車競技には大きく分けて8つの種目がある。そのうちオリンピック種目はロードレース、トラックレース、マウンテンバイク、BMXの4つだ。パリオリンピックにトラック日本代表として出場した垣田真穂(早稲田大学自転車部2年/& […]
帝京大学駅伝競走部4年生の岩佐壱誠は徳島科学技術高校、通称科技校の電気コースを選択していた。このコースを選択した理由は「就職率が高いから」だった。ところが高校2年の冬、進路を「就職」から「大学進学」に変更する。きっかけ […]
帝京大学駅伝競走部4年生の岩佐壱誠は中学時代、剣道部に属しながら駅伝大会前に結成される期間限定の部活に招集されていた。中学2年の冬に開催された徳島駅伝16郡市という郡市対抗戦を走った。その走りを見た徳島技術科学高校の陸 […]
帝京大学駅伝競走部に所属する4年生の岩佐壱誠は、徳島県那賀町で生まれ育った。この町は高の瀬峡という峡谷や大釜の滝、大轟の滝など景勝地がある。大自然の地に岩佐は生を受けた。 (2019年5月の […]
帝京大学駅伝競走部は1999年に創部された。部の歴史は浅いが正月の風物詩と言われる箱根駅伝の常連校である。同駅伝での最高順位は第76回大会と第89回大会で記録した総合4位。2005年11月に就任した中野孝行監督の指導の […]
2022年春、天羽進亮(あもう・しんすけ)は高校卒業後、生まれ育った徳島県吉野川市を離れ、埼玉県川越市に寮・練習場を置く関東大学ラグビーリーグ1部の東洋大学に進んだ。「2部にいた頃から観ていましたが、みんな身体を張るチ […]
2003年春、天羽進亮(あもう・しんすけ)は徳島県吉野川市の天羽家の第3子として生を授かった。父・誠二はラガーマン。天羽の5歳上の姉(長女)はラグビー日本代表のエンブレムに因んで「桜子」、3歳上の姉(次女)は高校ラグビ […]
ラグビーの司令塔と言えば、「10」を背負うスタンドオフ(SO)が想起されるだろう。パス、ラン、キックのスキルを駆使し、チームのアタックを司る花形ポジションと言ってもいい。「やっぱり僕はタックルが好き」。全国大学選手権2 […]
徳島ヴォルティスのユース昇格のオファーを蹴った郡絋平は、地元の強豪校である徳島市立高校への進学を考える。実家から通えるため、両親も一安心……、と思いきや、そう易々と話は進まなかった。 <2017年6月の原 […]
郡紘平は小学生の頃から四国のトレセンに選ばれていた。小学校卒業後の進路を徳島ヴォルティスジュニアユースに定めた。郡は四国の精鋭に選ばれるほどの実力の持ち主。Jリーグの下部組織に進むのは当たり前と言えば当たり前である。兄 […]
郡紘平は徳島県徳島市で生まれ育った。3歳上の兄と遊ぶ活発な少年だった。郡の幼少期を父・寛之はこう述懐する。 「兄が小学校にあがったくらいの時に鉄棒の練習をしていたんです。すると隣で簡単そうに紘平ができてし […]
関東大学サッカーリーグ1部の専修大学サッカー部には、徳島県徳島市から上京して来た“クラッキ”がいる。今春、同大学に入学したばかりのMF郡絋平だ。1年生ながら、Aチームに身を置き、リーグ戦デビューもすでに果たしている。専 […]
2024年春、日本体育大学4年となった石川とわ。ビーチバレーボール部では最上級生となり、この年の全日本ビーチバレー大学選手権(全日本インカレ)優勝に懸けていた。“最後のインカレ”ということもあるが、それ以上に競技人生の […]
2019年春、愛媛県立三島高校に進学した石川とわは、ビーチバレーボールに出合う。きっかけは高校の顧問からの打診だった。体験会からスタートしたビーチバレー。インドアのバレーボールとアウトドアのビーチバレーは似て非なるもの […]
愛媛県四国中央市で生まれ育った石川とわは、幼少期、様々な習い事をした。水泳、ピアノ、琴、習字、バレエ、ダンス――。そのどれもがビーチバレーボール選手としての能力に繋がっているという。石川は「水泳が肺活量、ピアノや習字が […]
緑に囲まれた神奈川県横浜市青葉区にある日本体育大学健志台キャンパス内に、異質な空間がある。敷地内に海はないが、専用のビーチバレーボールコートが存在する。言うまでもなく日体大のビーチバレーボール部の練習拠点。同大4年の石 […]
宇山賢は香川県立高松北高校へ進学した。高校ではフルーレを主戦にしつつ、エペにも取り組んだ。ルールが違えば、種目の特性も異なる。エペを始めた頃を、宇山はこう振り返る。 (2017年4月の原稿を再掲載していま […]
香川県立高松北中学・高校にはフェンシング部がある。宇山賢が中学生だった当時、比較的フェンシングが盛んな四国でも、中学でフェンシング部が存在するのは非常に珍しかった。2つ上の兄は一足先に高松北中学のフェンシング部で汗を流 […]