5月5日のこどもの日。長嶋茂雄&松井秀喜の国民栄誉賞授与式が行われた東京ドームの4万6000人には及ばなかったが、6キロ近く離れた国立競技場にも1万5000人の観客が訪れた。

 陸上のセイコー・ゴールデングランプリ東京。観衆のお目当ては男子100メートルだった。
 6日前の織田幹雄記念国際で、日本歴代2位の10秒01を記録した17歳の走りに注目が集まった。日本人初の9秒台突入なるか!?

 桐生祥秀にとっては海外の一線級と戦う初めてのレース。今回は9秒台の自己記録を持つ選手が米国のマイケル・ロジャーズ(9秒85)、バハマのデリック・アトキンス(9秒91)、米国のムーキー・サラーム(9秒97)と3人いた。

 桐生は5レーン。隣の4レーンは出場8選手中最高の記録を持つM・ロジャーズ。6レーンにはロンドン五輪代表で日本選手権4連覇中の江里口匡史。桐生の実力を測るには格好のレースである。

 結論を述べれば、桐生は10秒40のタイムで10秒19のM・ロジャーズ、10秒24のアトキンスに次いで第3位。江里口をおさえ、日本人ではトップだった。向かい風1・2メートルという条件を考えれば、上々の成績だろう。“スーパー高校生”の異名に恥じないレースだった。

 9秒台は日本人にとっては、破れそうで破れない分厚い壁である。現日本陸上競技連盟・男子短距離部長の伊東浩司が10秒00を叩き出したのは1998年12月のバンコクアジア大会準決勝。

 実はフィニッシュ直後のゴールタイマーが示した数字は「9・99」。会場がひとしきり沸いた直後に発表された正式タイムは「10・00」だったが、伊東が決勝に備えて後半を流したこともあり、9秒台突入は時間の問題かと思われた。

 だが、現実は甘くなかった。バンコクから15年経った今も、100分の1秒の壁は不倒であり、近年は時間の問題どころか「永遠の宿題」になりつつあるようにすら感じられた。それゆえにこそ、彗星のごとく現れた17歳に対する衝撃は大きく、また期待も膨らんだのである。

 桐生は身長175センチ、体重68キロとスプリンターにしては小柄だが、はた目にも重心が安定し、体幹がしっかりしているように映る。上下にも左右にもブレないフォームは、とても高校生のそれではない。

 レース後、「楽しく走れた」という一方で「後半のストライドやピッチを、もう一段階上げれば(外国勢とも)勝負できるようになる」と冷静に自らの走りを分析するあたり、メンタル面でのタフさやクレバーさもうかがわせた。

 実は桐生、10秒01を出した直後、部室の黒板に年内の目標タイムを「9秒96」と書き込んでいる。
 100メートルの日本レコードを持つ伊東は「今年中に9秒台が出るのは100%間違いない」と断言した。

 日本人が100分の1秒の呪縛から解き放たれる日を辛抱強く待ちたい。

<この原稿は『サンデー毎日』2013年5月26日号に掲載されたものです>

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