掛け値なしのモンスターだ。横綱・白鵬が千代の富士と並ぶ歴代2位となる通算31回目の優勝を果たして幕を閉じた大相撲秋場所、もうひとりの主役はザンバラ髪の21歳だった。
 新入幕ながら1横綱(鶴竜)、2大関(稀勢の里、豪栄道)を倒し、13勝2敗の好成績で殊勲賞と敢闘賞に輝いた逸ノ城である。


 彼は周知のようにモンゴルの遊牧民だ。身長1メートル92センチ、体重199キロ。加えて太もも周りは90センチ超。私の目には“動く要塞”のように映った。

 そんな逸ノ城を毎日新聞紙上(10月4日付)で、芝田山親方(元横綱・大乃国)は、こう評していた。
<下半身は重く、柔らかくて崩れない。立ち合いで少々押されても捕まえてしまえば何とかなるという自信が透けて見えた>

 当然のこととはいえ、新入幕力士に金星を提供した横綱や、為す術なく敗れた大関の不甲斐なさを責める親方衆は少なくなかった。しかし相手はそんじょそこらの新入りではない。モンスターなのだ。

 私には元横綱・北の富士が少々、困り顔でNHKの大相撲中継で語った言葉が胸に残った。
「こんなモンスターが現れたら、いくら周りに“奮起しろ”と言っても、追いつけないかもしれない……」

 モンスターの出現を目の当たりにして、いっそのこと土俵を広げたらどうか、との声が一部の好角家から上がった。土俵を大きくすれば、小兵力士にも勝機が出るとの指摘だ。

 現在、土俵の直径は15尺(4メートル55センチ)。1931年に、このサイズになるまでは13尺(3メートル94センチ)だった。

 終戦直後の45年、1場所だけ土俵を16尺(4メートル85センチ)にしたことがある。連合国総司令部(GHQ)の幹部が、長い相撲を観たがったためだと言われている。逆にいえば国技の土俵のサイズを変えられるほど、占領軍の権力は絶大だったということだ。

 小錦や曙、武蔵丸ら巨漢の外国人力士が全盛を極めた頃にも、非公式ながら土俵を広げてみてはどうか、との声が上がった。

 意外なことに、これに真っ向から反対したのが小兵の若乃花(花田勝)だった。
なぜ反対だったのか。引退後、本人に質すと、こんな答えが返ってきた。

「土俵を広げると、小兵力士はもっと不利になるんです。だって土俵が広くなったら、(巨漢力士を)どこにも出せませんから。今のサイズなら、こちらから圧力をかけていき、バランスを崩させてから投げを打つこともできます。しかし、土俵が広くなったら、巨漢力士には、もう何をやっても通じないでしょう」

 土俵が広くなれば、軽快な動きの小兵力士に有利との説は、俗説に過ぎなかったのだ。

 さて逸ノ城である。ただ大きいだけではなく、体の割には動きが俊敏である。相手の動きを察知する用心深さも持ち合わせている。もっと相撲を覚えれば、手がつけられなくなるのではないか。楽しみでもあり、恐ろしくもある。

<この原稿は2014年10月26日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>


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