2日に閉幕した「世界陸上2007大阪」、最終日に行われた女子マラソンで、粘りの走りで銅メダルを獲得した土佐礼子(三井住友海上)。
 その土佐を陰で支え続ける夫・村井啓一氏が、大阪世界陸上代表入りを決めた昨年11月の東京国際女子マラソンまでの道のりを語る!(前編)

※3月に終了した「週刊シミズオクトスポーツ」にて06年8月〜07年3月、不定期連載でお届けした「キーマンの告白 〜陰の立役者たち〜」の再録です。
 11月19日、国立競技場を発着点に行われた東京国際女子マラソンは、序盤から積極的なレース運びを見せた土佐礼子(三井住友海上)がシドニー五輪金メダルの高橋尚子(ファイテン)を抑え、2時間26分15秒で優勝を飾った。
 冷たい雨の中、一度も後ろを振り返ることなく自分の走りを貫いた土佐を、ゴール地点では監督らとともに、アテネ五輪後の04年12月に結婚した夫・村井啓一氏が迎え入れた。
 東京での激走の舞台裏、そして土佐のマラソンランナーとしての歩みを、無名だった松山大時代から陰で支えてきた村井氏に訊いた――。

 万全の状態で迎えたレース当日

 今回の東京国際女子マラソンは、本当に良い状態で迎えることができました。アテネ五輪の選考レース前、そしてアテネ五輪後と故障に悩まされましたが、今年4月のボストンマラソン(2時間24分11秒・3位)の前から、全く故障なく練習を積んでくることができた。毎日、礼子から練習内容を聞いてノートに書き留めていたのですが、それを見てもすごく良い流れで来ていました。普通に走りさえすれば、ベストが出てもおかしくないだろう、という手ごたえは感じていました。
 ただ、スタートラインに立つまで何があるかわからない。特に風邪をひかないことと、転んだりしないこと。とにかくこの2つは、鬱陶しく思われてもいいから「分かっていても言うよ」と毎日言い続けました。

 レース当日の朝は、一緒に皇居を1周ゆっくりジョッグしました。朝食はホテルのバイキングでしたが、松山から持参した赤飯とおこわもプラスしました。しっかりとエネルギーを蓄えるためです。
 礼子は当日もリラックスして落ち着いていましたね。逆に、僕の方が緊張していたと思います。寒さと雨が気がかりだったので、朝食を終えてホテルを出発する前、礼子がストレッチをする傍らで、ランニングウェア、シューズ、アームウォーマーなど身につけるものすべてに防水スプレーを大量に吹きかけ、ゼッケンの裏にはお腹の冷えを防ぐためにビニールをセットしました。マラソンは途中で何が起きるかわからない。気がつかないようですごく大切なことなんです。こういうところは市民ランナーの感覚なのかもしれません。

 競技場に戻ってくる姿を見るまでは…

 レースが始まってみたら、積極的に先頭を引っ張っていった。序盤からハイペースでしたが、中間地点を過ぎても高橋さんが後ろにピタリとついているのを見て「いつもの嫌なパターンだな……」と。いつ先行されるだろうかと、ハラハラドキドキでした。
 4月のボストンマラソンも同じような展開だったんです。前半から引っ張って、30km過ぎのハートブレイクヒル(心臓破りの丘)で2人に少し離されて、下りで追いついたらまた先頭を引っ張って……。後ろにつけばラクなのに、とことん引っ張って、結局スパートされてしまう。
 でも今回は、最初からペースメーカーの前に出るくらいのハイペースで押していったのがよかったのか、31km過ぎでリードを奪い、そのままゴールまで走りきった。ボストンの反省は生かされましたね。

 高橋さんを引き離したところで、鈴木監督は「勝った」と勝利を確信して笑顔でしたが、僕はまだ心配でした。悪コンディションの中、足が痙攣したり、途中で立ち止まったりするかもしれない……そう思ったら、後ろとどれだけ差が開こうが、安心できなかった。礼子がトップで競技場に戻ってきて初めて、勝利を確信しました。
 終わってみれば、監督がレース前に口にしていた作戦どおりでした。マラソンはスタートしてみないとどんな展開になるかわからないので、普段、監督が指示を出すことはほとんどないんです。でも今回は、競技場に向かうタクシーの中で3人になったときに「最初から行っていいよ」と。ずっと練習を見てもらっている監督に言われたら、本人も「イケる」と自信を持って走れたと思います。

 僕もマラソン経験は何度もあるのでわかりますが、後ろにつかれるのは嫌なものなんです。でも後で本人に訊くと「全然、気にならなかった」と。自分の走りに集中していたんでしょうね。先頭を引っ張って、そのまま勝つというのは本当に難しい。それを礼子はやってのけたんです。

 悔やまれる16秒…

 今までと比べると、礼子の精神面での成長にも驚きましたね。レース2日前の会見での姿を見て、「えらい落ち着いて、どっしりとしているな…」と。調子の良さが自信につながっていたのでしょうね。
 アテネ五輪の選考レースだった名古屋は勝ちましたけど、今までマラソンでは「2位」が多かった。4月のボストンも、先頭を引っ張るだけ引っ張って、最後にスパートされてしまった。「もっと勝負にこだわればいいのに」と、正直、もどかしく感じるときもありました。
 それが、今回はレース前のインタビューでも「勝ちたい」と言っていましたし、テレビの特集番組では「粘れと言われたら粘るしかないでしょう」と。普段はあのままのおっとりとした性格です。そんな言葉、今まで口にしたことがなかったので驚きました。
 今回、高橋尚子さんとの勝負にメディアからもかなり注目されましたが、本人にとっては「誰に勝つ」ということではなく、自分の走りをしてとにかくマラソンで勝ちたい、という気持ちが強かったのだと思います。

 僕の心残りは、最大の難所と言われる終盤の坂で並走できなかったことです。途中、16km地点と折り返した23kmあたりで並走しながら声をかけましたが、わからなかったようでした。2000年の東京のときは坂で並走したのですが、今年は沿道の人が多かったこともあり競技場に戻ってしまった。礼子はレース中、時計を全く見ていなかったので、タイムもわかっていなかったはずです。一番苦しいあの坂で並走していれば、世界選手権の内定基準タイム(2時間25分59秒)に届かなかった16秒が縮まったかもしれない、と。勝負どころで声をかけてあげることが、僕の今後の課題ですね。

(後編に続く)

村井啓一(むらい・けいいち)プロフィール
1973年11月20日、広島県出身。松山大卒業後、NTT西日本でフルタイム勤務をこなしながら市民ランナーとして活躍。03年にはニューイヤー駅伝に出場。現在は松山大学職員。マラソンアテネ五輪代表の土佐礼子選手と松山大時代からの交際を実らせ04年12月に結婚。東京で競技生活を続ける土佐選手とは“遠距離婚”生活を送る。マラソンの自己ベスト記録は2時間21分08秒(02年びわこ毎日マラソン)。