92、93年と2年連続で日本シリーズを戦った森祇晶と野村克也。イメージで語れば前者が「勝負の鬼」であるのに対し、後者は「野球の鬼」である。将棋の世界でいえば、大山康晴名人と升田幸三名人の関係に似ている。「勝負の鬼と将棋の鬼が戦ったら、最終的に勝負の鬼が勝つ」。米長邦雄名人のセリフである。今回、紙一重の差で「野球の鬼」が「勝負の鬼」に勝ったが、2人のイメージが入れかわったとは思わない。
 かりに「野球の鬼」が力及ばず勝負に敗れても野球が残るが、「勝負の鬼」が勝負に敗れてしまっては何も残らない。森野球の強さの源泉はひとえにアイデンティティ喪失の恐怖であり、だからこそ背水の陣で、非情に徹することができるのではないか。勝利に対する安堵、敗北に対する恐れ、おののき。少々、飛躍していえば、森にとって勝利こそは日常であり、敗北は奈落以外の何物でもない。彼はプロに入って以来約40年、そういう修羅の時間を生き続けているのだ。野球という名の冥府魔道である。

 瀧安治が言う。
「森さんは現役時代、口ぐせのように言っていた。“オレたちが野球をやめたら誰が助けてくれる。巨人のユニフォーム脱いだら、誰も見向きもしてくれないさ”ってね。齢取ってからじゃなく、現役バリバリの頃だよ。結局、頼るのは自分ひとりしかいない。それが森さんの本音なんじゃないかな。現役時代、同じ巨人のユニフォームを着ていても、森さんだけは味方であって味方でないような気がしたよ。でもね、組織には絶対、森さんみたいなタイプが必要。トウフのニガリみたいな人で、これがなければ(トウフは)固まりもしないし、味も出ない。V9だって森さんがいたから可能だったんです」

 瀧のコメントをそのままV9巨人の指揮官である川上にぶつけてみると、次のようなセリフが返ってきた。
「森は本当によくやってくれた。他の選手が何を考えているかまで逐一報告してくれた。試合になればキャッチャーが監督の代行。森はそれを音を上げずに最後まで実践してくれた」

 巨人のV9時代、阪急を率いて5度、分厚い壁に挑み、ことごとく跳ね返された西本幸雄は、森の印象についてこう語る。
「森は昭和34年頃まで藤尾の補欠やったんやが、音も無しに成り上がってきた。監督になってからの森は、これは実に巧くやっていると思う。特に日本シリーズの戦い方は絶品や。ワシの場合、短期決戦は“早く勝ってしまいたい”という気持ちが強いあまり、ことごとくしくじってもうた。しかも、シリーズ中、“ワシもよく、ここまでチームをつくったもんや”と自己満足するもんやから、スキができて引っくり返されてしまう。森にはそういう油断が全くないわな。ホンマ“7戦勝負や”とかいうて、あんなもの(日本シリーズ)を楽しんでいる森というヤツの気がしれん」

 しかし、と西本は言葉を切り、矛先を森野球の本質に転じる。「森の野球には男気がない」と喝破するのだ。
「向こう意気ちゅうのんかな、勝つことはもちろん大切なことやけど、ワシはこっちの方がもっと大切やと思うんや。野球はあくまでもスポーツ。勝っても負けてもお客さんを感動を残さんとあかん。これは森というより師匠の川上さんに原因があると思うんやけど、計算ずくで勝っても壮快感がないとワシは思うんや。確かにワシは日本シリーズで8度も負けたけど、強がりではなく後悔はそうない。自分の作ったチームが上り坂にあるという時の快感は優勝よりもええものや。それに清原や秋山がなぜピリッとせんのか、伸び悩んでいるのかというと、(森が)ひとつのコマとしてしか見ていないからと違うかな。彼らを球界の第一人者に育て上げれば、もっと楽に日本一がとれるかもわからん」

 近鉄時代、5年間にわたって森西武と激闘を展開し、89年にはほとんどハプニングに近いブライアントの4連発で、奇跡の逆転優勝をなしとげた仰木彬(オリックス監督)は来季、「森さんの官僚野球に人間臭い庶民派野球で対抗したい」と明確にカウンター・コンセプトを打ち出す。さらには「勝つことよりも勝ち方が問題なんです」と続ける。
「野茂は近鉄に入った年とその翌年、清原が相手になると目の色をかえてストレートを投げるんです。その結果、決まってホームランを浴びる。清原は野茂の心意気を読んでストレートを待っているんですから。もし、近鉄の監督が森さんだったら“チームに迷惑をかけるな。得意のフォークで勝負しろ”と言ってたと思うんです。でも、私はそれを一切、口にしなかった。それをやったらお客さんの夢を摘んでしまうことになる。また、野茂の男意気に水を差すことにもなる。“平成の名勝負”といわれる一騎打ちを台無しにしたくなかった」

 今季、最後の最後まで王者・西武を苦しめた大沢啓二日本ハム監督は、シーズン中、バント是非論をめぐって、森監督と対立した。非常にプリミティブな論争であったが、現在の球界が抱える問題の核心を衝くものであったことは否めない。
「オレはね、森に対して言ったわけじゃないんだよ、本当は。バントをやって石橋を叩いてランナーを進め、それを点に結びつける。それは結構なことだ。オレだって通算680勝している監督なんだ。バントの大切さくらい分かっていますよ。ただね、これをやり過ぎると、野球本来の魅力であるスリルとスピードが死んでしまう。オレはそこを皆で考えて欲しいと言っているんだ。今季、ウチは盗塁を130個決めたよ。ところが、セ・リーグはどうなんだ。巨人は39個、中日なんてたった29個だよ。全くひどいもんだよ」

 もちろん、森監督にも反論はあるだろう。監督の最大の条件はチームを勝利に導くことであり、面白い野球をすることでもなければ、過剰なファンサービスをすることでもない。大リーグの視点で言えば、それはむしろフロントの仕事である。もし球団が「面白い野球」を望むなら、フロントがエンターテインメント色の強い監督を連れてくればそれですむことである。人気のかげりを現場のフィールド・マネージャーの指揮に求めるのは、誤りであり、あからさまな“内政干渉”ではないのか。付け加えるに、いったいどんな野球をして「面白い野球」というのか。そこをきちんと問い直さなければ、森野球への批判は一方通行のままで終わってしまう。
 ただ、こうは言えるだろう。「勝利」という唯一無二だった価値観は、ワン・オブ・ゼムの中に埋没し、無謬の輝きも今や過去のものになりつつある、と。さらにいえば、ボーダレスの時代にあって、今や日本一というタイトルは仰ぎ見るような価値ではなくなったのだ。サッカー・ワールド杯予選での国をあげての熱狂を持ち出すまでもなく、プロ野球受難の最大の理由はそこにある。

 森祇晶はプロ野球受難の時代を支えた功労者なのか、それとも停滞を招いた戦犯なのか。その評価は後世に譲るとしても、彼ほど真剣にプロ野球と格闘した者はいなかったのではないか。孤高の指揮官の胸中は察するに余りある。
「今まではマウンドの所で並んでばかりだったが、ベンチの前で並ぶことがいかにみじめなことか、選手たちが感じてくれればそれでいい」
 落日に染まる球場に視線をあずけながら、冷徹な指揮官は淡々と語った。主力の高年齢化が前途に暗い影を落とすライオンズ。再建への道のりは辛く険しいが、それでも孤高の指揮官はとぼとぼと前を向き、地道に歩き続けるしかない。

(おわり)

<この原稿は『Number』(文藝春秋)1993年11月30日増刊号に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから