イチロー(マリナーズ)が少年野球の指導で子どもたちに「道具を大切にしなさい」と教えているのをテレビで観たことがある。さすがイチロー、いいことを言うなと思った。イチローの道具、すなわちバットやグラブへのこだわりは尋常ではない。
 あれは2年前のことだ、球審がバッターボックス付近に転がっていたイチローのバットを蹴飛ばしたことがある。
 それを見たイチロー、ベンチから審判に向かって珍しく大声を張り上げた。監督のジョン・マクラーレンが代わりに抗議しなかったら、ベンチから飛び出して審判に掴みかかっていたかもしれない。あんなに興奮したイチローを見たのは初めてだ。
 一方の審判は「何をそんなに怒っているんだ」と呆れた表情を浮かべていた。たかがバットじゃないか、と。

 どうやら道具に対する考え方が日本人と外国人とでは決定的に違うようだ。一木一草に神が宿ると考える日本人は、程度の差こそあれ道具を大切にする。
 翻って外国人はどうか。打てなかったら、その腹いせとばかりにバットを叩き折ったり、ブン投げたりしている。打たれたピッチャーは地面にグラブを叩きつけている。全員がそうだとは言わないが、もう数え切れないほどそんなシーンを見てきた。

 野茂英雄がドジャースに入団したばかりのことだ。ドジャースタジアム内の隣のロッカーをラウル・モンデシーというドミニカ人が使っていた。
 このモンデシー、普段は陽気なドミニカンなのだが、気性が激しくカッとすると手が付けられない。ある試合でチャンスで打席に立ったものの、ことごとく凡打に倒れた。

 機嫌がよかろうはずがない。ロッカールームに帰ってくるなり、自らのバットで鉄製のロッカーをガシャーン。丸太ん棒のような腕でバットが砕け散るまで叩きまくっていた。気の毒なのは何の罪もないバットとロッカーである。「そんなことにエネルギーを使うのなら、練習すればいいじゃないか」と思ったが、余計なことを言うと、どんなとばっちりを受けるかわからない。野茂も無視を決め込んでいた。

(後編につづく)

<この原稿は「Voice」2009年6月号に掲載されました>
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