「ちょっと技をかけてくれないか……」
 冗談のつもりで右手を差し出すと、太り気味のイギリス人は目にも止まらぬ速さで私の腕をとり、あっという間にロックしてしまった。
 次の瞬間、ヒジの関節に鈍い痛みが走り、恥ずかしながら私は大声を出してしまった。
 イギリス人のそばにいたコーチの宮戸優光(元UWFレスラー)が、眉間にシワを寄せていった。
「冗談通じないから、やめた方がいいですよ」
 私は不明を恥じた。と同時に、ドッと体中から冷や汗が吹き出した。
「このイギリス人に利き腕を差し出すということは、腹をすかせたライオンの口に頭を突っ込むようなものではないか……」
 関節とあらば、親でも犬でも決めてしまうのが、彼らの仕事である。自ら差し出すということは自殺行為に他ならない。夏でも長袖の中にヒジを隠し、関節など持ち合わせていないように振る舞わなくてはならないのだ。
 うれしさのあまり、私はそれを失念してしまっていた。
 目の前のイギリス人が少年の頃からのアイドルだったからである。

 人間風車――ビル・ロビンソン。
 彼こそは人生において、初めてカルチャー・ショックなるものを教えてくれた人物であった。
 1960年代後半から70年代前半にかけて、マット界は凄玉の外国人レスラーの独壇場だった。
“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック、“魔王”ザ・デストロイヤー、“黒い魔神”ボボ・ブラジル、“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノ、“アラビアの怪人”ザ・シーク、“荒法師”ジン・キニスキー、“粉砕者”クラッシャー・リソワスキー、“無法者”ディック・ザ・ブルーザー……。
 ニックネームが示すように、日本プロレスにやってくる外国人のトップは全米に名の知れ渡ったヒール(悪役)ばかり。流血なんて、日常茶飯事だった。
 そんななか、日本プロレスのオポジション勢力として国際プロレスが誕生した。1967年のことだ。
 アメリカのマーケットを日本プロレスに押さえられ、外国人ルートの確保に迫られた同プロの吉原功社長は外国人の供給源をヨーロッパに求めた。
 そのエースとして白刃の矢を立てられたのがイギリスのウィガンにあったビリー・ライレージム出身のビル・ロビンソンだった。

 ビリー・ライレージム――この素敵な名前を目にして、胸がときめいたアナタは相当のプロレス通である。今日からでも「ご同輩」と呼ばせていただきたい。
 ビリー・ライレージムはその名のとおり1910年代から20年代にかけてランカシャー・スタイル・レスリングの雄といわれたビリー・ライレーが創立したジムで、梶原一騎作の劇画『タイガーマスク』における「虎の穴」のモデルとしても日本に紹介された。
 ご同輩、覚えているだろうか? タイガーマスクの主人公・伊達直人と盟友・大門大五が鉄橋から宙吊りにされながら腹筋を鍛え上げたあの名シーンを。「虎の穴」といえば、泣く子も黙るスパルタ方式のレスラー養成所だった。
 余談だが少年の頃、東京にも「虎の穴」があると聞いて、愚父に「夏休みに連れてってくれ」と頼むと、そこは「虎の門」だった。
 話を戻そう。ビリー・ライレージムはランカシャー地方では「SNAKE-PIT」(蛇の穴)と呼ばれていた。なぜそう呼ばれるようになったかについては「ウィガンの町にはPIT(炭鉱の坑口)が多かった」「ジムは(レスリングを追及するあまりの)変人(ヘビ)のたまり場だった」「ヘビが獲物を襲うようなトレーニングを行なっていた」など諸説あるが、まぁ、どれも当たらずとも遠からずだろう。

 ビル・ロビンソンは「虎の穴」ならぬ「蛇の穴」の優等生として日本にやってきた。そして代名詞とも言える必殺技、ダブル・アーム・スープレックスを披露した。そう、人間風車である。
 1968年4月、国際プロレスの「日欧チャンピオン決戦シリーズ」で初めて披露した時の衝撃といったら、それはもう筆舌に尽くし難いものがあった。なにしろ弧を描いて人間が宙を舞うのだ。同じプロレスでも、彼は異文化の水先案内人だった。
「あなたにとってレスリングとは?」
 目の前の元アイドルに私は訊ねた。
「それは肉体のチェスのようなものだ。とりわけ大切なのはハートとコンディションだ。車にたとえていえば、ハートがエンジン、コンディションがガソリンといったところだろうか。これにテクニックとパワーが加わる。この4つがうまくコンビネーションされれば、もう何も恐れることはない。パーフェクトということさ」
――代名詞ともいえる人間風車は誰に教わったのか?
「ギディオン・ギダというレスラーさ。ただスープレックスという呼び名は日本だけのものなんだよ」
 ロビンソンは2年前から日本に住みつき、現在は東京・高円寺にある「UWF・スネークピットジャパン」というジムでコーチをしている。
「家族は?」
 と問うと、
「もうとっくに別れちまったさ」
 と言って、寂しそうに笑った。
――ところでなぜ、日本でコーチを?
「いま、日本の子供はコンピュータやゲームばかりに熱中していてスポーツをやろうとしない。しかし、この国には柔道や相撲を始めとする格闘技の伝統がある。もう一度、自分の力でサムライスピリッツを呼びさましたいんだ。サクラバ(桜庭和志)、タムラ(田村潔司)……。彼らのような強いレスラーを、自らの手で育て上げてみたいんだよ」
 異文化の水先案内人が教示する肉体の帝王学――魅惑のカルチャーである。

<この原稿は2001年4月20日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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