「何か別世界にいるような感じでした。夢の中を走り終え、目がさめると、ゴールの2メートルくらい先にランニングタイムが出ていた。9秒99、アレッて感じでした。まだ余力を残していたし、タイムにこだわったわけでもなかった。確実に(準決勝では)1番に入り、決勝では金をとる。考えていたのは、そのことだけでしたから……」
 昨年12月13日、バンコクでのアジア大会、陸上男子100メートル準決勝で日本の伊東浩司は10秒00という脅威の日本記録をマークした。
 フィニッシュの直後、ゴールタイマーが示した数字は「9.99」。東洋人初の9秒台かと場内はどよめいたが、正式タイムは「10.00」。それでも堂々のアジアレコードだ。しかも今季世界10位タイ。決勝での走りにそなえラスト5メートルを流さなかったら、9秒台突入はまず間違いなかったであろう。
「あれは走ったのではなく、腰が移動したというイメージなんです」
 伊東は興味深いセリフを口にした。走りきって足がちぎれそうになったとか、心臓が口から飛び出しそうになったというコメントを予想していた私には、いささか意外な感想だった。

「腰、ですか?」
「ええ、腰なんです。それも骨盤が動き、足はそれについていっただけ。かつてマイケル・ジョンソンが“足は空中を掻いているだけ”と言ったことがあるんですが、それと同じような感覚でした。そう、すべては骨盤がやったことなんです」
 周知のように、伊東は100メートルのスペシャリストではない。「短距離のキングは200」というのが伊東の口癖であり、100メートルで金メダルを獲った4日後、200メートルでも20秒25(大会新、自己2位。自己最高は20秒16で日本記録)という好タイムで優勝を果たした。400メートルリレーでも金メダルを獲得した伊東は三冠となり、同大会のMVPに輝いた。

 ある人物との出会いが、伊東をアジア最高のスプリンターに成長させた。1992年冬、伊東は鳥取市内でトレーニングジム「ワールド・ウイング」を経営する小山裕史のもとを訪ねた。中学時代の恩師・池野憲一郎の紹介だった。
 当時の伊東は同年夏に行われたバルセロナ五輪のメンバーにこそ加わったものの、出場機会は与えられず、本人の言葉を借りれば「極力、オリンピックの話題から離れたい」時期だった。100メートルのタイムは「確か10秒8くらい」(小山氏)。
 もちろん世界的には全くの無名選手だった。

 会うなり小山は感じた。
「筋肉のつき方がよくないなあ……」
 当時の伊東は今に比べると太股とヒップが細く、逆にヒザとふくらはぎが太かった。小山流に言えば、これはランニング、とりわけ短距離には向かない体型だった。
「しかし、そこを直せば10秒を切れる逸材。いずれ、マイケル・ジョンソン、カール・ルイスと並んで走る時期がきますよ」
 小山は人に会うごとに、そう吹聴した。
 誰もが怪訝な表情を浮かべた。無理もない。マイケル・ジョンソン、カール・ルイスといえば世界のトップランナー。伊東にすればレーンに映る影さえ踏めないような存在だったからだ。

 では、小山はいかにして伊東の筋肉構造の改造に乗り出したのか。その裏付けとなったのが小山の提唱する「初動負荷理論」である。
 初動負荷理論――簡単に言えば、人間の動作は最初にだけ負荷をかけ、筋肉をバネのように働かせるのが効果的という理論をいう。その逆が終動負荷理論。動作の最初から最後まで負荷をかけるゴムチューブを使ってのトレーニングなどが、その代表例である。
 なぜ初動負荷理論が是で終動負荷理論は非であると小山は主張するのか。
 前者に比べ、後者は著しく血圧が上がる。血圧が上がれば心臓などの循環器によけいな負荷をかけることになり、乳酸が蓄積されて体に疲労が残るというのである。加えて終動負荷のトレーニングは初動負荷に比べ、筋肉を硬化させる。やわらかい筋肉が瞬発力を生み出すことはあっても、その逆はないというのが小山の考えなのだ。

 こうした理論に従って筋力のトレーニングを行い、次に重点的に鍛える部分を設定した。それが下半身で言えば股関節周辺、上半身で言えば肩胛骨周辺、いわば「根幹部分」である。これに対し、上腕から下、あるいはヒザ周辺から下を「末端部分」と呼び、増強の対象からは除外した。
 小山は言う。
「力を生むのは根幹部分。末端部分は力を伝えるだけなんです。それに効率のいい動き方を考えたとき、根幹部分を鍛えた方が重心の移動がスムーズにいく。私に言わせれば、末端部分を中心に鍛えていた従来のトレーニング法それ自体が間違いなのです」
 こうしたトレーニングにより、伊東の筋肉構造は激変した。アトランタ五輪(96年)後の測定では、ふくらはぎは42センチあったのが39.8センチに、逆に太股の54センチは61センチに、ヒップは88センチから102センチにと、逆三角形の形状を描くようになった。
 根幹部分が太く、末端部分が細い――これは言ってみれば足の速い動物の筋肉構造である。典型的なのが競馬のサラブレッドだ。ともの肉がバーンと張り出しているかわりに、ヒザから下は枝のように細い。脚そのものが完全な逆三角形になっているのだ。
 ももの肉、すなわち太股を鍛えると言っても、より重要なのは太股の裏側の筋肉である。これを鍛えることにより「骨盤を前に立ち上げることができる」というのが小山の理論である。

 少し説明が必要だろう。日本人は白人や黒人に比べ、先天的な身体構造として骨盤が後傾している。これを前傾に保つことによって出力が容易になり、水平速度が高まるというのだ。早くトップスピードに入り、それを最後まで持続する。これが100メートルにおけえる理想の走法なのだ。
 かつて日本人のスプリンターは、例外なく前半に強く後半に弱かった。
 脚が短く、股関節が屈曲しているため、低い姿勢からの飛び出し、つまりダッシュは抜群に切れる。
 往年の名スプリンター飯島秀雄がそうだった。東京五輪、メキシコ五輪ともに飯島は準決勝で敗退し、国民の期待にこたえられなかった。50メートルまではトップを走りながら、6、70メートルあたりで失速し、並ぶ間もなく追い抜かれ、引き離された。飯島の、そして日本スプリンターの限界が70メートル地点に凝縮されていた。
 かつて飯島は語ったものだ。
「ホント、自分が情けなかったよ。70メートル付近から急に体が前へ進まなくなるんだから。肩の筋肉が硬直し、ストライドが広がって体が上に跳ぶような感じになるんだ。悔しかったよねえ。“なんで動かないんだよ”と言いながら、ゴールした直後に脚を叩いたりしたものなあ。抜かれるってのは、そりゃみじめなもんだよ」

 飯島が決まって70メートル付近で失速するのには理由があった。スタートダッシュの際、ロー発進でエンジンをふかしすぎたツケが後半になって回ってくるのだ。そのツケを支払いきれる肉体をつくろうとして悪戦苦闘し、可能性の臨界点を70メートルにまで延ばしたところで、飯島の挑戦は終わったのである。
 伊東にその話しをすると、彼は「私にはローで発進するというイメージはありません。サードくらいで出ようとイメージしています」と語り、さらに続けた。
「できるだけローの場所をつくらないようにとは考えていますが、調子が悪いとどうしても最初の動きがローになってしまう。するとギアを替えるのに時間がかかってしまい、トップの時間が短くなるか、トップに行く前に力を使い果たしてしまう。スタートは遅くなってもいい、あえてローから出る必要はない、というのが私の結論です」
 ロー、セコ、サード、トップ――ギアを切り替えるということは、すなわちそのつど重心を移動させるということにほかならず、よけいな時間を使い、体を疲労させる。ベン・ジョンソンがロケット・スタートで飛び出したまま、後続に影すら踏ませず逃げ切れたのはドーピングの力を借りたからだった。生身の人間は、こうはいかない。

 伊東の話をうけて、小山は言った。
「スタートの際、ブロックをガーンと蹴るのはよくないんです。勢いよく蹴って、蹴り足が伸びると慣性モーメントが大きくなり、足が間に合わなくなるんです。これでは筋肉が早く疲労します。それよりブロックから離れるという意識が大切。“位置について”の合図で体のスイッチをオンにし、“ヨーイ”で腰を上げて位置エネルギーを保ち、“ドン”でブロックから離れる。こうすると筋肉の初動作とタイミングが合い、筋肉のダメージも少ないんです」

(後編につづく)

<この原稿は1999年3月号『月刊現代』に掲載されたものです>
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