なぜ、わざわざ表彰台にまで上がって黒手袋の拳を突き上げなければならないのか。当時、8歳の私にはその理由がさっぱりわからなかった。
 黒手袋の主は陸上男子200メートルで金メダルを獲得したトミー・スミスと銅メダルに輝いたジョン・カーロス。1968年、メキシコ五輪での出来事だ。二人とも米国の黒人アスリート。奇異に映った行為が黒人差別への抗議行動だったと知るのは随分、後になってのことだ。
 メキシコ五輪では女子体操で4個の金メダルを獲得したチェコスロバキア(当時)のベラ・チャスラフスカ(東京五輪では3個の金メダル)が表彰台でソ連(当時)の国旗から目をそむけ、その行為に耳目が集まった。彼女の無言の抵抗が軍事力でチェコの民主化を押し潰そうとしたソ連への抗議行動であったことを知るのは、これまた随分、後になってからのことだ。
 それこそ造反有理。アスリートたちの反抗の背景には、それなりの理由があることを五輪は教えてくれた。

 バンクーバー五輪スノーボード・男子ハーフパイプ代表・国母和宏の服装が物議をかもしている。いわゆる腰パンにシャツ出し。ネクタイも緩み切っていた。
 JOCは「国際競技大会における日本代表選手団公式服装着用規定」なるドレスコードを制定している。国母の服装が抵触したとしたら、第2条だろう。<日本代表選手団に認定された者は、その自覚と誇りを持って選手団公式服装を着用しなければならない。>
 代表選手は国費で海外に派遣される。つまりは国民の税金だ。自分のスタイルを貫きたいのであれば「自腹でいけ」ということになってしまう。型破りな着こなしも自己主張の一部というのなら、それはあまりにも幼い。

 しかし、それ以上に理解し難いのは、彼はいったい何が不満で、何に反抗していたのか、その理由と動機である。私には岡崎朋美の「もうちょっと違うところにエネルギーを使ってほしい」との意見のほうがストンと胸に落ちた。
 だがアスリートには言葉ではなくパフォーマンスで汚名を返上できる特権がある。「弱い悪童」ではシャレにならない。自らが播いたタネとはいえ、国母にも意地があるだろう。かくなる上は「やはりこの男、ただ者じゃないな」と思わせるような乾坤一擲の滑りを見せてほしい。

<この原稿は10年2月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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