2010年3月29日、都内で『第6回東京カープ会』が開かれた。約360人のカープファンと5人のパネリストが一堂に会し、熱い議論を交わした。
 今季のカープは4年間指揮を執ったマーティ・ブラウンが去り、赤ヘル魂の継承者である野村謙二郎を監督に迎えて新たなスタートを切った。新生カープは「12年連続Bクラス」という長い冬の時代にピリオドを打ち、春を迎えることはできるのか。
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二宮: この間、1991年の日本シリーズについて、ある雑誌で記事を書くので、当時の関係者に取材をしたのですが……。
川口: 第6戦に僕が鈴木康友に逆転タイムリーを打たれて負けたシリーズですね。

二宮: 当時、西武のバッターが「こんな速いピッチャーはパ・リーグにはいない」と口を揃えて言っていました。あの時が一番よかったのでは?
川口: 確かに91年は一番良かったですね。僕の球が一番速かったのはあの年でした。

二宮: 秋山(幸二)が「速すぎて、バットがびくとも動かなかった」と言っていました。では第6戦の6回裏、1点リードした場面でリリーフして、鈴木康友に打たれたのはなぜでしょう?
川口: 彼の人生はあれで変わりましたからね(笑)。実は、あの時、僕が行く予定ではなかったんです。「とりあえずブルペンで肩を作っておけ」と言われていました。ですが肩を作ろうにもパンパンに張っていて、メンソレータムをいっぱい塗っているという状態。それに、西武球場って寒いじゃないですか。だから肩がなかなかできなかった上に、急に「行くぞ」って言われて。もう、心の準備はできなかったですね。

二宮: 打たれたのも悪いボールではありませんでしたね。
川口: あれは厳密に言えばボールですよ。ボールカウントが2−0だったのでインハイの高目にボール球を投げて、外に落ちる球で打ち取ろうと考えていました。

二宮: 外したつもりだったのに、打たれてしまったと。
川口: ちょうど康友君のストライクゾーンに入ってしまったのかもしれませんね。

二宮: さて、小早川さんは「山本浩二の後は小早川だ」ということで相当な期待を背負っていましたが、本当に大事な時に打ってくれるバッターでしたね。
小早川: カンの鋭いバッターでしたからね。

二宮: 打率もいつも3割近くを打っていました。私は「体は大きいけど打率も残せるバッターだな」と思って見ていました。
小早川: 今でこそスポーツ新聞が盛んですが、当時は一般紙が主流でした。一般紙では打率10位まで載せてもらえるので、何とかそこを目標に頑張っていましたね。

二宮: 86年の日本シリーズの初戦では、2点ビハインドの9回に東尾(修)さんからホームランを打ちました。続く山本浩二さんもホームランを打って同点になり、そのまま引き分けに持ち込んだ。結果、このシリーズは8戦目までもつれこむことになりました。あのシーンもいまだに印象に残っていますね。
小早川: 第1戦は広島市民球場で迎えたのですが、9回まで東尾さんをなかなか打てませんでした。「東尾さんを打つには、シュートを何とか打たなければいけない」と思っていたので、あの打席はシュートに的を絞っていましたね。シュートを流すのではなく、強引に引っ張ってライト方向へ打とうと。うまく打てました。

二宮: 皆さんの小早川さんに対する印象と言えば「クラッシャー」だろうと思います。江川(卓)を引退に追い込むホームランを放ちましたし、ヤクルトに移籍してからは、開幕戦で斎藤(雅樹)から3連発を放ったこともありました。あれ以来、斎藤は輝きを失いました。セ・リーグのエースピッチャーを2人潰したんです(笑)。
小早川: 巨人戦は非常に注目されますからね。そういう舞台が好きでした。ねえ、川口さん。

川口: 僕は古葉監督に「お前はヤクルト戦と大洋戦は投げなくていい。全然気合が入ってない」と言われました(笑)。「お前は阪神、巨人、中日戦でローテーションを回す」って。
小早川: 皆がそういう雰囲気だったんですよ。注目を浴びるような巨人戦だとか、全国中継のある試合だとか。そういう日は自然と気合いが入りましたね。

二宮: 江川さんからホームランを打った時、江川さんはガクッと膝をつきました。「ショックを受けているな」っていうのはわかったでしょうが、まさかあれで引退を決意するとは思わなかったでしょう?
小早川: 思わなかったですね。シーズンが終わって江川さんが記者会見を開いたのですが、その内容を聞いた時には、本当にビックリしました。そこから僕の周りの記者たちが「あの1球はどういう1球だったんですか?」ってなり始めて……。

二宮: あれで小早川さんの人生も変わったのでは?
小早川: 変わりましたね。ちょうど僕はあの日、秋季キャンプが行われる日南に向けて出発するところだったんですよ。だから駅のホームに記者がいっぱい来て、危うく新幹線に乗り遅れるところでした。

(Vol.3につづく)
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小早川毅彦(こばやかわ・たけひこ)
1961年11月15日、広島県出身。PL学園高から法政大に進み、東京六大学で三冠王を獲得。84年にドラフト2位で広島に入団。1年目からクリーンアップを任され、同年のリーグ優勝に貢献。新人王を獲得した。87年には巨人・江川卓から引退を決意させる一発を打つなど印象的な活躍をみせた。97年にヤクルトへ移籍。開幕の巨人戦で3打席連続本塁打を放ち、同年、チームは日本一に輝く。99年限りで引退し、06年からはマーティ・ブラウン監督の下、打撃コーチを務めた。通算成績は1431試合、1093安打、171本塁打、624打点、打率.273。






川口和久(かわぐち・かずひさ)
1959年7月8日、鳥取県出身。鳥取城北高校から社会人野球チーム・デュプロを経て、80年広島にドラフト1位で入団。長年、左のエースとして活躍する。87、89、91年と3度の奪三振王のタイトルを獲得。94年にFA権を得て、読売ジャイアンツに移籍。96年にリーグ優勝を果たした際には胴上げ投手となった。98年シーズン終了後に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗、防御率3.38。現在、解説者の傍らテレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。





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