「中盤からも前からも選手が返ってくる。後ろだけで守り切れるわけじゃありませんから。その意味では誰というわけじゃなく、全員の守備の勝利ですよ」
 試合後、表情を緩めることなく、秋田豊は言った。
 20世紀最後のJリーグチャンピオンシップは鹿島アントラーズが制した。
 横浜F・マリノスを相手に初戦0対0のスコアレスドロー。続く第2戦は3対0の完勝。アントラーズの鉄壁の守備網は最後まで崩れなかった。
 勝因の第一は、年間通じて30試合で27失点という守りの固さ。セカンドステージに限れば15試合でわずか10失点。もちろんJリーグ最少の被ゴール数だ。
 横浜とチャンピオンシップを戦うにあたり、アントラーズに求められた最大のテーマは司令塔・中村俊輔をいかに封じるかだった。
 左足のマジシャンにボールを自由に扱わせないことが戴冠への近道だった。
 このアントラーズの狙いは、まんまと的中した。中村が中盤でボールを持とうとするとボランチの中田、熊谷が、あたかも警備艇が不審船を拿捕するように襲いかかり、それでもわずかなスキを突いて突破をはかろうとすると攻撃的MFの小笠原、両サイドバックの相馬、奈良橋も囲い込みに参加し、行く手を封じた。
 執拗なマークを受け、行く手をなくしたマジシャンは仕方なく後方に退くか、タッチライン際に仕事場を探すしか、打つ手がなかった。
 この大捕り物の指揮を執っていたのが30歳の秋田豊だった。
「監督のトニーニョ・セレーゾが、はっきり言ってましたよ。俊輔が第一の危険人物だって。マリノスはどんな攻撃も俊輔が起点になって始まるんです。
 彼くらいの選手はフリーにすれば何でもできる。ただ、プレッシャーを受けて、どれだけできるかが、その選手の本当の価値。どれだけプレッシャーを受けようが90分の中で1回か2回は決定的なチャンスをつくらなければ。ジーニョ、サンパイオ、レオナルド、ジョルジーニョ……。彼らがそういうプレーヤーでした」
 サッカーにおけるディフェンスの基本は“外へ外へ”である。ディフェンダーは危険な選手を少しでもゴールから遠ざけようとする。しかし、それも時と場合、そして人による。
「俊輔のように左足に絶対的な自信を持つ選手は中に入らせてもいいから、右足で蹴らせるシチュエーションにすればいい。たとえ(パスやシュートの)コースが広がったとしても(左足よりは)右足の方が止めやすい。確率論から言っても右足で蹴らせた方が危険性は低くなるんです」
 かつてアントラーズのストライカー、平瀬智行から、こんな話を聞いたことがある。
「ブラジルに行って学んだことがひとつある。それはプレーの汚さ。アイツら、僕が危険なポジションにいると何食わぬ顔をして近付いてきて、僕のお尻の穴にサッと指を入れるんです。もちろん、そんなことされて力が入るわけがない。こういう“裏技”を彼らは、いくつも持っているんです」
 秋田にこうした“裏技”を使うことがあるかと聞くと、手を振って一笑に付した。
「僕らはそんなことはやりません。汚いプレーは好きじゃないですから」
 でもね、とこちらの目をのぞきこむように続けた。
「相手が先に仕掛けてきた時には話は別ですよ。やられたらやり返さないとね。何もやり返さなかったら、こちらはナメられるだけ。やっぱりディフェンスの選手には、ある程度の怖さが必要だと思うんです。怖さがあると相手も気になってミスを犯しやすい。逆に1度ナメられると、簡単に前を向かれてしまう。だから厳しくいかなければならない」
 Jリーグ草創期からのレギュラー。アントラーズの3度の日本一に、いずれも貢献している。屈強さと判断能力の良さを買われてサイドバックからセンターバックに転向し、98年のワールドカップフランス大会では堅守の立役者となった。
 アルゼンチンのバティストゥータを封じ、クロアチアのスーケルを止めた。ピッチの上での彼は寡黙なサムライだった。
 振り返って秋田は言う。
「バティストゥータだからといって、プレッシャーがかかるとか、そういうことは全くなかった。既にその頃、Jリーグにはストイコビッチやスキラッチといった世界的なアタッカー、ゲームメーカーがいて、僕たちには彼らとやっているという自信があった。だからワールドカップだからといって恐れることは何もないと。やはりJリーグで得た自信は大きかったですよ」
 参考までに聞いてみる。
――これまで対戦した中で最高のストライカーは?
「ウ〜ン、ガンバのエムボマかジュビロのスキラッチでしょう。エムボマはとにかく身体能力が図抜けていた。ただ、当時のガンバはエムボマだけのチームだったので、彼ひとりマークしていればよかった。
 もうひとりのスキラッチは集中力の凄さを教えてくれた。それに、とにかく速い。ディフェンダーからして、一番嫌な相手というのは、こぼれ球に対する反応がよく、確実にゴールに結びつけてくる、まさに彼のようなプレーヤー」
 99年のコパ・アメリカでは「強さと勇気とハードマークを併せ持つ本物のライオン」とパンフレットで紹介された男が、このところ、代表のメンバーから消えている。こういう時、プレーヤーにできることと言ったら、コンディションを維持しながら、ただ待つことのみ。
「代表ですか? 必要とあれば呼ばれるし、必要でなければ呼ばれない。ただ、それだけのことですよ」
 年輪に彩られた達観したような話しぶりが頼もしいと感じるのは、私だけではないはずだが……。

<この原稿は2001年2月『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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