7月の中頃、セ・リーグの打撃成績の欄から横浜・多村仁外野手の名前が消えた。さる6月29日、神奈川県内の高速道路を運転中に事故を起こし、左肩や目を強打した。調子が良かっただけにチームにとっても本人にとっても残念なアクシデントとなった。
 事故を起こすまで、多村は打撃3部門で三冠王を狙える位置につけていた。6月28日の時点で打率3割4分4厘(1位)、21本塁打(1位)、53打点(4位)。守りもよくバットとグラブでチームを支えていた。
 今季のセ・リーグのペナントレースは本命視された巨人が早々と優勝争いから脱落するなど「想定外」の展開となった。その波乱を演出したのが多村のバットである。
 4月5日、横浜スタジアムでの巨人戦。3対3の同点で迎えた延長12回裏一死一、二塁の場面。マウンド上は巨人の新外国人クローザー、ダン・ミセリ。内角低目のスライダーを叩くと、打球はセンターのフェンスを直撃した。自身、プロ入り初のサヨナラヒット。「軽く振ったつもりだったのに、あそこまで飛ぶとは……」。多村は屈託のない口調で振り返った。

 二日後の4月7日のゲームで、多村はピリッとしないミセリを再び血祭りにあげる。6回、敗戦処理に降格したミセリのカットボールをライトスタンドに叩き込む。これがミセリとの最後の対決なった。
「こんなリトルリーグみたいな(小さな)球場でやっているからこうなるんだ!」
 やつ当たり気味の暴言がロッカールームに虚しく響き渡った。
 抑えの切り札として期待していた新外国人が評判倒れに終わったことで、巨人は出鼻をくじかれ、軌道修正を余儀なくされた。ミセリに引導を渡した張本人が多村だった。
「ミセリの持ち球はストレートにカットボール、スライダー。カットボールもスライダーもストレートとほとんど変わらなかった。少なくとも“曲がっているな”という感じはありませんでした」

 多村はプロ入り10年目の昨季、初めて規定打席数に到達し、打率3割5厘、40本塁打、100打点と大ブレークした。日本人がホームランを40本台に乗せたのはチーム史上初の快挙だった。
 そして迎えた今シーズン、多村はパワー、確実性ともに磨きをかけ、事故を起こすまでは「セ・リーグ最強」の趣さえ漂わせていた。昨季よりも、どんな点が「進化」したのか?

「体に切れがある時は、インコースのボールがスパンときれいに振り抜けるようになったんです」
 そう前置きして、多村は次のように説明した。
「昨年の日米野球で西武の和田(一浩)さんやソフトバンクの城島(健司)たちと話す機会があったんです。2人ともインコースの打ち方は別格と呼べるほどうまい。
 で、どうすれば打てるのかと聞くと“右足寄りに軸をつくって回ればいい”と言うんです。そんな練習もしていると。
 しかし、これがなかなか難しい。体に切れがある時はいいが、切れがなくなると呼び込み過ぎてポップフライになってしまうんです」

 多村は今季からスタンドティーを用いてバッティング練習を行っている。スタンドティーを体の近くに置くことで、これまでよりも「ボールひとつ分」引きつけて打つことが可能になった。
「これはメジャーリーガーがよくやる練習法なんです。ウチの新外国人のケビン・ウィットがずっと練習をやっていたので僕も取り入れたんです。
 これは効果がありました。実際に打席に立っていて“アッ”と思った時でも、ボールに合わせることができる。それだけポイントが近くなっているということでしょう。
 この練習によってボール球を振らなくなった。2−3のカウントでも、今季はほとんど三振をしていないはずです」

 ブレークするのに時間がかかった。高校野球の名門・横浜から94年の秋、ドラフト4位で入団した。97年に一軍デビューを果たしたものの、98、99の2年間は一軍のゲームに一試合も出場していない。
 ケガに悩まされた。97年、東京ドームでの巨人戦でバックホームしようとしたところ、カットマンがいない。そこで慌てて別の内野手に返球した瞬間、右肩が「ブチッ!」と音を立てた。
「すぐに“やっちゃった”とわかったんですが、下(二軍)に落ちたくなかったものだから、そのまま我慢して試合に出続けた。やがて右腕は上がらなくなり、箸も持てなくなってしまった……」

 98年のシーズン前、手術を考えたが、当時の権藤博監督に「センターで使うから手術は待て」と言われた。しかし、痛みは一向に引かない。メスを入れると肩板が骨からはがれていた。
 98年といえば、横浜が38年ぶりのリーグ優勝、日本一を達成したシーズン。多村は優勝の輪に加わるどころか、美酒のしずくにさえ預かることができなかった。
 振り返って多村は言う。
「あの時は悔しかったですね。優勝の瞬間も球場ではなくテレビで見ていました。自分がその場にいないんだから、正直言って素直には喜べませんよね。なにしろずっとリハビリでファームの試合にさえ出場できなかったんですから……」

 今も多村の右肩には3本のボルトが入っている。抜くと再び肩板がはがれてしまうのだという。
――飛行機に乗る時、金属探知機が反応してブザーが鳴るのでは?
「それを心配したのですが、何とか大丈夫でした」
 クールな男が、かすかに笑った。
 チームはどうにか5割前後をキープしている。02年から3年連続最下位。「今年こそ最下位を阻止する」を合い言葉にシーズンを迎えた。
「個人の目標は立てません。個人プレーに走ってしまう気がするから。それよりも目の前の試合に全力を尽くしたい」
 アクシデントの借りはグラウンドで返すしかない。

<この原稿は2005年9月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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