今やプロ野球界屈指の守備の名手と言われる宮本慎也は、適応能力の高いプレーヤーだ。
 レギュラーに定着したプロ3年目以降、ショートストップとして6度のゴールデングラブ賞を獲得した宮本は、2008年のシーズン途中からサードにコンバートされた。それまでショートストップとして、不動の地位を築いていた彼も、03年以来ゴールデングラブ賞からは遠ざかっており、多少の衰えも感じられていた。しかし、宮本はサードでも堅守ぶりをみせた。翌年から2年連続でゴールデングラブ賞に輝き、再び名手として返り咲いたのだ。
 40歳になった今もなお、堅固な守備を見せている宮本。その職人技と称される守備の原点を、03年の原稿で振り返る。
<この原稿は2003年9月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 アテネ五輪アジア最終予選を戦う「長嶋ジャパン」の代表候補33名にスワローズの宮本慎也が選ばれた。
「うれしいというよりは身の引き締まる思いです」
 選出の感想を口にしたあとで、こう続けた。
「多分、守りを買われたんだと思います。国際大会であまり打てるとは思わないけど、セーフティなど足を使う攻撃も大事。そういうふうにやっていかないと、最終的には選ばれないでしょう」

 宮本慎也といえば、いぶし銀のショートストップである。
 PL学園から同志社大、社会人のプリンスホテルを経て95年にスワローズへ入団。97年からレギュラーに定着し、ショートのポジションでゴールデングラブ賞に5度輝いている。
「内野手にとって一番大切なことはピッチャーが打ちとった球を確実にアウトにすること。ファインプレーもいいのですが、まずは確実にアウトにすることです」
 宮本の守備は派手さがないが、堅実だ。とりたてて足が速いわけでも肩が強いわけでもないのだが、難しいゴロを難なくさばき、確実にファーストでアウトにする。ポジショニングの良さと、フィールディング、送球の正確さは球界でも屈指だ。

 いかにも職人らしい、こだわりの口ぶりで宮本は言う。
「一番難しいのは一打席目です。その日のピッチャーの調子、バッターの調子が掴めないうちは打球を予測しづらい。その意味で向こうの打順が一巡するまでは気を遣います」
――守りづらいバッターは?
「巨人なら元木大介。横浜なら小川博文さんか中根仁さん。彼らは一球ごとに打つ方向を変えてくる。一球一球配球を読みながら引っ張ったり、おっつけたりするので、こちらも大幅にポジションを変えることができない。
 そういう時はキャッチャーの古田さんから指示を仰ぐようにしています。古田さんがよく手で内野を右に動かしたり、左に動かしたりする場面を目のあたりにしたことがあると思いますが、ほとんど当たりますね。本当に助かりますね」
――逆に守りやすいバッターは?
「阪神のアリアスや巨人の江藤智さんは守りやすいですね。アリアスなんかは三遊間に寄っていてもゴロでセンター前に抜ける打球を打たれることはほとんどありません。それは江藤さんにしても同じことが言えますね」

 ショートストップというポジションは、どんな打球にも対応しなくてはならない。内外野通じて最も難易度の高いボールが飛んでくる。ただ止めるだけでは意味がない。ファーストで殺して初めて仕事は完了する。
 ポジショニング、フィールディング、スローイング――。この3つの技術のうちのどれかひとつが欠けても、ショートストップとしては機能しない。
 とりわけ宮本の守備を見ていて、驚かされるのは、スローイングの正確さだ。ファーストへの暴投はほとんど記憶にない。
 ボールを手渡して問うと、宮本は「薬指の使い方を意識しているからでしょう」と言った。聞き手としては水中にウキがピクンと沈んだ瞬間の手応えだ。
「元メッツの小宮山(悟)さんが“ボールの軌道をつくるのは薬指だ”と言ったのですが、僕もその通りだと思いました。
 ボールを支える薬指の位置がずれたり浮いたりすると、ボールの軌道がつくれないんです。抜けてしまって暴投になることが多いですね。逆に深く握ってしまうのもダメです。
 僕は子供の頃、団地に住んでいました。よく壁にボールをぶつけて遊んでいました。素早く捕って投げる。しかもチョークで書いた的の中に。正確に投げるためには薬指の位置を安定させなければならないんです。
 高校(PL学園)の頃のバッティング・ピッチャーもよかったのかもしれない。1年生の頃、3年生相手に毎日200球から300球投げさせられたのですが、いいボールを投げないと怒られる。それで同級生がコントロールのいい僕に“宮本行け!”と言うんです。
 ちゃんと投げないと大変です。先輩から叱られます。そういうこともあってコントロールが身についていった。知らない間に薬指の使い方を覚えたのかもしれません」

 PL学園の1年先輩には甲子園で春夏連覇を達成した立浪和義(現ドラゴンズ)や片岡篤史がいた。
 監督は名将・中村順司。甲子園で6度の全国制覇は史上最多だ。
 中村は守りの指導も合理的だった。普通、高校野球レベルだと「しっかり守って、しっかり投げろ」という指導者がほとんどだが、中村は「ボールを掴まなくてもいい。(グラブで)打球を殺して投げなさい」と選手に教えたという。
 振り返って宮本は言う。
「普通、トスバッティングだと、内野手は正面に入って捕ってから投げなさいと教えられるでしょう。しかし中村監督は違った。まずはアウトにすることを考えなさいと。いくら正面に入って捕っても投げられないんだったら意味がない。それだったら逆シングルで捕って投げやすいかたちをつくりなさい――僕らは早い段階でそう教えられました。こうした指導が今に生きていると思うんです」

 あまり知られていないが、宮本は日本で最も守備機会の多いショートストップである。守備機会の多さは、事前に打球が飛んでくるコースを予測していることを意味している。ポジショニングがよく、かつクレバーでなければ、これだけ多くのボールは処理できない。
「正直言って、このことは自分でも満足しています。エラーが多い少ないよりも、守備機会が多いことの方がショートとしては大切ではないか。ファインプレーをファインプレーに見せないようなプレーを心がけているのですが、果たしてお客さんにわかってもらえるかどうか……」
“球際の職人”は目の前のボールに視線を送りながら、そうつぶやいた。
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