高木琢也といえば、現役時代 “アジアの大砲”と呼ばれた日本を代表する大型FWだった。しかし、指導者になってからは一変し、守備的なスタイルを掲げている。2006年の開幕直後、J2の横浜FCの監督に就任すると、まずチームの守備意識を高めさせた。それが功を奏し、クラブは15戦無敗の快進撃をみせ、見事J1昇格を果たしたのだ。
 そして今、高木はロアッソ熊本の指揮を執る。昨季は、前年度J2ワースト2位の失点を喫していた守備陣を建て直し、クラブを初の1ケタ順位(7位)へと押し上げた。今季J1昇格を目指す高木の指揮官としての哲学を、3年前の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2007年3月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 ケイタイの留守電にお祝いのメッセージを吹き込もうとすると、既に“満杯”の状態だった。翌日も同じだった。
 昨年11月26日、横浜FCはアウェーでサガン鳥栖に勝利。直後に柏が敗れて悲願のJ1昇格が決まった。立役者は前任者の解任により開幕2戦目から指揮を執った前コーチの高木琢也だった。
「(優勝は)目標としてはありましたが、“こうなるだろう”とは誰も予想していなかったと思いますよ。05年も11位だったし、今年も出だしはよくありませんでしたから……」
 昨年、J2の開幕ゲームで、横浜FCは昇格したばかりの愛媛FCにアウェーで敗れた。試合後、カズは視線を落として、こう吐き捨てた。
「負け癖を払拭しなければ。誰かが責任を取るようにしないと、何もかわらない」
 引き上げる選手たちの表情は一様に暗く、多難な前途を予感させた。
 高木の回想――。
「あの試合だけじゃなく、キャンプ中やプレシーズンマッチでも結果が出なくてずっと不安でした。大学のチームとやっても、ぎりぎりの勝負をしていたくらいですから」

 翌日、開幕戦に出ていなかった選手たちはJ2湘南と練習試合を行なった。その夜、サポーターたちとのパーティーが横浜市内で催された。
 その場で高木は社長の奥寺康彦らに唐突に切り出された。
「流れをかえるために監督を代えたい。やってもらいたい」
 青天の霹靂だった。
「ちょっと考えさせてください」
「では明日の昼までに返事をもらいたい」
 家に帰って聖子夫人に相談すると、案の定「やめなさい」という答えが返ってきた。
「一試合で監督を代えるようなチームなんでしょう。きっとあなたも同じ目に遭うわよ」
 夫人は高木のことを誰よりも心配していた。
 しかし、なぜか高木は吹っ切れていた。
「ダメで元々、別にどうなったっていいやという心境でしたね。開き直りの気持ちというのかな。あんな状況で監督をやって、かりにダメだったとしても、それは仕方ないだろうと。そう思うと気持ち的には楽でしたね。むしろ、せっかく巡ってきたチャンスなんだからモノにしようという気持ちの方が強かった」

 自信がなかったわけではない。評論家時代、いろいろな角度からサッカーを研究した。現役時代には気付かなかったこともあった。
「とにかく内容よりも結果が欲しかった。勝たないことには昇格できないわけですから。では勝つために何をすべきか。まずは失点を少なくしようと。世界のどんなリーグを見ても、強いチームは失点が少ない。J1の浦和レッズだってそうでしょう。
 僕が守りから入ろうとしたのは時間がなかったからでもある。普通なら1年、2年と長いスパンの中でチームをつくっていきますが、僕の場合はわずか半日しか考える時間がなかった。つまりシンプルなサッカーに徹するしかなかったんです」
 高木の狙いはズバリ的中した。守備の意識が高くなったことで第2節から15戦無敗(9勝6分)、10節の途中から771分無敗という記録を打ち立てた。
 イタリア代表の鉄壁の守り“カテナチオ”にちなみ、“ハマナチオ”と呼ばれたりもした。
「正直言って15試合負けなかった時なんて、最初から負ける気がしなかった。点をとられる気もしなかった。
 僕は選手を信じていたし、選手も僕を信じてくれた。信頼関係の強さが結果になって表れたんだと思うんです。
 シーズン中、僕も選手たちに言い続けたのは“我々はプロなんだ。プロは勝たなくちゃいけない”ということ。内容に満足しているのは鏡に向かってプレーしているようなものだ。それはマスターベーションに過ぎないとも言いましたね」

 サンフレッチェ広島時代、高木は当時の日本代表監督ハンス・オフトに素質を見出された。オフトは188センチの長身FWをターゲットマンとして重用し、経験を積ませた。一皮むけた高木は“アジアの大砲”へと成長させた。
 その頃のスーパースターがカズこと三浦知良である。学年ではカズは高木の一年先輩にあたる。オフト・ジャパンでは2トップを組んだ。
 しかし代表時代の思い出は、ほとんど残っていないという。
「僕らとは違う次元にいる人でしたから……」
 あえて訊いてみた。
――カズと呼びすてにすることに抵抗は?
「まぁ多少はありましたね」
 人柄を表すように、高木は正直に答え、こう続けた。
「コーチの時はカズさんって呼んでいたんですよ。でも一晩寝たら“カズ”と呼ばなければいけない立場にかわった。
 先発をはずした時には本人が“オレをどういうふうに考えているの?”と聞いてきた。僕は“戦力として考えている。必ずチャンスを与えるし、またやってくるから、その時の準備だけはしておいてくれ”と。
 監督の立場で言えば彼がいるのといないのとではベンチの雰囲気が違うんです。いやロッカールームでもそうです。よく声を出してチームを引っ張ってくれる。頼りになる存在です」

 J1は3月3日に開幕する。
 気負いはないのか。
「監督をするまで自分は神経質な人間だと思っていたんです。でも、実はすごく楽天家だった。これは発見でしたね」
 青年監督はそう言ってサラリと笑った。
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