試合の幕引きを任される投手――。その守護神的役割を果たす投手をストッパーと呼ぶ。現在の代表例は、日本プロ野球(NPB)通算最多セーブを誇る岩瀬仁紀(中日)だ。
 NPBでは、1960年代に中日の投手コーチを務めていた近藤貞雄が先発完投型から投手分業制へと移行した。それがNPBの先発とリリーフの役割が明確化されたきっかけと言われている。以降、優勝を争うチームには、優れたストッパーの存在がある。
 稀に見る大混戦となった92年のセ・リーグもまたストッパーたちが活躍した。熱戦を演出した各球団のストッパーを、当時の原稿で振り返り、守護神という存在にスポットライトを当ててみよう。
<この原稿は1992年9月20日号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>

 92年のセ・リーグ・ペナントレースは、スワローズ、タイガース、ジャイアンツ、カープの4強が、入れかわり立ちかわり首位に立つという大激戦のうちに第4コーナーにさしかかろうとしている。
 史上、稀に見る“混セ”となった原因のひとつに、ストッパーたちの活躍があげられる。彼ら守護神たちの奮闘が、ひとつのチームの突出を阻み、優勝の行方を混沌とさせたのだ。その意味では彼をして「混セの立役者」と言えなくもない。

 わけても、ホエールズ・佐々木の活躍は特筆に値する。10勝5敗17セーブ、防御率2.01。奪三振にいたっては77イニングで120個という荒稼ぎぶりだ(成績は8月26日現在。以下同)。
「大洋に勝つのは簡単なこと。要するに佐々木を出さない展開に持っていくこと。2イニングに限って言えば、今、日本で一番打ちにくいピッチャーだからね。出た場合はウチの負け」
 タイガースのコーチは、きっぱりとそう断言する。
 それもそのはず防御率は0.00。わずかに2本のヒットを許しているのみで、もちろん自責点は1点も記録されていない。佐々木がマウンドに立つやタイガースはヘビににらまれたカエルも同然である。
 150kmを超える重いストレートと、1m近く落ちるといわれるフォークのコンビネーションは完全無欠といっても過言ではない。ジャイアンツの吉村は「佐々木のフォークは消える」と言って何度もバッターボックスで目をこすった。「あのフォークは全盛期の村田兆治に匹敵する」と言って舌を巻くベテラン選手も少なくない。
 ストッパーを大きく業師と力自慢に分類すれば、佐々木はまれに見るほどの後者の典型。俗な表現を借りれば、今が旬、ポテンシャルを最大値で刻んでいるストッパーと言えよう。

 勢い、話しぶりにも自信がこもる。
「よくストッパーの人が、マウンドに上がる前に風やランナーのことを頭に入れると言いますが、僕はあまり考えないですね。自分が抑えさえすりゃ勝てると思っていますから。もちろんストッパーは“技”よりも“力”だと思っています。力で押し切れる時期が今しかないのなら、技に頼る必要もないでしょう」
 では、ストッパーの醍醐味を感じるのはどういう時か。
「僕の場合は2ストライクに追い込んだ時ですね。お客さんが三振を期待していることが直に膚に伝わってくるんです。ランナーがスコアリング・ポジションにいる場面とかでは狙ってとりに行きます。そういう時には“オレが打たれるわけはないんだ”“ここは絶対三振しかない”と自分自身に強く言い聞かせるんです。相手がニラんできたら、ニラみ返してやります。同じスピードのボールでも、気迫の乗り移っているボールは、そうそう打たれるものじゃない」
 強気一辺倒と思われがちだが、精神面の強化に力を注ぐことも忘れない。
 4月24日、ジャイアンツの原にサヨナラヒットを打たれた夜のことだ。やや自信を失いかけていた佐々木は東北高時代の恩師である竹田監督に電話を入れた。
「先生投げ方悪くなっていますか?」
「いや、精神の問題だ。技術よりも気持ちを整えることの方が先だ」
 そう前置きして、竹田はある呼吸法を授けた。マウンド上で、息をゆっくりと吐き出しながら、自分は決して打たれることのない完璧なピッチャーだと暗示をかける。それを呪文のように何度も繰り返しているうちに、勇気が体内に充満し、無我の境地でキャッチャーミットを見据えることができるようになる。その瞬間、プレッシャーは霧となって消失する、と佐々木は冷静な口調で説明する。そして、こう続けるのだ。
「マウンドに上がる時、全身がゾクゾクってするんです。ランナーがいても少しも気にはならない。自分の力で相手を牛耳ればそれですむことですから」
 どこまでも自信にみちた佐々木の横顔を見ながら、筆者はふと考えた。上位チームのファンは当代一のストッパーが自軍にいないことを悲しむべきなのか、それとも下位のホエルーズにいることを喜ぶべきなのか……。

 佐々木188cm、86kg。内藤187cm、92kg。体のサイズはほぼ同等ながら、ピッチングは剛と柔。体に似合わぬ味のあるピッチングがスワローズの守護神・内藤の持ち味だ。
 オールスター後に正式にストッパーを命じられ、スワローズの快進撃に大きく貢献した。30試合に登板し、5勝4敗9セーブ、防御率3.08の数字は及第点。昨年“ノーコン病”に悩まされ、わずか3勝(6敗1セーブ)しかできなかったことを思えば、見事な復活ぶりである。
 内藤にストッパー役を任すにあたり、野村監督は例のボソッとした口調で、こう励ましたという。
「野球は頭でやるもんや。だけどオマエのようなムード野球も時には貴重や。まぁ、頑張れや」

 ニックネームはご存知ギャオス。10勝台をマークした89年、90年は珍プレー特集の主役だった。根っからのパフォーマンス男だけに試合の終盤、スポットライトを独占できるストッパーの役が肌に合わないはずがない。
「自分でもどっちかというと目立ちたがり屋だと思いますよ。だから名前をコールされる前からマウンドには向かいたくない。“○○にかわりましてピッチャー内藤”というアナウンスをしっかり聞いた上で、お客さんの声援を背に受けながらマウンドに上がりたい。だって、お客さんの声援が多い方が、“よーし、やんなきゃ!”という気になるじゃないですか。今年はブルペンではボールが走っていなくても、マウンドに上がれば、“よし、行ける!” という気になるから不思議ですね」
「ピッチャー内藤」のアナウンスが球場に流れるやいなや、内藤は大きなストライドでマウンド近辺にまで駆けて行く。本人によれば、「オレが内藤だぞ! 若いんだぞ!」ということをアピールしたいがために、そんなパフォーマンスをわざわざ演じるのだという。
 屈託のない笑みを浮かべて内藤が語る。
「リリーフのコツといっても、僕の場合大して球が速いわけでもないし、特にこれといったものはない。強いていえば、ひたすら低め目がけて放るというくらいのことですかね。後は明るく、楽しく。ない頭を使うのは2ストライクとった後ぐらいじゃないですか」

 ホエールズの佐々木が「バッターが二ラんできたらニラみ返す」と言ったのに対し、内藤は「なるべくバッターを怒らせないようにするのが抑えるコツです」と独特のストッパー観を披露する。続けて「だってこっちが怒りを態度に表すと、バッターは“このヤロー!”となって燃えちゃうでしょう。それで、余計な力を発揮されるとこっちが損じゃないですか。だからなるべくバッターには敵意をもたれないようにしています」とも。
 まるで凶暴な動物に接した時の対処法だが、なるほどそうした“火消し”の方法もあるのだろう。見かけは天真爛漫だが、背番号24、以外にも繊細な神経の持ち主のようである。
 それはこんなエピソードからもうかがえる。
「僕は車を2台持っているんですが、勝ったらずっと同じ道を通るんです。今は調子がいいから、毎日、寮の近辺のくねくねした道を通っています。お陰で高い車なのに、すっかり傷だらけですよ。アッハッハッ」
 車の傷は“名誉の負傷”ならぬ“Vへの足跡”といったところか。優勝を決める一球を自らの右腕で投じること。それが内藤の密かな望みである。

(後編につづく)
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