「先発完投こそが、ピッチャーの本来あるべき姿」
 それがジャイアンツ・藤田監督のピッチャー観であることは、これまでにひとりのストッパーもつくらなかったことで証明されていた。ところが、自らの哲学を覆すかのように今シーズン、初めてひとりのストッパーを育て上げた。それがGの新守護神・石毛博史である。
<この原稿は1992年9月20日号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>

 高校時代、ボールの投げ過ぎにより右ヒジを故障、それが原因で多くの球数を投げられない石毛にとって、ストッパー転向指令は歓迎すべきことだった。
 陽にやけた太い腕をさすりながら石毛がはつらつとした口ぶりで話す。
「僕は元々、怖いもの知らずだし、バッターが誰あろうと意識しない方だから、ストッパーには向いていると思いますね。自意識過剰と言われるかもしれませんが、自分のピッチングさえできれば、誰にも打たれないと思っています」
 入団4年目。昨年わずか1セーブ(1敗)を記録したのみ。未完の大器を開花させた最大の原因は「気」と「徹底したプラス思考」であると本人はきっぱりと言い切る。
「今にして思えば、入団早々、“8時半の男”と呼ばれた宮田コーチに教えを受けたことがラッキーでした。宮田さんは技術的なことは口にしなかったが、“気”についてはとことん教えてくれた。自分が出す気の上にボールを乗せれば、ど真ん中のボールでも打たれない。そのことを宮田さんは口をすっぱくして言ってました。
 そして、もうひとつがプラス思考。たとえば、自分が苦しい時、キャッチャーの大久保さんやファーストの原さんが“オマエなら大丈夫”と励ましにきてくれるでしょう。その時に、彼らからエネルギーをもらうんです。特に大久保さんは人にプラス思考を与えられる名人みたいな人だから、満塁でも“ど真ん中目がけて投げろよ、負けたら負けたでいいじゃないか”と言ってくれる。すると、スーッと気が楽になって、打たれる気がしなくなるんですね。それは誰がバッターでボックスに立っていても同じです」
 技術的にはキャンプでスライダーをマスターしたことが変身に結びついた。昨年は制球難に泣いたが「不利なカウントからでもストライクがとれるボール」をマスターしたことによって、ピッチングに幅が出てきた。
 もとより、スピードボールには誰にも負けない自信がある。カープの西田には「オマエの真っすぐはスピード違反だ」と言われ、スワローズの長嶋には「オレが今まで見たピッチャーの中で、オマエが一番速いよ」と真顔で話しかけられた。少年時代、江川に憧れたことがあるだけに、自慢のスピードボールを誉められるとつい剛球派の血が騒ぐ。
「変化球よりも、やっぱり真っすぐで牛耳った時の方が気持ちがいい。勝った瞬間、抑え込んだんだ! という充実感がありますからね。駆け引きで打ち取るのはあまり得意じゃないです」
 発展途上の大型ストッパーはこの道を極めるべきなのか。それとも、先発完投に再チャレンジすべきなのか。江夏豊氏は「石毛は本来、リリーフタイプじゃない。先発完投型に戻せば、日本を代表する大投手に育つ可能性はあるのにもったいない」と主張している。
 大きく分けてストッパーには2つのタイプがある。佐々木や石毛のようにスピードボールを武器に真っ向から打者を牛耳りにかかる青年将校型のストッパーは見ていて気持ちがいいが、かつての江夏のように“顔”と無類のテクニックを武器に老獪に試合の幕を引く円熟派にも捨て難い魅力がある。

 カープの守護神・大野は数少なくなった円熟派ストッパーのひとりである。
 昨シーズンは37試合に登板し、6勝2敗26セーブ、防御率1.17の好成績でリーグ優勝の立役者となった。また4月から7月にかけて14試合連続セーブのプロ野球新記録を樹立し、球史に名を刻んだ。
 残念ながら、今季、昨シーズンの勢いは見られない。とはいえ、4勝2敗18セーブ、防御率1.73の成績は立派の一語。6月の一時期、ファームでの調整を余儀なくされたが、13日後再び一軍に戻り、カープのしめくくりのマウンドを死守している。
 抑えの酸いも甘いも噛み分けてきた37歳のベテランが、おもむろに語る。
「この仕事は100パーセント成功することはありえない。むしろ失敗したとしても後に残さないことの方が大事ではないか。何年もこの仕事を続けていると、目に見えない“何か”がたまっていくんです。納得のいく成績を毎年のように上げることは難しい。難しいからできないんじゃなく、難しいけどやんなくちゃいけない、という考え方に持って行くことが大切。自分の気持ちの中から闘争心がなくなったら、この仕事は成功しませんね」
 言わずと知れた江夏豊氏の秘蔵っ子。同じ名前を持つドラフト外の若いピッチャーに、江夏は常に厳しく接した。言うまでもなく一人前のサウスポーに育て上げるためである。
 振り返って大野が語る。
「ある時、ヒジが痛くて江夏さんとまともにキャッチボールができなかった。痛くていいところに行かないんです。すると、“オマエ、今のキャッチボールは何だ!”って、ベンチ裏に呼ばれ叱り飛ばされました。たかがキャッチボールではなく、江夏さんにとってそれは自分のフォームや球離れの位置をチェックする貴重な練習だったわけです。江夏さんはそのことを無言のうちに僕に教えていたつもりだったんですね。
 また、江夏さんはマウンド上で少しでもおどおどした態度をとったら、ものすごく怒りましたね。そういう態度をとれば野手が不安になり、自分自身にも自信が持てなくなるからです。だから僕は今でもマウンド上では感情を出さないようにしている。そんなに余裕があるわけじゃないんですけどね」
 37歳の大野のマウンドには得も言われぬ風格が漂う。風雪に耐える冬の樹木の趣がある。あたかも静かなマウンドから、青い炎が立ち昇ってくるように見えるのは筆者だけか。
「最近若いストッパーが大勢出てきて、勢いの面じゃ勝てなくなってきました。回復力も年々、衰えてますしね。確かに若さは素晴しいし、羨ましいですよ。でも負けたくない。無心で投げれば自然に結果はついてくるものですよ」
 さる8月21日、広島市民球場で大野は通算84セーブを上げ、勝ち星と合わせて200の数字を記録した。「これも1つの通過点です」。大野は何の気負いもなくそう言い切った。

 開幕前の下馬評に反して、堂々の優勝争いを展開するタイガース。前半戦、快進撃を支えたのが、入団2年目のサウスポー田村である。ウイニングボールを手にしても表情は硬く、感情を表に出すこともない。ストッパーの仕事を終え、静かにマウンドを降りる姿はさながら“球界の眠狂四郎”の趣に染められていた。
「“表情がない”といわれても、それが自分の本当の姿なんだから仕方がない。ガッツポーズも自分には合っていない」
 春先、田村はそんなふうに語っていた。
 入団1年目の昨年、50試合に登板し、3勝3敗4セーブの成績を残した。防御率は3.77ながら、その内容が認められ、今季からストッパーに昇格した。
 虎の守護神になった感想を求めると、こんな答が返ってきた。
「毎日のように投げると、肩やヒジにかかる負担が大きいんです。3年続けて満足に投げれたらいい方ですからね。自分だっていつまで投げられるかは分からない。だったら年俸を早めに上げておかないとね。(ストッパーは)やり甲斐はあるけど、ものすごくしんどい仕事ですね」
 連投がたたったのか、7月10日、ヒジ痛を理由に登録抹消。5勝1敗14セーブ、防御率1.10。田村の投手成績はこの日を最後に止まったままである。

 シーズン途中で、リリーフから先発組に回されてしまったドラゴンズの与田に対しては、ストッパー再転向を望む声が少なくない。江夏豊氏は「彼はタイプ的にリリーフ向き。せっかく抑えの面白さが分かってきたところなのだから、そこを伸ばしてやって欲しい」と主張する。
 ルーキーの年、150km台中盤のストレートを惜し気もなく披露してファンの喝采を浴びたことを思えば、ストッパーこそが彼の転職であるような気がしないでもない。速いボールへのこだわりは、一時期、彼のアイデンティティに重なっていた。
「先発に転向するといっても、ピッチングがかわるわけではありません。マウンドに上がればアウト1つ1つとっていくだけ。ストレートを主体にしたピッチングを改めるつもりはありません」
 与田の場合、肩幅が普通の人よりも広く、リーチも長い。腕を少し横に振ることで遠心力が生じ、それが150km台のスピードを生む原因となっていた。
 だが、いつまでも速いボールを投げることは肩やヒジに極度の負荷を強いることと同義である。与田もその例に漏れず右背筋を痛め、昨年1年を治療とリハビリに費やしてしまった。
 もう2度とあの地鳴りのするようなストレートが見られないかと思うと一抹の寂しさを禁じ得ない。

 さて、ストッパーが成功するにあたって最大の条件は何か。江夏氏は「向かっていく勇気があるか、状況判断ができるかの2つや」と前置きして、次のように説明する。
「苦しい立場の時、逃げ腰になると、その気持ちが周りに伝染してしまう。だからワシは調子の悪い時ほど意識してインコースにゆるいストレートを投げた。チームにカツを入れるんちゅうかな。ストッパーは時にチームがピリッとするような1球を投げないかんこともある。
 もう1つの状況判断は、ゲームセットまでの計算がどれだけできるかということや。抑えのピッチャーは、相手の打順や控え選手のことを全て頭に入れた上で、瞬時のうちに、誰と誰をアウトに取るかということを計算せないかん。早い話がゲームセットからアウトの数を逆算していくわけよ。でも、こんなことはストッパーならできて当たり前。常識以前の問題やと思うけどね」
 米大リーグではストッパーのことをクローザーという。試合の幕を引く権利と引きかえに、きわめつけのプロフェッショナルの色に染められた“芸”と“技術”が要求されるのは当然のことだ。
 刻々と近づく92年のペナントレースのクライマックス、切迫したマウンドに雄姿を翻し、スポットライトを独り占めしているのは、果たして誰?
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