懐かしい野球を観た。これぞ迫田穆成の野球である。そして、春夏合わせて計7度の全国優勝を誇る名門・広島商が強かりし頃に得意としていた野球である。
 ベスト8の座をかけた如水館(広島)対能代商(秋田)戦は緊迫感漂う好ゲームとなった。1−1の同点のまま延長戦に突入し、12回表、能代商が1点を勝ち越す。如水館はその裏、1死一、二塁とチャンスをつくる。1ボール2ストライクのカウントで二塁走者・門田透が三塁に向け、スタート。サウスポー保坂祐樹の死角を突いた。
 1死一、三塁。バッターは4番・島崎翔真。次の変化球を引っ張ると打球はファースト岳田諒平のほぼ正面に転がった。岳田は落ち着いて、これを処理した。三塁走者の動きを確認し、振り向いて一塁を踏み、2アウト。と、その時だ。岳田が二塁に到達寸前の一塁走者をチラリと見た。それが運の尽きだった。
 本塁突入を1度は諦めたかに見えた三塁走者の門田は猛然とスタートを切った。岳田は慌ててバックホームしたが間に合わず同点。気落ちした保坂はさらに2死一、三塁とピンチを広げ、最後は木村昂平にレフト前へ運ばれてサヨナラ負け。能代商には気の毒な幕切れだった。

 このシーンをテレビで観ていて38年前の春を思い出した。迫田率いる広島商は準決勝で江川卓擁する作新学院(栃木)と対戦した。江川は準々決勝の今治西(愛媛)戦で8連続を含む20奪三振を記録していた。
 この日、江川は首の不調を訴え、本調子ではなかった。それでも役者が違っていた。7回が終了した時点で江川が許したヒットはわずかにポテンヒットの1本のみ。広商のサウスポー佃正樹も好投し、得点は1対1。
 8回裏、広商の攻撃。この回先頭の金光興二(現法大監督)が四球をもぎとり、3番・楠原基の打席で二盗を決める。楠原は内野安打で1死一、二塁。ここで迫田は金光に三盗のサインを出す。意表を突かれたキャッチャー小倉(現亀岡)偉民の送球は高くそれ、金光はまんまと本塁を陥れた。「投げるな!」。江川の叫びは大歓声にかき消された。甲子園史に残る名シーンである。

 迫田穆成、72歳の夏。甲子園を知り尽くした老将には“白昼の死角”が見えているのだろう。さて、次なる手は?

<この原稿は11年8月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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