スティーブ・エヴェッツ演じるエリック・ビショップはマンチェスター市内に暮らす梲(うだつ)が上がらない中年の郵便配達員だ。2度の結婚はいずれも破綻。連れ子は非行に走った。仕事にも精彩を欠き、抜け殻のような日々。部屋の壁に貼った自らのアイドル――等身大の“エリック・ザ・キング・カントナ”のポスターが唯一の心の拠り所だ。そう、彼はマンチェスター・ユナイテッドの熱狂的サポーターなのだ。
 寂し気に紫煙をくゆらせながらポスターに向かって語りかける郵便配達員。「オレの憂鬱の理由が分かるかい?」
 すると、どうだ。あろうことか彼の前に本物のカントナが現れるのだ。もちろん演じるのは本物のカントナだ。自称「欠点だらけの郵便配達員」は、今でも離婚を後悔している最初の妻への思いをカントナに告白する。「欠点だらけの天才」なら、自らの気持ちを理解し、同情を寄せてくれるだろうと……。しかし、カントナはただの慰め役ではない。最初の妻とよりを戻すよう進言し、こうつぶやく。「最も美しい人生が場合によっては、最も辛い。それが人生(セラヴィ)だ」

 庶民に寄り添う作品を数多く世に送り出して人気のケン・ローチが09年に発表した『エリックを探して』は泣けるコメディである。郵便配達員の失われた人生の再建に伴走者として協力するカントナ。ともに悩み、走り、語り合う。そして奇妙な同居生活。郵便配達員にとっては至福の時間だ。

 回想シーンがいい。ユナイテッドの本拠地オールド・トラフォードのスタンドを揺るがす「背番号7」の巨大なうねり。ベルファストの空港にその名をとどめるジョージ・ベストの背中で躍動した「7」は、ブライアン・ロブソンなどを経てカントナに引き継がれ、デイビッド・ベッカムやC・ロナウドが光彩を加えた。マイケル・オーウェンの移籍に伴い、伝説の色に染められた「7」を香川真司が背負うのではないかと英紙「デイリー・テレグラフ」は伝えている。

 最後にもう一度、この映画の話を。「オレには想像もできない。6万人の観客に声援されるってことが」。カントナの顔をのぞき込む郵便配達員に向かってキングは語る。「恐いよ」「あんたが恐いだって?」「声援が止む時がな……」。おそらくこれはシアター・オブ・ドリームスで4年半を過ごしたカントナの本音だろう。数年後、香川はどんな言葉を口にするのか……。

<この原稿は12年6月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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