バスケットボールの女子日本代表は、ロンドン五輪出場を懸け、25日からトルコで開催される五輪世界最終予選に臨みます。予選は12カ国が参加し、上位5チームが出場権を確保します。2大会ぶりの五輪出場を目指す日本代表を牽引するのはエースの大神雄子選手です。彼女は、2004年のアテネ五輪に出場し、その後は女子最高峰リーグのWNBAでもプレーもしました。今年3月に右足の手術を受けた影響が心配されましたが、現在は全体練習に復帰し、キャプテン、そして司令塔としてコート内外での活躍が期待されます。今回は、大神選手を取材した3年前の原稿を紹介します。
<この原稿は2009年10月5日号の『ビックコミックオリジナル』に掲載されたものです>

 Wリーグの試合中、バランスを崩し、後ろ向きに倒れた瞬間、左手首に激しい痛みを感じた。診断の結果、骨折は2カ所。すぐに手術をした。今年2月のことだ。
「チームはプレーオフを控えていて、3月からのファイナルだったので、私は焦っていました。チームドクターも“ファイナルまでには少しでも……”と頑張ってくれましたが、やっぱり全然追いつかなくて……」
 5月、手首の痛みを隠したまま渡米した。6月にスタートするWNBA(米女子プロリーグ)のトレーニングキャンプに参加するためだ。行先はフェニックス。昨年プレーしたフェニックス・マーキュリーの門を再び叩いた。
 ところが――。左手首は思ったように動かず、強いパスを出せない。開幕4日前、自ら申し出るかたちでチームを去った。
「腫れも出ていたし、痛みも結構、強かった。アメリカの選手からの“強いパスを出せ”という要求についていくこともできなかった。このままでは周りの選手に迷惑がかかると思い、帰国することを決断したんです」
 今もまだ完治はしていない。手首の可動域が狭く、ドリブルをしていてボールが手につかないこともある。
「帰国してからずっとリハビリを続けているんですが、あと5度、可動域を広げ、あと10キロ、握力をアップさせたい。長期のリハビリになると覚悟しています」

 女子バスケットボール日本代表PG大神雄子がバスケットボールを始めたのは8歳の時だった。
 山形大学でバスケットボールの監督をしている父親のコーチ留学先ロサンゼルスでバスケットボールに接した。
「1年間、家族でロスに行ったんです。当時、ロサンゼルス・レイカーズにはマジック・ジョンソンがいて、いつもマジックの真似をしていました。股を使うレッグスルーとか後ろ使うビハインドパス……。ダンクもしたいと思っていたくらいです」
 ロサンゼルスといえばストリート・バスケットの本場である。彼女のまわりには、常にバスケットボールがあった。
「向こうの子は砂利道でも裸足で平気でドリブルをやる。ああいう環境が精神的なタフさを生み出すのだと思うんです」
 彼女のトレードマークであるワンハンドシュートもアメリカ仕込みだ。
「シュートの精度だけならツーハンドの方がいいかもしれない。ボールも飛びますし。しかし私みたいな背の低い選手だとツーハンドでセットしていたらモーションが遅くなってしまう。やはりモーションを速くしようと思ったらワンハンドの方が有利でしょうね」

 女子バスケットの名門・名古屋短期大学付属高(現・桜花学園高)を経てジャパンエナジー入り。アテネ五輪には最年少21歳で出場した。
 そして昨年、ついに目標だったWNBA入りを果たす。日本人のWNBAプレーヤーは萩原美樹子に次いで史上2人目だった。
 1997年にスタートしたWNBAは女子バスケットボールでは最高峰のリーグといわれている。観客数は平均で8千人から9千人。多い時は1万5千人がアリーナに詰め掛けるという。
 ルーキーイヤー、大神はPGの控えとして34試合23試合に出場し、56得点、14アシストをマークした。
 この結果には満足しているのか?
「プレータイムは1試合10分ももらえていないと思うので、もっと信頼されるプレーヤーになりたかった。技術的にはハンドリングにしてもシュート力にしてもスピードにしても勝っている部分はたくさんあったと思う。ただ、どんなにスピードがあってもパワーで負ければシュートもブレちゃうし、抜こうとして相手の勢いに負けフロアに転ばされてしまったこともある。これを2年目の課題にしていたんですが……」
 技術面以上にアメリカで学んだのは「メンタルの部分」である。WNBAは約3カ月後で30試合以上行う。終わったことを引きずっていては次に移れない。
「練習からして“絶対に負けたくない”という気持ちで臨んでくる。それこそケンカするくらいの意気込みで向かってきますね。どんどん自分で自分を追い込んでいく。タフなのかポジティブなのか……」

 日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太からもアドバイスをもらった。
「田臥さんからは“男女問わず、日本人がアメリカに挑戦するのはすごくうれしい”と言ってもらいました。アメリカに行く時も“何かあったらオレに連絡くれ”と。実際、電話やメールで貴重なアドバイスを何度もいただきました。
 たとえば食事。向こうは基本的に自炊生活で、アウェーでは試合後、レストランを探すこともままなりません。そこでもらったアドバイスがツナ缶を常備すること。“筋肉が維持できて助かるよ”って。これは本当に貴重なアドバイスでした」

 PGというポジションは、いわばチームの司令塔。コート上の他の4人を意のままに操りたい大神は考えている。
 そのためには繊細なメンタリティと確かなテクニックが求められる。
「パスひとつとっても(ボールの)縫い目が見えるくらいまで精度を上げたい。咄嗟にドリブルで切り込んでいって、すきを与えずパスといった時、なかなか縫い目に合わせることができないと思うんです。シューターが打ちやすくするためにはどうすればいいか。常にそのことを意識してやっていきたいと思っています」
 バスケットのボールは皮と皮の間に細いゴムの部分がある。シューターはそこに指を引っかけてボールをコントロールする。パサーにはそこまでの気配りが求められるのだ。

 彼女のニックネームは「シン」。大神の「神」に由来する。
「バスケットの神様になれますように」
 そんな願いが込められている。
◎バックナンバーはこちらから