モダン・ベースボールの申し子がユニホームを脱いだ。10日、田口壮が会見を開き、現役引退を正式に発表した。20年間のプロ生活で、日米4球団を渡り歩き、好守の外野手として活躍。オリックスで日本シリーズ、カージナルスとフィリーズでワールドシリーズ制覇に貢献するなど、日米を股に掛けた名バイプレイヤーだった。オリックス時代にイチロー、本西厚博と形成した外野陣は鉄壁を誇り、史上最強との呼び声も高かった。
 プロ野球の一時代を築いた堅守の外野陣を、当時の原稿で振り返る。
<この原稿は1995年10月12日号『Number』(文藝春秋)と96年『BART』(集英社)に掲載されたものを再構成したものです>

 1990年代に入って、パ・リーグの野球は大きく変貌した。それをイノベーションと呼ぶなら、ひとえにそれは球場の拡張化に原因はあった。
 91年の神戸グリーンスタジアム、92年の千葉マリンスタジアム、さらには93年の福岡ドーム。パ・リーグはセ・リーグよりも一足先に“箱庭野球”に別れを告げたのである。
 球場拡張化時代に乗り遅れた近鉄も大阪ドームの建設に乗り出し、97年には本拠地を移すと明言している。
 球場の拡張化により打つだけしか能のない腹の出たプレーヤーは生存を許されなくなってしまった。そんな中、彗星のように現れたのがイチローである。彼こそはモダン・ベースボールの旗手といっていいだろう。
 バッティングは言うまでもなく、彼は足と肩両方で野球の近代化に貢献した。内野安打数は昨年、今年と2年続けて両リーグ最多。ファーストまでの全力疾走は、相手内野陣に極度の緊張を強い、肩やダッシュ力に問題のある選手に“プロ失格”の烙印を押すことに成功した。

 イチローの出現によりパ・リーグには次のような“笑い話”まで誕生した。某球団のピッチング・コーチが語る。
「最近のパ・リーグのピッチャーは腹が引っ込み、皆、スマートになってきただろう。あれはイチローの内野安打を封じるために、皆ファーストまで全力疾走でベースカバーに入るためなんだよ。チンタラ走っていると、イチローに追い抜かれちゃうなからね。オリックス戦の前は、投内連係の練習で懸命に走らされるから太るヒマもない。まぁ、これも一種の“イチロー効果”かな」

 イチローの足に悩まされたパ・リーグの球団は、彼の強肩にも随分とひどい目にあわされた。
 あまりにも有名なシーンは7月2日。4.5ゲーム差をつけて迎えた対西武戦。1回裏の攻撃で西武は、2死二塁から3番佐々木誠がセンター前へ。二塁ランナーのダリン・ジャクソンが俊足を飛ばして三塁ベースを回る。悠々ホームイン、だと誰もが思った。
 だが、次の瞬間、イチローの矢のような返球がツーバウンドでキャッチャー中嶋聡のミットに突き刺さったのだ。ホームベース寸前でタッチアウトになったダリン・ジャクソンは「アンビリーバブル」と声を荒げ、こう続けた。
「こんなことメジャーでも起こりえない」
 呆気にとられたのは仰木彬監督も同じだった。
「スーパープレー。長いこと野球を見ているが、あれほどの強肩、スローイングは見たことがないな」
 目を丸くして、そうつぶやいた。
 試合は6対2でオリックスの勝ち。ゲーム差は5.5にまで広がった。
 イチローのバックホームは、単にアウトをひとつ稼いだにとどまらず、シーズンの煮西武とオリックスの野球の質の違いを明確にした。それは「勢いの差」という言葉では説明のつかないものだった。パ・リーグの盟主交代を告げる象徴的なシーンであった。

 サードベースコーチの伊原春樹が振り返る。
「ジャクソンの足でしょう。普通の外野手だったら、誰が考えてもセーフですよ。それがホームベースの2メートル手前でタッチアウト。なにしろ、イチローのバックホームはドンピシャのストライクですからね。もう敵ながらあっぱれというより他に言いようがなかった。
 もしあの場面、ジャクソンがセーフになっていれば、ウチも勢いづいてビッグイニングになっていたかもしれない。1点が2点になり、2点が5点にも10点にもなるのが野球なんです。ところがイチローはそれを許さなかった。たったひとつのプレーで、ウチの反撃の芽を摘み取ってしまった。
 正直言って、このプレーの後、“今年(の優勝)はちょっと難しいな”と思いましたよ。オリックスの底力は、我々が考えている以上のものがあるなと……」

 それから約2カ月後の9月6日、オリックスに12連敗中の西武は拙攻に次ぐ拙攻でM4を献上してしまう。
 初回2死一、三塁で5番ジャクソンは右中間を破る二塁打を放ったが、一塁走者・清原和博のスタートが悪く、1点止まり。2回には伊東勤がレフト線にヒットを放ったが、田口壮の好返球で、あえなく刺殺されてしまった。
 伊原は語る。
「田口の返球、これまた素晴らしいボールでしたよ。これでウチの攻撃は、プツンと流れを断ち切られてしまった。
 外野手のプレーは、ひとつひとつがそれだけ大きな意味を持っているんです。たとえ決定的なプレーが飛び出さなくても、外野手がいいというだけで、サードベースコーチャーは、ものすごいプレッシャーを受ける。オリックスの外野陣は、我々にとってそれだけ脅威だということですよ」

 さらにイチローの肩は日本シリーズ第1戦でも爆発した。2回2死満塁の場面、バッター荒井幸雄の打球はライト前へ。イチローは捕球するなり矢のような返球を送り、俊足の二塁ランナー真中満をホームベースで刺してみせた。
 しかし、そのプレーについてイチローは「あんなのウチでは当たり前」と事もなげに言い切った。試合には敗れたものの、野球の質はこちらの方が上、とでも言わんばかりに――。
 イチローの主張を裏付けるように、日本シリーズ第2戦では、センター本西厚博のスーパーキャッチが飛び出した。池山隆寛のあわやホームランかという打球を、この1点しか捕れないというピンポイントでグラブに収めたウルトラC級の超美技。試合後、野村克也監督は「どこへ打っても野手がおるような気がする。大した外野陣や」と呆れ口調で誉めあげた。
 レフト・田口、センター・本西、ライト・イチローの3人で組む外野トリオには史上最強の呼び声すらあがっている。

 ところでレフト田口はいいとして、なぜイチローを外野の中心であるセンターではなく、ライトに置くのか。実はここにこそモダン・ベースボールの醍醐味が隠されている。
 ダイエーの本拠地・福岡ドームは、両翼100メートル、中堅120メートルと、球場拡張時代のパ・リーグにあっても、ズバ抜けたサイズを誇っている。
 打球が外野手の間を抜けた場合、普通の球場ならカットマンはひとりですむのだが、ここだけはふたりのカットマンが必要となる。
 具体的に言えば、打球が左中間を抜けた場合、ボールは8(センター)−6(ショート)−5(サード)−2(キャッチャー)の順で転送される。これがレフト線を破った場合には、7(レフト)−6(ショート)−5(サード)−2(キャッチャー)という形態をとる。ちなみにライン際の打球でもカットマンふたりを必要とするのは、日本中でこの球場だけである。

 ところがオリックスの場合、レフトに田口、ライトにイチローがいるためライン上の打球はひとりのカットマンですむ。具体的に言えば、打球がライト線を破った場合、9(ライト)−4(セカンド)−2(キャッチャー)というバックホーム態勢でランナーと勝負できるのである。
 言うまでもなくカットマンがひとり余計に入るのと入らないのとでは、返球時間に天と地ほどの差がある。加えて中継に参加する人数がひとりでも減ることで、ミスが生じる頻度も低くなる。そういった意味でも低く、強く、速いボールが投げられる外野手の存在は、球場拡張化時代の野球を制する絶対条件と言っていいだろう。

 パ・リーグのある守備コーチは知将・仰木監督がイチローをセンターでなく、ライトに配する理由をこう説明する。
「田口、本西、イチローともに足、肩は最高水準にある。おそらく日本のプロ野球史上、最高のトリオと言っていいでしょう。蓑田浩二、福本豊、バーニー・ウィリアムスがいた当時の阪急よかったけど、それよりも上だと思うね。強いて言えば、唯一の弱点は本西の肩。他の外野手に比べたらいい方なんだけど、イチローと田口に比べればやや劣っているように見える。
 そこで仰木さんは田口とイチローを両サイドに配し、左中間、右中間、レフト線、ライト線と、どこでもこのふたりの肩で勝負できるような布陣にしたのではないか。これだと打球がどこに飛んでも、ちょっとやそっとのことではホームに還ってこれませんよ」

 球場拡張化の時代を迎え、パ・リーグの野球は「今までとは最低でもベースひとつは違ってきた」と言われる。藤井寺球場ならランナーを一塁においてレフトフェンス直撃の二塁打が出ても二、三塁ですむ。ところが福岡ドームやグリーンスタジアム、千葉マリンだと、よくて1点奪われて二塁。連携プレーがもたつけば三塁ベースまで奪われ、外野フライでもう1点という最悪の事態が待っているのである。
 外野手のみならず、カットマン(内野手)も足と肩を要求される時代に突入し、今後は淘汰の嵐が吹き荒れることになる。本当の意味でのレッセ・フェール、厳しい生存競争に勝ち抜いた者にのみ、モダン・ベースボールのフィールドに立つ資格は与えられる。
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