22日に春のセンバツ高校野球大会が開幕する。出場36校の注目校のひとつは9年ぶりの2度目の出場の愛媛・済美高校だ。指揮を執るのは名将・上甲正典。監督として、宇和島東と済美を春夏合わせて15度の甲子園出場に導いた。センバツでは88、04年と両校で1度ずつ頂点に立っている。今大会は、MAX152キロの直球を誇る1年生エースの安楽智大を擁し、上位進出に期待がかかる。初戦は広島・広陵との対戦(26日)が決まった。
 試合中のベンチでは笑顔を絶やさない“上甲マジック”の秘密を、済美で初出場初優勝を成し遂げた04年の原稿で振り返る。
<この原稿は2004年6月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 9回裏2死二塁。得点は6対5と1点のリード。初優勝まで、あとワンアウト。しかし、ここでタイムリーヒットが出れば試合は振り出しに戻る。
 04年センバツ大会決勝戦。三塁側ベンチの前で愛媛・済美高の監督、上甲正典は甲子園の星空に願いをかけた。

「おい節子、勝たせておくれよ」

 マウンド上は2年生エース福井優也。ほとんどひとりで済美のマウンドを守ってきた。117球目、愛工大名電の左打者・池田樹哉の打球は快音を発してサードの前へ。難しいゴロではないが、送球が少しでも逸れれば同点の走者の生還を許す。そうなれば試合はどう転ぶかわからない。
 しかし、サード・田坂僚馬は冷静だった。重圧のかかる場面ながら、落ち着いてゴロを捌き、矢のような送球を一塁へ。創部わずか2年の新鋭校が全国の頂点に立った瞬間だった。
 カクテル光線の中で、56歳の笑顔がはじけた。選手たちの歓喜の雄叫びを聞きながら、右のポケットにそっとしのばせた亡き節子夫人の形見のヘアバンドを握りしめた。

 上甲の回想――。
「あの夜の甲子園は星がよく見えました。お月様も出ていました。もう、あの場面は祈るしかないですからね。きっと女房が味方してくれたんでしょう」

 上甲が春夏11度も甲子園に連れて行った宇和島東の監督を辞め、女子高から共学になったばかりの済美の指導者に転じたのは02年4月のことだ。
 上甲は88年春にも宇和島東を率いて初出場初優勝の快挙を成しとげている。自らがOBでもある同校を去るきっかけは、30年連れ添い、家業の薬局をひとりで切り盛りしてきた愛妻の看病のためだった。
「これまで野球で使っていた運をすべての女房のためだけに使いたかった……」
 しかし、必死の看病の甲斐なく節子夫人は01年6月、ガンで他界した。

「もう野球をやめよう……。放心状態の1カ月半でした」
 
 そんなある日、知人から泣き夫人と交わしたという会話を聞かされた。
「奥さんは言ってましたよ。“あの人から野球をとったら、いったい何が残るの”って……」

 ガツンと頭を叩かれた気分になった。今、自分にできることは、いったい何が――。
「よし、もう1回野球をやろう。それが女房の意思でもあるんだったら、自分ができることを精一杯やってみよう。もし、その言葉を耳にしていなかったら、もう1度グラウンドに、立っていたかどうか……」

 宇和島から済美高のある松山へ。野球部の発足は一昨年の4月。1年生だけのスタートだ。
 そして迎えたグラウンド開き。上甲は入部してきた選手たちに“甲子園の土”を掴ませた。
「これを自分たちのポジションに撒け! 必ず夢の舞台に立ってみせような」
 文字どおりゼロからの出発。グラウンドのどこにボールケースを置くか。練習は基本の初歩からスタートした。

 昨夏の県予選は1回戦でコールド負け。甲子園なんて夢のまた夢……。
 ところが昨秋の県大会で公式戦初勝利を収めると、そのまま勢いに乗って優勝した。四国大会では強豪の明徳義塾を0対7のスコアからひっくり返した。周囲はそれを“上甲マジック”と呼んだ。

 ピンチに立たされても、ベンチで少しも動じることがない。グラウンドの選手たちに向けられた視線は常にやさしく笑顔を絶やさない。
「ひきつりながら笑っている時もあるんですよ」
 冗談めかして上甲は言い、こう続けた。

「僕の師匠の池西増夫(故人・元NHK解説者)に昔、言われたことがあるんです。“上甲君、とかく日本のスポーツは悲愴感が漂いがちだが、本来、スポーツは楽しくやるもんじゃないのか。監督があれだけしかめっ面をしていちゃダメだよ”と。
 確かにそのとおりだなと。選手がグラウンドで戦っている時、監督ができることといったら、彼らが悔いを残さないよう見守ってやることだけなんです。大声を出したところで、あの大歓声の中では通りませんよ。選手たちを安心させ、力を発揮させるには笑顔しかない。
 でもね、簡単に笑顔と言いますけど、これが難しいんです。口の開け方をこのくらいにしようとか、鏡を見て練習したこともあります。女房から“何やってんの?”と不思議がられたこともありますよ」

 準々決勝の東北戦、済美は崖っぷちに立たされた。9回表が終わって2対6。残すイニングは9回裏の1イニングのみ。
 最後の攻撃を迎える前、上甲は選手たちを集め、こう言った。

「ようやった。何も言うことはない。ただ、このまま終わってしまったら何も今後につながらない。最後に1点だけ取って、意地を示そうじゃないか」

 下位打線の連打で2点を返し、なおも2死一、二塁。ここで迎えるバッターは3番高橋勇丞。真壁賢守からのストレートを叩くと、打球はライトからの強風に乗ってレフトスタンドへ。劇画のフィナーレを思わせるようなサヨナラ3ランだった。

「1回の東北・大沼(尚平)君のホームランは風に乗ったもの。向こうにツキがあるなと思った。
 ところが最後にそのツキがウチに来た。このように野球は1球ごとに流れが変わる。しかも、ウチの次のバッターは4番の鵜久森(淳志)。甲子園でホームランを2本も打っているバッターだから、相手は勝負したくなかったんでしょう。
 ダルビッシュ(有)への継投? 実は昨秋の神宮大会で高橋は2本ヒットを打っているんです。逆にこのゲーム、高橋は真壁君のボールにまるでタイミングが合っていなかった。だからそのまま続投になったのかもしれません……」

 笑顔の裏には過去のデータに裏打ちされた緻密な判断があった。5試合中4試合までが1点差ゲーム。ゲームの流れを読む確かな目が新鋭校に栄冠をもたらした。星空の祝福を受けた56歳の目に、キラリと光るものがあった。
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