W杯イヤーのJリーグが3月1日に開幕する。注目クラブのひとつ、まさかのJ2降格から1年で這い上がってきたガンバ大阪だ。オフの話題こそ、ビッグネームが加入したセレッソ大阪に押され気味だが、J屈指のタレントを揃える同じ大阪の名門も負けていない。遠藤保仁、今野泰幸ら日本代表選手を擁し、このオフにはGKに代表経験のある東口順昭を補強した。戦力は充実しているだけに、監督である長谷川健太の采配が上位進出へのカギを握る。2011年の柏以来となるJ1復帰初年度の制覇を狙う指揮官のメンタリティーに09年の原稿で触れよう。
<この原稿は2009年12月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 清水エスパルスはJリーグ創設から参加しているが、まだシーズン優勝がない。
 11月2日現在、第30節終了時点で、清水は13勝6敗11分けで勝ち点50。4位に付けている。展開次第では初優勝も不可能ではない。

「シーズンのはじめは苦しみましたけど、途中から加わったFWのフローデ(・ヨンセン)がチームによく溶け込んでくれた。岡崎慎司も代表に入ってからいい影響を受けたようです。
 DFも頑張ってくれていますね。今季は高木和道がガンバに移籍したことで守りが不安視された。僕は“穴を埋めるだけでなく、よりDFラインが強くなったと言われるようにしよう”と発破をかけたんですが、期待通りの働きですね」

 そう語る指揮官の長谷川健太は清水OBの元日本代表FW。オールドファンには“清水東三羽烏”の響きが懐かしく聞こえるに違いない。

 今から27年前のことだ。長谷川、大榎克己、堀池巧らを主力とする清水東は冬の高校選手権で初優勝を果たした。この頃、静岡のチームは観客を魅了する素晴らしいサッカーを展開するものの、関東のチームに阻まれ、なかなか頂上を極めることができなかった。サッカーどころのロマンチシズムは関東のリアリズムにことごとくはね返され続けた。

 振り返って長谷川は語る。
「静岡勢が優勝できない時代が長く続いたので、当時は優勝旗を箱根の山を越して持ち帰ろうというのが静岡のチームの合言葉でした」

 準決勝で東京の帝京を1対0で破った清水東は決勝で山梨の韮崎を4対1で下し、12年ぶりに静岡に優勝旗を持ち帰る。その喜びの輪の中心にいたのが“清水東三羽烏”だった。
「いやぁ盛り上がりましたね。東京からバスで帰ってきたんですが清水駅にファンが出迎えてきてくれているというので、わざわざ富士の手前で電車に乗り換え、清水駅に凱旋というかたちをとったのを覚えています」

 今にして思えば、高校サッカーが最も輝いていた時代だったと言えるかもしれない。
 日本代表に初めて選ばれたのは日産に入ったその年。豪快な突破と精度の高いセンタリングを売り物にしていた。
 日本代表キャップは27。代表では4得点をあげている。

 日本中が悲嘆にくれた“ドーハの悲劇”の当事者のひとりでもある。
 1993年10月28日、忘れもしないイラク戦。勝てばアメリカW杯への出場権を得ることができる。その瞬間を日本中が固唾を飲んで待っていた。
 先発出場した長谷川は開始早々、ロングシュートを放った。惜しくもバーを直撃したが、戦端を開くにふさわしい一撃だった。
 ところが、である。試合を有利に進めながら、ロスタイムでまさかの同点ゴール。アメリカ行きのチケットはスルリと手から滑り落ちた。

「あれ、ショートコーナーだったでしょう。僕はベンチから見ていたんですけど、“ちょっと嫌なボールだな”と思ってたんです。すると、そのままヘディングで同点。もう何も言えない気持ちでしたね。
 でも、周りが頭を抱えたり、倒れ込んだりしているなかで、僕は割と冷静でしたよ。“次は行ける”という思いもありましたし。
 あの夜のことですか? 皆暗かったので確か都並敏史さんが音頭をとって景気付けにパッとやったんじゃなかったかな。“皆で元気出して帰ろうぜ”ってね」

 Jリーグでは清水一筋。9年間プレーし、34歳でユニホームを脱いだ。
「悔いはなかった。まぁ強いて言えばW杯に行けなかったことかなぁ……」
 引退後、すぐに浜松大学の監督に就任した。いずれはJクラブの指揮を執りたいと考えていた。

 そして2005年、清水からオファーが来る。自信はあった。
「自分なりのサッカーをやれば結果はついてくるだろう」
 しかし、現実は甘くなかった。開幕から6試合で1勝もできず、サポーターから罵声を浴びせられた。
 当時、長谷川はマンションの13階に住んでいた。ベランダに立って、ふと思った。
「ここから飛び降りたら楽だろうなぁ……」
 やることなすこと、全てうまくいかなかった。
「変な話ですけど、自殺する人って、きっとこんな感じなのかなって思いましたよ」

 就任1年目は15位。
「でも、あれで開き直れたんです。自分の信念を貫いて、それで負けてクビになるんだったら仕方がない。そう割り切ることができましたね」

 15位はチームの底だった。その年の天皇杯では決勝進出。その後は4位、5位と安定した成績を残している。
 ちなみに清水の年俸総額はJ1・18クラブ中12位。費用対効果という視点から見れば大善戦である。

――若い選手の育ってきている?
「そう言って頂くのは大変光栄ですが、僕が監督を引き受けた時は、ちょうどチームにとってベテランと若手の入れ替えの時期。30人中10人が新人だったんです。ベンチの中に何人か18歳の選手を入れないと、チームが回らないような状態だった。だからチャンスを与えたというより、そうせざるを得なかったと言った方が正しかったでしょうね」

――目指すサッカーは?
「負けず嫌いですからね。だから負けないサッカーかな」
 勝負師らしく試合前には験をかつぐ。最近は自宅に花を買って帰ると、なぜか負けない。
「よく風水で黄色をどっちに置くといいとかいろいろあるじゃないですか」
 ピッチに大輪の花は咲くのか。
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