「人間風車」も不死身ではなかった。英国出身の名レスラー、ビル・ロビンソンがさる3日(現地時間)、米アーカンソー州の自宅で死去した。75歳だった。
 ロビンソンが来日するまで、外国人レスラーと言えばヒールが相場だった。正統派のシャープ兄弟ですら、力道山の前では仇役だった。
 ところが国際プロレスに登場したロビンソンは違った。反則は一切しない。基本に忠実、しかも華麗なテクニックでレベルの違いを見せつけた。その象徴とも言える技がダブルアーム・スープレックスだった。大男たちが、あっという間に宙を舞うのだ。ツマ先立ちしたまま弧を描くロビンソンのフォームは肉体芸術の極みだった。

 ところでプロレス劇画の最高傑作と言えば梶原一騎原作の『タイガーマスク』にとどめを刺す。主人公の伊達直人が訓練を受けたジムの名は「虎の穴」。直人と盟友・大門大五が鉄橋から宙吊りにされながら腹筋を鍛え上げるシーンは、私たちの世代には懐かしい。

 この「虎の穴」のモデルが、ロビンソンがレスリングを学んだビリー・ライレージムである。ランカシャー地方では「(ジムがある)ウィガンの町にはPIT(炭鉱の坑口)が多かった」「ジムは(レスリングを追及するあまりに)変人(ヘビ)のたまり場だった」などの理由で「SNAKE-PIT」(蛇の穴)と呼ばれていたそうだ。

 ロビンソンの名勝負といえば1975年12月11日、東京・蔵前国技館で行なわれたアントニオ猪木戦だろう。立会人からして豪華だった。“鉄人”ルー・テーズと“神様”カール・ゴッチ。結果は60分フルに戦い、3本勝負で1対1のドロー。ロビンソンは述べている。<やはりイノキはゴッチが言うように、それ以前に闘ったジャパンのレスラーとはまったく違っていた。私がその後に闘ったジャパンのレスラーを含めても、やはりナンバーワンだっただろう>(自著『人間風車』エンターブレイン)

 ロビンソンにインタビューしたのは今から13年前だ。「レスリングは肉体のチェスだ」。目の前のレジェンドは言い、続けた。「とりわけ大切なのはハートとコンディション。車にたとえれば前者がエンジン、後者がガソリンということだ」。晩年は元プロレスラーの宮戸優光が主宰する東京・高円寺のジムで後進の指導にあたっていた。紳士でありながら庶民的。まちの人々からも愛されていた。合掌。

<この原稿は14年3月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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