城島健司、井口資仁らを指導した名コーチが地元へ再び舞い戻った。石川県金沢市出身の金森栄治が、4月から金沢学院東高の野球部監督を務める。金森はヤクルト、西武、阪神、ソフトバンク、ロッテで打撃コーチなどを務め、日本学生野球協会から1月に学生野球指導資格回復の認定を受けて、今回の就任に至った。07年にはBCリーグの石川で指揮を執り、チームをリーグ初代王者に導いた実績もある。広岡達朗、野村克也など球界の名指導者の薫陶を受けた男が、アマ野球でどんな選手を育てるのか。金森の故郷への思い、指導哲学を7年前の原稿で、振り返ろう。
<この原稿は2007年5月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 昨年11月のことだ。福岡ソフトバンクホークスの打撃コーチをしていた金森栄治は福岡ドームで行われる日米野球を観に行っていた。チームとの契約はシーズン終了と同時に完了していた。

「金森さん、石川の監督をやるって本当ですか?」
 ホークスのフロントの人間に声を掛けられた。
「石川? 知らないよ。そんなチームあるのか?」
「北信越BC(ベースボール・チャレンジ)リーグっていうのができるらしいですよ」
「へぇ、石川にねぇ……」

 とぼけていたわけではない。本当に知らなかったのだ。その数日後、BCリーグを運営するジャパン・ベースボール・マーケティング(JBM)の村山哲二代表取締役から電話がかかってきた。
「新しい独立リーグができますので監督をやっていただけませんか?」
 断る間もなかった。

 1週間後、石川ミリオンスターズの代表に就任したばかりの端保聡が飛んできた。
 端保は独立リーグへの想いと地元石川への地域貢献の必要性を切々と訴えかけた。
「最初は新しくできる独立リーグの実態もわからないから返事に窮していた。引き受けたのは代表の情熱ですかね。
 それに依頼を受けた日は昨年の1月に亡くなった親父の月命日。これも何かの縁なのかと思ったんです」

 金森は石川県金沢市の生まれである。父親は金沢駅前で金物屋を営んでいた。
「近所でも有名な“野球バカ”の親子でね。もう子どもの頃から野球ばっかりやっていました」

 小学校卒業後、金森は大阪のPL学園中学に入学した。高校野球の名門・PL学園で野球をやるためだ。息子が甲子園で活躍することを父親は夢見ていた。
「当時の北陸は野球の不毛地帯。親父にすれば野球の丁稚奉公に出したという意識だったんじゃないでしょうか」

 小学校卒業と同時に金沢を離れたことも、地元にできる新球団の監督を引き受ける遠因になった。
「これまで地元に何も恩返しできなかったですからね。野球で恩返しできるのなら、それもひとつの生き方だなと……。
 この2月には小学校の仲間たちが同窓会を開いてくれたんです。うれしくて涙が出そうでした。故郷に帰ってきてよかったと思いましたね」

 BCリーグは「四国アイランドリーグ」に続いて誕生した日本で2番目のプロ野球独立リーグである。
 新潟アルビレックスBC、信濃グランセローズ、富山サンダーバーズ、そして石川ミリオンスターズの4チームで編成されている。
 野球を通しての地域貢献がリーグ創設の最大の目的だが、選手たちの多くは将来のNPB(日本プロ野球組織)プレーヤー、メジャーリーガーを目指している。

 さて、金森はどんな選手、どんなチームをつくろうとしているのか?
「まずは基本ですね。野球の基本。運動の基本をしっかりと身につけてもらいたい。
 とはいえ、教えたからといって急に身につくものではない。今日よりは明日、明日よりは明後日、1カ月後、3カ月後、半年後、1年後……と段々に力がついてくればいいんです。
 正しい練習をしていれば、結果は自ずとついてきます。逆に早く結果を欲しがると、その時はたまたま結果が出ても長続きしない。そういう選手をプロで何人も見てきました。将来、野球をやめた後でも、子供たちに“野球の基本はこうだよ”と教えられる選手たちを育てたいと思っています。
 チームについては足の速い選手がいればスピードをいかすチームにしたいし、パワーのある人が多ければ長打力をいかせるチームにしたい。チームも選手同様、いきなり結果は求めない。着実にステップアップしていけばいいんです」

 金森は西武、阪神、ヤクルトで15年間にわたってプレーした。死球を恐れないファイターとして人気を博した。
 勝負強いバッティングが持ち味で日本一を6度も経験した。通算打率2割7分、27本塁打、239打点――。現役引退後はヤクルト、西武、ダイエー、阪神、ソフトバンクで打撃コーチを務めた。

 ファイターとして鳴らした金森にはこんなエピソードがある。西武時代、広岡達朗監督(当時)に徹底して基礎を叩き込まれた。金森は必死になってくらいついていった。
 ある時、移動の飛行機が大揺れに揺れた。誰もが青い顔をしているなか、ひとり金森だけが平然としている。
「怖くないのか?」
 と同僚が聞くと、金森はサラッとこう答えたという。
「飛行機が落ちてくれた方がよっぽど楽だよ。もう、あれだけ苦しい練習をしなくてもすむからな」

 現役時代のニックネームは「鈍ガメ」。外野手なのに足が速いわけでもなければパワーがあるわけでもない。並外れた努力とガッツでレギュラーの座を奪い取った。ダイヤモンドの原石が集結した独立リーグの指導者にはうってつけの人物といえるかもしれない。

「若い時、いい指導者に巡り会えたことで今の僕があると思っています。広岡さんには技術面での基礎を教わりました。当時は厳しい、苦しいといった印象しかありませんでしたが、後になって練習の正しさが理解できました。
 また、ヤクルト時代の野村(克也)さんには試合前の準備の大切さを教わりました。普段から相手のことを考え、考えたことを整理しておく。日常の思考が大切なんですね」

 最後に訊いてみた。
――死球を恐れないご自身のような選手を育てる気は?
「いや、正しく打てればそんなに当たらないんです。死球を売り物にするような選手はつくりたくない。ただそのくらい(当たってでも出る)の意気込みじゃないとダメだ、とは思いますね」
 ひどくまじめな口調で往年のファイターは締めくくった。
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