1968年のメキシコ五輪。陸上競技男子200メートルで金メダルを獲得した米国の黒人選手トミー・スミスは表彰台に上がるや、ややうつむき加減の姿勢で黒い手袋をつけた右手を高々と宙に突き上げた。銅メダリストの黒人選手ジョン・カルロス(米国)もスミスに続いた。違っていたのはカルロスの突き上げた拳が左だったということくらいだ。
 米国社会に色濃く影を落とす黒人差別への抗議は、しかしIOCからは不評だった。「非政治的なオリンピック精神への冒涜」と断じられ、五輪出場資格を剥奪された。翌日には選手村からも追放されてしまった。

 スミスが立派だったのは、国家や競技団体から陰に陽に圧力をかけられながらも、自らの信念を曲げなかったことだ。「メキシコ五輪にもう1度戻れたら、同様のパフォーマンスをするか?」。こう聞かれたスミスは間髪入れずに返したという。「もちろんです。私はスポーツマンのひとりとして、これまでも、これからも、人権を守るために努力し続けるでしょう」

 メキシコ五輪から46年後のソチパラリンピック。バイアスロン男子7.5キロ視覚障害の表彰式で、金メダルを獲得したウクライナのビタリー・ルカネンコは首から掛けたメダルを左手で隠した。ウクライナ南部のクリミア半島を力で併合しようとするロシアへの抗議であることは明白だった。

 パラリンピックという大舞台でアスリートがこういうアピールをしたことは、少なくとも私の記憶では、これまでなかった。クリミア情勢が緊迫するなか、一時、ウクライナ選手団はボイコットを真剣に検討したと伝えられている。

 IOCもIPCも「スポーツの現場に政治や宗教の差別的行為を持ち込むべきではない」との理念では一致を見ている。その一方でIOCもIPCも「政治に無関心であれ」とは一言も言っていない。むしろメダルさえ首に掛けられれば、祖国が、そして世界がどうなろうが関係ないとのスタンスをとる者をアスリートとみなすことに抵抗を感じる向きも少なくないだろう。

 突き詰めればオリンピック憲章に定められた「平和な社会の推進」それ自体が明確な政治活動のひとつだととらえることもできる。問題はその表現方法である。何が是で何が非か。考えれば考えるほど難しく、また悩ましい。

<この原稿は14年3月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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