歴史には必ず転換点がある。元WBC・WBA世界ストロー級王者で、日本プロボクシング協会会長の大橋秀行は言う。
「川島郭志がブエノに勝ったのが大きかったんじゃないですか。メキシカンが相手でも“行けるぞ!”という気になったものですよ」
 1994年5月4日、川島はメキシコのホセ・ルイス・ブエノが持つWBC世界スーパーフライ級王座に挑み、3−0の判定勝ちを収めた。華麗で的確な川島のボクシングは、技巧派のメキシカンにつけ入るスキを与えなかった。

 大橋は振り返る。「川島がブエノのパンチを空振りさせた瞬間、場内から“オーッ”というどよめきが起きたんです。僕が知る限りにおいて、日本人のディフェンスで場内が沸いたのは、あれが初めて。それまではスピードとテクニックとディフェンスでは、メキシカンにはかなわないとばかり思っていましたから」

 マエストロの異名を持つミゲル・カント(元WBCフライ級王者)、忍者のようなフットワークを駆使したヒルベルト・ローマン(元WBCスーパーフライ級王者)、存在そのものが芸術だったリカルド・ロペス(元WBCストロー級王者)……。かつてメキシカンは日本人ボクサーにとって高い壁というより、遠い標的だった。「距離感が全然、違うんです。だからボクシングをさせてもらえなかった」。そう語る大橋はロペスに完膚なきまでに叩きのめされた。

 ちなみに世界戦における対メキシカンの勝率は70年代2割8分、80年代2割6分7厘、90年代4割3分8厘。ほとんどが国内での試合ながら、この結果だ。彼我の実力差はいかんともしがたかった。

 それが、どうだ。このところメキシカン相手に世界戦7連勝中である。6日、日本人最速の6戦目で戴冠(WBCライトフライ級)を果たした大橋ジムの井上尚弥は、試合途中で左足の痙攣に見舞われながらも、32戦のキャリアを誇るアドリアン・エルナンデスを歯牙にもかけなかった。

 感慨深げに大橋は言う。「尚弥は僕が(東日本)協会会長になって始めたU-15の大会の最初の優勝者。小さい頃から始めないと技術は身につかない。もうメキシカンコンプレックスなんてありませんよ」。70年代に流行した中島みゆきの歌ではないが、<そんな時代もあったねと>という気分である。

<この原稿は14年4月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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