試合は、いよいよ延長11回に突入する。
 11回表、松山商の攻撃。バッターボックスには10回裏、“奇跡のバックホーム”でチームを絶体絶命の危機から救った矢野が立っていた。
<この原稿は『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)に掲載されたものです>

 初球、熊本工のサウスポー、園村の投じたカーブを矢野は見逃さなかった。レフトへのライナー性の打球は、左翼手・沢村のグラブをはじき、外野の芝の上を転々と転がった。気迫が生み出した二塁打。勝ち越しのランナーである。

 沢村の回想――。
「バットの芯に当たったのでしょう。打球がブレながら飛んできた。それにスタンドの白い服とも重なってしまった……」

 グラブをはじかれた1年生の沢村は9回裏2死から起死回生の同点ホームランを放ち、勝てばヒーローの座を約束されていたも同然だった。まさに一寸先は闇である。ラストバッターの深堀が確実に送りバントを決め、1死三塁。打順はトップの吉見にかえってきた。

 熊本工・田中監督はスクイズを警戒した。1球1球、相手ベンチの出方を窺いながら、最終的には敬遠の四球を選択した。1死一、三塁。ここで田中監督はマウンドに伝令を送り、次の星加への攻めを指示した。

 田中の回想――。
「“1点やってもいいよ”と言ったんです。その裏に1点とればいいんですから。しかし、まさか初球にセーフティースクイズがくるとは」

 初球の「甘いカーブ」を、星加はおっつけるように一塁線に転がした。星加は語る。
「あそこしかできないポイント。転がった瞬間、もうやったと思いましたよ」

 ホームベースを駆け抜けた矢野は“奇跡のバックホーム”を演じた時と同じように右手を何度も突き上げ、全身で喜びを表現した。結局、このセーフティースクイズによる得点が決勝点となるわけだが、たった1球ながら、実に見ごたえのある攻防だった。

 松山商・澤田監督は、熊本工のタイムに乗じて星加を呼び、耳元で告げた。
「初球、セーフティースクイズ行ってみるか」
「はい、行きます!」

 一見、奇襲に映るセーフティースクイズも、試合巧者の松山商側からすれば、1点をもぎとるための基本戦術のひとつ。とりわけ一、三塁の場面でのセーフティースクイズは、練習の時からしつこいほど行っていた。

 澤田は語る
「迷いはなかったですね。特に星加は前の出席で初球を打ちショートゴロに倒れているんです。それもあって、初球から行こうと」

 熊本工の田中は、ここでスクイズを警戒した。かといって、星加を歩かせてしまえば、1死満塁で最も警戒している3番の今井に打席が回ってしまう。理想の切り抜け方は、星加をゲッツーにとるか、スクイズを失敗させることだった。

「星加君を追い込み、打たせてゲッツーをとる。あるいはスクイズをはずす――これがこちらの作戦だったのですが」
 そう前置きして、田中はゆっくりと振り返り始めた。

「1球目、勝負。2球目、はずす。3球目、勝負。4球目、はずす……。私はこういうパターンを考えていました。つまり、1球ずつ全部かえようと。なぜ、初球勝負させたかというと、その前の吉見君に対し、4つもボールを続けたからです。4つもボールを続けられると、普通は次もボールがくると踏んでスクイズのサインなんか出せないものですよ。

 こちらの理想といえば、ストライク、ボール、ストライクでカウント2−1とし、バッターを追い込んでおいて、園村にシュートを放らせたかった。これを引っかけてくれればゲッツーにとれる。しかし、まさかセーフティースクイズがあるとはね。スクイズはいつかやってくるだろうと思っていましたが、まさかこの手でくるとは正直言って思いもよりませんでした」

 苦笑を浮かべて、ポツリと田中は言った。
「今にして思えば、入り方が逆だったらよかったんですよね。ボール、ストライク……と入っていれば……」

 後日談がある。夏の甲子園終了後、澤田と田中は全日本チームを率いて渡米した。監督の澤田を国際試合の経験豊富な田中がコーチとして補佐し、5勝0敗の好成績を収めた。

「なぜ、あそこでセーフティースクイズのサインなんか出したの?」
 移動のバスの中でのことである。10歳年上の田中が切り出した。
「あそこでセーフティースクイズやる監督なんていないよ。本当に考えてたの?」

 正直に澤田は答えた。
「最初から考えていました。練習でも繰り返しやっていたし、打順もやるには一番いいところでしたから」

 実は澤田はトップバッターの吉見にもセーフティースクイズのサインを送っていた。ややバットが湿り気味の上に、チームでも1、2を争うバントの名手だったからである。しかし、スクイズを警戒した田中とバッテリーに吉見は歩かされ、場面は1死一、三塁とかわる。これは澤田にとっては願ってもないことだった。

「単独の三塁なら一塁手はスクイズを警戒して前に守る。これだといいコースに転がさないとセーフティースクイズを成功させるのは難しい。だが、一、三塁なら一塁手は一塁ベースをカバーしないといけないため、前に出てこられない。そこに転がせば成功する確率も高いわけです。

 かりにウエストされたとしても見逃せばいい。セーフティースクイズは、(サードランナーは)打球を確認してスタートを切ればいいわけですから。一、三塁になった時点で星加にも感じるところがあったんでしょうね。顔を見た瞬間“これは決めてくれるな!”と思いましたよ」

 4対3。打者走者の星加も一塁に生き、なおも1死一、二塁と松山商のチャンスは続く。打席には熊本工が最も警戒する3番の今井。カウント0−2からのカーブを、今井は体を開かずに、ほとんど右手1本でライト頭上に運んだ。ふたりのランナーがかえり6対3。このタイムリー二塁打で事実上、勝負は決まった。

 今井は語る。
「マウンドの真一郎(渡部)をラクにしたい。ただそれだけでした。体を開いて打っていたらファウルになるのですが、あの時はよくたまっていた。(ボールを)前で払えたのもよかった」

 一方、打たれた園村の弁。
「あのスクイズで緊張の糸が切れてしまった。打たれたのは甘いカーブ。外角に投げようとしたのに、ボールにうまく指が引っかからなかった。今井君にだけは打たれたくない。打たれたら負けると思って投げていたのですが、最後の最後に打たれてしまいました」

 監督の田中が補足する。
「もう1枚、左がいるか、控えの村山が絶好調であれば、あそこは代えていました。園村は精神的に、もうピークをこえていたような気がします。あそこで決まりましたね。1点差のままなら、まだウチにもチャンスが残っていたんですけど」

 このゲーム、田中は園村−境秀之のバッテリーに、今井封じの策を授けていた。遅いボールでカウントを稼ぎ、胸元への速いボールで勝負に行くという攻めである。これが功を奏し、それまでの5打席を初回のライト前ヒット1本に封じていた。

 田中が続ける。
「ビデオで彼のバッティングを見ると、本当にセンスがいいんです。外のボールをちょんと打つのがうまい。だから、外角のボールじゃ彼は封じられない。スライダーやカーブでカウントを稼ぎ、勝負は近目のシュートだと。いずれにしても今井君に打たれたら負けるとは思っていたのですが、最後の場面、園村を責めるわけにはいきません」

“四国のドカベン”とのニックネームで今井が一躍、全国に知られるようになったのが2年の夏。しかし、続く3年の春の選抜大会と2季連続初戦敗退を喫したことで、地元の今井に対する風当たりは、監督の澤田が同情を寄せるほど強いものになった。

「今井が打てんから負けたんや」
 というわけである。イタズラ電話や心ないヤジに随分、悩まされたりもした。今井にかわって澤田が語る。

「彼がウチにくる時、随分、批判があったことは事実です。“あの人間性じゃダメだ”と面と向かって言う人もいました。中学時代、手におえないワルだったから、そんなウワサがたったんでしょう。でもウチに入って、本当にあの子はかわりました。“ワルとボロは違う”と私は言い続けてきたんですが、本当にそのとおりでした。しかし、せっかく子供が成長しているというのに、心ないおとなが潰そうとする。“くさるなよ”と私は何度も励ましました。なんでこの男の良さをまわりはわかってくれないのか。私自身、何度、悔しい思いをしたことかわかりません」

 この稿を締めくくるにあたり、どうしても追記しておきたいことがある。

 それは9回裏2死、熊本工の沢村が起死回生の同点ホームランをレフトスタンドに叩き込んだ直後のことだ。三塁手の星加が「沢村君はサードベースを踏んでいない」と三塁塁審にアピールしたのである。聞き入れられることはなかったが、ルールを熟知し、1パーセントの可能性があればそこに食い下がろうとする伝統校らしいしたたかさとたくましさが垣間見えた。

 延長10回裏、矢野のバックホームの場面、サードランナー星子のタッチアップが慎重すぎるくらい慎重に見えたのは、このアピールがボディブローのように効いていたからではないだろうか。そうだとすれば、ほんの伏線くらいにしか思えなかったひとつのアピールが、実は球史に残るドラマを演出した“真犯人”ということになる――。

(おわり)
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