“神の左”再び炸裂なるか。22日、WBC世界バンタム級王者の山中慎介が7度目の防衛戦に挑む。山中は未だプロ23戦負けなし。29歳で王座を奪取し、遅咲きに分類されるが、32歳となった今も進化を遂げている。これまでの15KOを全て左で仕留めているため、その“神の左”にばかり注目が集まるが、抜群の距離感と華麗なステップワークこそ彼の隠れた武器である。2012年の初防衛戦では、リング上で闘牛士のように強敵を翻弄した。山中の冷静な試合運びを、当時の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2012年9月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 プロボクシングの王者にとって、初防衛戦に成功することは王座を奪取することよりも難しいと言われる。チャレンジャーが強敵であれば、なおさらだ。

 4月6日、東京国際フォーラム。WBC世界バンタム級王者・山中慎介は初防衛の相手にオーストラリアのビック・ダルチニャンを迎えた。
 コーカサスの小国アルメニア生まれのダルチニチャンは“レイジング・ブル(暴れ牛)”の異名をとるハードヒッター。フライ級、スーパーフライ級に続く3階級制覇に照準を合わせていた。

 戦前の予想は、離れて戦えば山中、打ち合えばダルチニャン。いずれにしても初防衛を果たすには、あまりにも危険な相手である。
――なぜ初防衛戦に、わざわざ、こんな強い相手を!? とは思わなかった?
「いえ、僕の方から(帝拳ジム・本田明彦会長に)“強い相手とやらせてください”と頼んでいたんですよ」

 山中は意外なセリフを口にした。
「でもまぁ、まさかあんなビッグネームを呼んでくるとは思わなかったんですけど……」
 同じサウスポーながら、スタイルはまるで違う。山中がヒットアンドアウェーを得意とするスタイリッシュなタイプなら、ダルチニャンは打撃戦に活路を求める好戦的なファイター。山中は「距離感の戦いになる」と読んでいた。

 果たして、山中の読みどおりの展開となった。薄っすらと口のまわりにヒゲをたくわえたチャンピオンは、1ラウンドから足を使い、強打が自慢のチャレンジャーにクリーンヒットを許さない。5ラウンドには左のクロスカウンターでチャレンジャーの右まぶたを切り裂いた。
 後半に入ってからは、チャンピオンのほぼ一方的なペース。モハメド・アリばりの“蝶のように舞い、蜂のように刺す”動きで相手を圧倒し続けた。

 そして迎えた10ラウンド、山中のストレートをもろにくったダルニチャンはガクッとヒザを折り、防戦一方に追い込まれた。時折、大振りのフックを繰り出すが照準が定まらない。その姿はマタドールに翻弄される牛のようだった。11ラウンドもワンサイド。後は倒すだけだ。

 ところが――。最終の12ラウンド、山中は足を使ってダンスを踊り始めた。打ち合いのリスクを避け、3分間を安全運転に終始した。
 結果は3対0の判定勝ち。山中は最強のチャレンジャーを完封した。
「ヤマナカはチャンピオンらしい戦いをしてくれなかった。逃げ回っていた」
 敗れたダルチニャンは捨てゼリフを残すのが、精一杯だった。

 これに対する山中の感想は、こうだ。
「12ラウンド入る前、セコンドから“ジャブついて、足使え!”と言われたんですが、必要以上に使い過ぎましたね。
 後でビデオを見直して思ったんですが、普通にやっていれば、もうちょっと自分のパンチも当たっていたでしょう。自分のためにもお客さんのためにも、やっぱり、あそこは出ていくべきだったかなと……。
 でも、最後まで動けたことで“自分にはスタミナもあるんだ”と自信になった面もある。勝ったからこそ反省もできるわけで、この反省を次にいかしていきたいと思っています」

 勝ち試合の最終ラウンド、多少のリスクを冒してでも打ち合うべきか、安全運転で逃げ切るか、その判断は難しい。蛮勇と勇気は紙一重であり、臆病と慎重も、これまた紙一重である。
 山中が採った安全策を、私は間違いだったとは思わない。リスクを冒して相手を仕留めにかかったところ、逆にカウンターをくったとする。その場合、どんな批判を受けるのか。
「ボクシングをナメている」
 一刀両断にバッサリやられるのがオチである。山中が言うように、勝ったからこそ反省ができるのだ。ベルトを失ってから反省したところで、得られるものは何もない。それがこの世界の掟である。

 子供の頃は野球少年だった。ピッチャーをやるほど肩は強かった。足にも自信はあった。
 しかし体が小さいということもあって、この道で名を残すことは早々に諦めた。
「それに野球のような団体競技って、いくら努力しても自分ひとりの結果は出にくい。その点、ボクシングなら、やったことは全て結果に出る。そこに魅力を感じたんです」

 中学3年生の時、たまたまテレビで辰吉丈一郎対シリモンコン・ナコントンパークビューのWBC世界バンタム級タイトルマッチを観た。辰吉が戦前の不利な予想を覆してタイ人をKOで仕留めた伝説の一戦である。
 山中は試合の中身よりも辰吉の腰に巻いてあるWBCの緑のベルトに目を奪われた。
「テレビに映るWBCの金縁の文字と緑のベルトがものすごく輝いて見えたんです」

 いつか、緑のベルトをオレの腰に――。自らに夢を誓った初めての瞬間だった。
 昨年11月、プロ17戦目でメキシコのクリスチャン・エスキベルを11ラウンドTKOで倒して世界チャンピオンになった。29歳での戴冠だった。
 近年、選手寿命が延びているとはいえ、29歳という年齢はボクサーにとって決して若くはない。ふたつの拳で稼げる時間は限られている。それがハングリー精神を育てる。

 山中の場合、4月の防衛戦後に結婚した。この秋には第一子が誕生する。沙也乃夫人からは試合に行く際、「後悔のないように楽しんできて」と言われた。「無事に帰ってきてね」とも。
 それを受けて山中は言った。
「ゆくゆくは家族のために一軒家が欲しいですね。その前に今回は自分への褒美としてファイトマネーの中から時計を買いたいと思っています」
――ペアじゃないの?
 そう問うと、「もちろん一緒に買いに行きますよ。ただ、ペアじゃないですけどね」と照れくさそうに笑った。
 遅咲きの山中には円熟の30代が待っている。
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