一気に“父”を超えられるか。大相撲初場所で横綱・白鵬の幕内優勝最多記録の更新が懸かっている。先の九州場所では32回目の賜杯を手にし、“角界の父”と慕う大横綱・大鵬の記録に並んだ。大鵬といえば、約10年もの間、角界の頂点に立ち続け、昭和の時代を彩った象徴的存在である。V9を達成した巨人とともに、子供たちの好きなものの代表として「巨人・大鵬・卵焼き」と称されるほど、抜群の人気を誇った。名横綱の圧倒的な強さがうかがえるエピソードを、2005年の原稿で振り返る。
<この原稿は2005年7月号の『月刊武道』に掲載されたものです>

 夏場所終了後、大鵬親方(元横綱・大鵬)が日本相撲協会の定年を迎えた。「巨人・大鵬・卵焼き」のど真ん中の世代にあたる私にすれば、寂しいの一言だ。

 双葉山と並ぶ大横綱である。幕内優勝32回は史上最多。8回の全勝優勝も史上最多。現役引退後は相撲協会初の一代年寄となった。
 横綱在位58場所。つまり約10年にわたって角界最高峰の地位を守り続けた。

「相撲は人生、横綱は孤独」
 角界を去るにあたり、大鵬はそう答えた。
 実に含蓄のある言葉である。

 また、大鵬は次のような言葉で、今の相撲界を憂えた。
「最近の力士には個性がない」
 柏鵬時代には味のある脇役が大勢いた。

「人間起重機」明武谷、「潜航艇」岩風、「暴れん坊」陸奥嵐、「今牛若」藤ノ川……。ひとくせもふたくせもあるトリックスターが揃っていた。

 怪力自慢に足技自慢。元関脇の出羽錦にいたっては、大鵬に猫だましを仕掛けた。そのくらい大鵬は強かったということである。また、個性のある脇役が揃っていたからこそ、大鵬や柏戸ら主役も光ったということである。

 大鵬の強さに関するエピソードは枚挙に暇がないが、私が最も気に入っているのがプロレスラーの天龍源一郎から聞いた次の話である。

 天龍は二所ノ関部屋の出身。大鵬の弟弟子にあたる。
「大鵬さんの強さ、これだけは別格だった。あれは豊山、佐田の山、栃ノ海、栃光、北葉山が大関で、横綱が大鵬と柏戸だった頃。巡業先の広島で大鵬さんは5大関相手に40番取っても1番も負けなかったんだ。時間にして約1時間半、ずっと勝ち続けた。
 これだけでもびっくりなのに、稽古のあと、オレたち若い衆はもっとびっくりした。大鵬さんは水をピュッと吐き出したんです。
 つまり大鵬さんは、稽古が始まる前に水をちょっと口に含んだまま、5大関相手に1時間半も胸も貸していた。普通、あれだけ激しい稽古をすると、水が口からこぼれるどころか、ぜいぜいいってますよ。
 ところが、大鵬さんはバーンと当たられても、全然動じることなく、水を含んだまま、相撲を取っていた。それを目のあたりにしたオレたちはどれだけ驚き、どれだけ喜んだか。
“すごいウチの横綱は! やっぱり別格だ!”
 大鵬さんはオレたちの憧れであると同時に誇りでした。もう背中越しにオーラが差していましたよ」

 そして、こう続けた。
「大鵬さんは後輩たちの面倒見もよかった。よく稽古つけてもらいましたが、自分のためというより、オレたちをうまくその気にさせてくれるんです。
 よくやったのは大鵬さんが土俵に出て、1ミリでも体を動かすことができた者には1万円やる、という大鵬さん発案の稽古。大鵬さんは自分の足の位置を棒で囲うように描き、若い衆に思い切ってぶつからせたんです。
 当時、オレたちの給料が2場所で500円の時代ですからね。それも、ちょっとでも大鵬さんを動かせばいいんですから、これは励みになる。だけど、結局、誰も大鵬さんを動かすことはできなかった。
 驚くことに大鵬さんは十両相手にも同じことをやったそうです。しかも“賞金”は10万円。これまた誰も大鵬さんを動かすことはできなかった。こんな力士、後にも先にも大鵬さんだけですよ。本当にあの人こそ、不世出の大横綱ですよ」

 大鵬はこうも言っている。
「5年、10年先のことを考えて辛抱することが大切だ」
 今一度、噛みしめておきたい。
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