日本記録保持者、朝原宣治は今や世界に伍していけるまでの力をつけている。コンスタントに10秒1台を出せる選手は、わが国では他にいない。96年の世界陸上でもあと一歩で準決勝進出までいった。
<この原稿は1997年発行の『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)に掲載されたものです>

 ところで朝原は60メートル付近でトップスピードに入る。井上は40メートル付近で早くもトップスピードに入ることができる。朝原が追い込み型に見えるのはトップスピードに入るのが遅いためであり、反対に井上の走りにムラがないように見えるのは、トップスピードに入るのが早いためであろう。

 ではなぜ、トップスピードに乗る時点に20メートルも差があるのか。理由のひとつは身長差(朝原180センチ、井上169センチ)であり、もうひとつは先述したスタートのフォームであろう。井上が45度に限りなく近いフォームであるのに対し、朝原はやや突っ込み加減でレースに入っていく。

 しかし、本人は「スタートは出遅れさえしなければいいんです。後半、トップスピードに乗りさえすれば抜かれない自信がありますから」と全く意に介していない。井上が100メートルをトータルで考えているのに対し、朝原は明らかに後半に比重を置いていることがうかがえる。それは同時に潜在能力の高さも示している。

 朝原が井上の記録を0秒01縮める10秒19をマークしたのは、93年10月の東四国国体だった。風に乗るようなラストスパートで後続を引き離し、圧倒的な強さでゴールを駆け抜けた。その時の記憶を、朝原はこう振り返る。

「ゴール前でスカスカせず、最後まで力が加わっている感じでした。なぜ、そう感じたのかといえば、一歩一歩きっちりした接地ができていたからでしょう。足に最後まで確かな力が加わっているという感じでした」

 スタートには無頓着な朝原だが、接地にはことのほか、神経を使う。「接地の点をいかに小さくまとめるか」がポイントであり、接地が線になってしまっては記録は出ないのだという。それらは全て足の裏の感覚に委ねられる。

「もう少し、接地を分かりやすく表現すると?」
 しばらく間を置いて朝原は答えた。
「……“蹴る”のではなく、地面をトントンと“押す”感じ。いや“乗る”といった方が適切かなァ……」

 接地の理想は母指球(ぼしきゅう)の一点で瞬間的に全体重を支えることだが、朝原はカカトの位置を意識することで接地を滑らかなものとする。ツマ先からの進入は走りにブレーキをかけることになり、また本当にカカトから入ってしまっては重心移動がスムーズに運ばない。

「足に最後まで確かな力が加わっていた」という新記録の際の記憶は、母指球による理想的な接地が最後まで続いたことを意味している。

 朝原はトップスピードに入るのが遅い。自動車でいえばセコかサードにあたる中間走の状態が30メートルから60メートル地点にわたって続き、そこからおもむろにギアをトップにチェンジする。タイプでいえば、カール・ルイス型。余力を残してゴールを走り抜ける。

 朝原が自らの走りを解説する。
「中間走でリラックスし、自然にトップスピードに乗るのが僕の走りの特徴です。接地がうまくいっていれば力むことなく加速して、重心を前に運ぶことができる。
 全力を出し切ってゴールしようとは思わない。ただ走り抜ければいいんです。このやり方にしてから、顔にも以前ほどゴール付近でシワが寄らなくなりました。100メートルにとって大敵は力むということですから」

 朝原は本来、走り幅跳びを本職とする。スプリント競技でも100メートルより200メートルの方が好きだといってはばからない。そうした非専門意識が彼にリラクゼーションの状態を保たせているとしたら、これは思いがけぬ効用だろう。

「走り幅跳びや200に比べて、100は考えることも少ないし伸び伸びやれる。それがいい結果に出ているのでしょうか」
 朝原は屈託のない笑みを浮かべて言い、こう続けた。

「ここ数年のことなんですが、走る際に最も大切なことが分かってきた。それは丹田に全神経を集中するということです。丹田はヘソ下数センチのところにあり、そこに重心があると意識している。この位置はできるだけ小さく限定した方がいい。すると走りが固まってくるんです」

 正式名称、臍下丹田(せいかたんでん)。ここに力を入れ、神経を集中するとバランスや落ち着きが得られるということで、その重要性はあらゆるスポーツに共通したものであるということができる。しかし、それはあくまでも精神的、感覚的なもののように考えられる。では具体的に競技に生かすにはどのようにすればいいのだろうか。

 渕野コーチが示唆に富むエピソードを披露する。
「丹田の重要性に気付くことは、スプリンターにとって全てといっていいでしょう。日大に奥山義行という選手がいました。きれいな走りをするということで高校時代から注目されていた。
 彼の走りを見た瞬間、これは丹田について知っているな、誰かから教わったな、とすぐにピーンときました。当時、日大には中道貴之、井上、宮田英明……と日本でもトップクラスのランナーが揃っていたのですが、彼は“この秘密は僕だけのものにしたい”と言いましたよ。
 その気持ち、分からないでもなかったんですが“オマエ、そんなこというと小さな選手になるぞ! 皆に教えてもっと高いレベルで競争しろ!”と言って突き放したことがあります」

 丹田の位置は選手によって微妙に異なるが、ある選手はたとえばレース前、尾骶(びてい)骨を押すことで、くっきりとその輪郭を掴むことができる。指導の過程でしばしば耳にする「腰を入れろ」という指摘は「丹田を意識しろ」という指摘と同義であるといえよう。

 0.01秒という時間の単位は極限の科学の向こう側にあると同時に、神秘の領域と隣り合わせにもなっている。身体の深部に打ちこまれた意識の針は、あるいはスプリンターとしての自らの完成度を計るという意味において、羅針盤上の磁針の役割を果たしているのかもしれない。

 渕野コーチが続ける。
「丹田というと東洋的なものに聞こえるでしょう。しかし、アメリカのトップランナーたちは実は早くから知っていたのです。一度、丹田のことをトム・テレツから聞き出そうと“前に進むための秘術はありますか?”と訊いたんです。
 すると普段は温厚なテレツが“そんなもの、あるわけないじゃないか!”と烈火のごとく怒った。僕はその時、ハハーンと思いましたよ。これはサンタモニカの企業秘密。教える気はないんだなと。
 で、選手にそれとなく訊いてみるとフロイド・ハートは“ヒップ・アップがコツだ”と言いました。要するに尻を上げる。そうすることで丹田の位置を確認し、重心をやや上に持っていっているわけです。またバレルはレース前に必ずお腹をパンパンと叩く。実はそれも同じことなのです」

 井上は大学3年時に、丹田の重要性に気付き、理解した。レース前のウォーミング・アップは絶えず重心を頭に入れながら行う。一方の朝原は普段、何気なく歩いている時から丹田の位置をチェックする。気持ちよく歩いている時は、すなわち重心の移動がスムーズにいっている証左だと認識する。

 100分の1秒の世界の住人にはわずかのミスもロスも許されない。世界中のトップスプリンターとその指導者が、かくもパワーとバランスの源泉にこだわるのは、100メートルという競技自体を心身の鍛錬の精華としてとらえ、最速の科学と哲学の中に心理を見出そうとしているからに違いない。

 世界の男子100メートルにおいて、記録はこの82年間でわずか0.71秒しか縮まっておらず、更新率は6.7パーセントに過ぎない。また彼我の差を比べれば、そこには0.24秒という大河が横たわる。必ずしも努力が報われるとは限らない冷徹なる現実。彼らにとって「記録」とは、そして「走る」とは何なのか――。

「記録については決めていない。決めるとそこでストップしてしまうでしょう。それが嫌なんです。走ることは今しかできない。なぜだか(走っていると)気持ちが大きくなれるんです。ひとりっきりの競技なのにね。それにスタートにつくと腹くくるしかなくなるでしょう。それがたまらない」(井上)

「日本人は10秒切ることはできないでしょう。走ることの喜び? それは勝つことであり、記録を出すことであり……つまり自分に満足するということでしょう。全て自分に返ってくるものだから……」(朝原)

 ふたりにインタビューしてから3年後――。97年10月5日に行われた日本選手権の優勝者は朝原。タイムは10秒26。2位は井上でタイムは10秒53。ゴールで朝原は井上に3メートル近い大差をつけた。それがそのままふたりの力関係である。

「今後は安定して10秒0台を出せるようになりたい」
 レース後、朝原はそう語った。もはや、日本に敵はいない。彼のテーマは「シドニー五輪のファイナリスト」にはっきりとしぼられている。

(おわり)
◎バックナンバーはこちらから