7日、巨人・木村拓也コーチが死去しました。
 当サイトでは昨年4月に掲載した編集長・二宮清純とのインタビューを再掲し、ご冥福をお祈りします。


 年代モノのワインのように、歳月を重ねるごとに独特の味わいをみせる選手がいる。巨人のセカンド・木村拓也もそのひとりだ。昨季は規定打席に及ばなかったものの、プロ18年目で.293と最高の打率を残した。今季も開幕スタメンの座こそ助っ人のエドガルド・アルフォンゾに譲ったが、8日の横浜戦に今季初先発を果たすと、ここまで打率.346の好成績を残している。何度もクビの危機に瀕しながら第一線でプレーし続ける男に二宮清純が迫った。
二宮: プロでのスタートは日本ハムから。4年目のオフに広島へトレードされました。
木村: まさか、と思いました。その年は、ほとんど代走や守備要員でしたが、初めて1軍にずっと登録された。なんとかプロ野球選手としてやっていけると思っていた矢先のトレードだったのでショックでしたよ。

二宮: でも広島で次第に出場試合を伸ばし、レギュラーとして最初のチャンスをつかみました。結果的にはトレードがよかったのでは?
木村: 良かったんですかね? ただ、広島に行ったことは良かったと思います。運だけで1軍に残れたのが日本ハム時代。力をつけないと1軍に残れなかったのが、広島時代。なんと言っても広島にいって野手陣の層の厚さに愕然としましたから。内野はセカンド正田耕三さん、ショート野村謙二郎さん、サード江藤智さん、外野には音重鎮さん、前田智徳さん、緒方孝市さん、金本知憲さん……。どうやったらベンチに入れるんだろうと思いました。現に数字にも表れていますけど、移籍1年目は7試合しか出ていませんからね。

二宮: どうやって生き残ろうと?
木村: 広島の2年目から一度、辞めていたスイッチの練習をやり直しました。日本ハム時代も取り組んでいたのですが、途中でやめていたんです。当時の2軍打撃コーチがスイッチヒッターの山崎隆三さんでしたから、その出会いも大きかったですね。1年間、ずっと試合では右で打って、試合後は左の練習。スイッチを覚えるのはコツではなく、とにかくバットを振るしかない、体で覚えこませるしかないと、遅くまで練習に付き合ってもらいました。今、振り返ると一番練習した時期だったと思います。ただ、プランが見えてやっていたわけではない。まぁ、これだけやってダメなら納得できるかという部分もどこかにありましたね。

二宮: 努力が大きく花開いたのは2000年。初めて100試合以上(136試合)に出場して、打率.288。規定打席にも到達しました。
木村: その年はオールスターにも出ました。うれしかったですね。プロ初打席みたいなフワフワした感覚になりましたね。

二宮: ところが翌年、山本浩二監督が復帰するとスタメンで出る機会が徐々に少なくなっていきました。当時、監督にインタビューした際に「キムタクはスーパーサブだ」と話していたのを覚えています。
木村: 僕も就任直後に言われました。「オマエが控えにおったら、こんなに心強いことはない」と。正直、頭にきましたよ。ひとつ課題として言われたのは「四球が少ない」こと。「1番を打ちたいなら、もっとボールを見て出塁率を上げなくてはいけない」と言われました。それで2001年は意地になってツーストライクまでボールを見ました。それで逆に三振が多くなったんです(前年の80個から129個)。すると、また出番がなくなる。どうしようもない状況に陥っていました。

二宮: そして2006年の途中に巨人へトレード。この時の心境は?
木村: この年はブラウン監督に代わって、開幕からずっと2軍でした。球団からも「年も年だし、そろそろコーチを」というようなことを言われました。「ちょっと待ってください。まだ自分にはやれる自信がある。出番があるところ、使ってくれるところに出してください」。そう自分からトレードをお願いしました。すると、移籍先は巨人だと言われて、今度は逆に「ちょっと待ってください」って話ですよ(笑)。正直、巨人かよ、ってへこみました(笑)。

二宮: 実際に入って感じた巨人の印象は?
木村: 「そんな悪いチームやないな」と感じました。外からはテンデバラバラで、広島に比べるとクールに見えたのでイメージとは違いましたね。みんな野球を熱く考えていて、あったかいチームでした。でも、当時はセカンドに仁志敏久さん、小坂誠、ショートに二岡智宏、サードに小久保裕紀さんと内野が揃っていたので、「オレをどこで使うつもりなんだろ?」と思いましたよ(笑)。

二宮: 原辰徳監督は「最初、タクヤのことを誤解していた」と話していました。ユーティリティプレーヤーだけに器用な選手とみていたら、実際はそうではなかったと。そこでセカンドのポジションに専念してもらったことが結果につながっているのでは、と分析していました。
木村: そうですね。やはり、いろんなポジションを守るよりもひとつに集中したほうが落ち着きますから。だから原さんには感謝しています。すごく考えて使っていただいているので、それに応えなきゃいけないですね。
 巨人に来て良かったのは、野球観が変わったことです。広島では「ミスしたら、後で取り返せばいいや」という思いが強かった。エラーもたくさんしてきましたし、バントの失敗もしてきました。とにかく「やってしまったことは仕方ない」と切り替えてやってきた。でも、巨人は周囲の注目度が高い。失敗したら仕方ないではなく、まず期待に応えるプレーをしなきゃいけないんだと気づきましたね。もちろん、今までもそういう気持ちは持っていましたけど、よりワンプレー、ワンプレーの重みを考えるようになりました。

二宮: 昨年ほどの成績であれば、不動のレギュラーを任されてもいい内容です。ところが、球団は今季、アルフォンゾを補強してきた。常に競争が絶えない野球人生ですね。
木村: まぁ、しょうがないですよ。しょうがない。頭の中では「木村に頼ってみろよ」とは思いますけど、そこまでの実績を残したわけでもない。自分は必死にやって、しぶとく生き残るだけです。

二宮: 入団はドラフト外、トレードも経験しました。同期の選手もほとんどユニホームを脱いでいます。正直、この年まで続けられると思いましたか?
木村: だから、今年ダメだったらクビだと常に意識しています。そういう危機感はぬぐえないですね。ちょっとくらい痛いところがあっても痛いとはいえない。この世界は一部の選手を除けば、自分で辞める権利はない。レギュラーを取って代わられるという以前に、もうクビになるんじゃないかという怖さがあるんです。

二宮: 上原浩治投手は自らを雑草魂と言いましたが、木村選手の場合、雑草は雑草でも岩の割れ目から出てきたような感じがします。
木村: そんなことを広島時代に言っていましたよ。上原が「雑草、雑草」と言っていたから、「雑草ちゃうやん。いっぱい年俸もらってから」と(笑)。「お前が雑草やったら、オレは何やねん」って話ですよ。もう岩にへばりついている苔みたいなもんですね(笑)。