東京ヤクルトスワローズの古田敦也選手兼監督が19日、正式に監督退任と現役引退を発表した。会見に臨んだ古田兼任監督は、監督退任、現役引退ともに「悔いはありません」と語っていたが、途中からは涙を流し、言葉に詰まる場面もあった。「寂しいという感じよりも、悔しい」。自身、チームともに今季は不本意な成績に終わり、最後は本音ものぞかせる退任発表となった。
(写真:涙をこらえながら会見を行う古田兼任監督)
 ためていたものが、一気にあふれ出した。
「思うような成績をあげることができず、本当に言い訳もできず、多くのスワローズファンに失望感を与えたことに責任を感じています」
 会見の冒頭、淡々と古田監督は辞任の理由を語り始めた。

 感情が抑えきれなくなったのは、質疑応答に入ってから。「ヤクルトを去ることになりますが、選手に一番伝えておきたいことはありますか」との質問に言葉が出なくなった。下を向き、沈黙が続く。目は潤み、何かを発しようとするが言葉が出ない。
「また直接、伝えます」
 涙をぬぐって、そう言うのが精一杯だった。

「ファンに向けて何かありますか」。続く質問にも答えられなかった。こらえきれない感情が頬をつたう。
「本当に感謝の気持ちでいっぱいなんで。ここまでよく応援していただきました」
 ようやく発した言葉は涙で震えていた。

 古田監督が公の場で涙をみせたのは、04年の球界再編騒動の時以来だ。ストライキを決行した夜、テレビ番組に寄せられたファンからの激励に感極まった。「プロ野球を楽しみにしていた人に心苦しく思う」。何度も何度も頭を下げた。

「ファンのために」
 それが背番号27の行動原理だったと言えるだろう。兼任監督になったのも「一番はファンの皆様の声」。自らF-Projectを立ち上げ、ファンサービスにも力を入れた。

 しかし、グラウンドの中では思うような結果を残せなかった。選手としての衰えは否めず、右肩の調子も思わしくない。兼任監督1年目は36試合の出場にとどまり、現役続行を決意した今季はわずか3試合に出たのみ。まだヒットは1本も打てていない。通算2000試合出場を果たした4月の横浜戦ではバッテリーミスを連発した。
「兼任監督として試合に出るだけでなく、捕手の後継者を作るというのも監督に与えられた仕事の1つだった。そういうポジションになってみると、オレがオレが、とガリガリやっていた気持ちがちょっとそがれた」
 今シーズンの早い段階で現役引退を決意したという。

 そしてチームも90年代から2000年代にかけて5度のリーグ優勝を飾った輝きを取り戻すには至らなかった。昨季は3位ながら勝率は5割を切り、今季は故障者やメジャー移籍した岩村明憲(デビルレイズ)の穴埋めができず、最下位を争う。
「僕がプロに入ってから最下位は1度もないんですよね。球団史でいえば、すごく悪いことですから。こういう成績になったら辞める覚悟で全力でやってきた。やっぱりけじめをつけたほうがいい」
 ファンの期待に応えられなかった責任を監督として、選手としてひしひしと感じていた。「監督の意思が大変強かったという一語に尽きる」。慰留に努めた鈴木正球団社長も退団の決断を受け入れざるを得なかった。

 球団側は今後、後任の人選に着手するが、OBで西武投手コーチの荒木大輔氏、スポーツキャスターの栗山英樹氏らの名前が有力候補として取りざたされている。
 なお、ファンなどから上がっている背番号27の永久欠番化については、「今までは、そういう扱いを1度もしたことがない。関係者の皆さんの意見をまとめながら、判断をしていきたい」と鈴木社長は態度を保留した。ヤクルトでは大杉勝男(故人)の背番号8が一時期、永久欠番と制定されたことがあったが、現在は存在しない。

「ま、監督に関しても選手に関しても、あと18試合残っているんで、最後まで全力で頑張りたいなと思っています。これからの18試合をいい思い出にしたい」
 ツバメの要として長年、チームに君臨してきた男は最下位脱出に向け、采配を振るいつつ、本拠地最終戦(10月7日、対広島戦)に予定されている引退試合で最後のマスク姿を披露することになる。
(写真:「兼任監督はできないよ、というつもりはない」。最後は明るく語った古田監督)