投打の柱、黒田博樹と新井貴浩がそろってチームを去った今、どうなるカープ、どうするカープ――。
 07年12月8日、都内で『第4回東京カープ会』が開かれた。熱心なカープファン約230人と6人のパネリストが、愛するカープについてトークバトルを展開した。どのようにすれば、かつての“最強赤ヘル軍団”は蘇るのか。
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二宮: 上田さんは広島から上京してきた立場として、今の故郷をどう思われますか?
上田: 広島に帰って、いつも思うのは地元に暮らしている人のほうが危機感がないこと。これはカープの問題に限りません。たとえば、市民球場に近い紙屋町交差点に地下街を作りましたよね。ところが帰省してみると閑古鳥が鳴いている。これは明らかな失敗ですよ。ところが、広島市民は平気な顔をしているように見えて仕方ない。

二宮: 全国の中で一番、広島やカープの現状に危機感を抱いているのは、「東京カープ会」かも知れません(笑)。
上田: 本当にそうです。ここにお集まりのみなさんのほうが危機感が感じられる。まじめな話、このまま行くとカープは、あと5年で消滅するかもしれない。しかし、地元の人にとってカープは“いつもそこにあるもの”。外から見れば絶滅の危機にあることに気づかせてあげないと。
だって、10年連続Bクラスで資金力もない、球場もまともにできないようなチームをプロの球団と呼べますか? 実力では新規参入の東北楽天にも抜かれてしまいました。対等に戦えるのはオリックスとヤクルトくらい(笑)。

二宮: 結局は球団側がファンの愛情や厚情に甘えちゃっているんですよ。「どうせ離れられないだろう」と。ファンも「他に男をつくるのか」と言われてしまうと、「やっぱりカープしかダメなの」となってしまう。そこをうまく利用されています(笑)。一度、突き放してみる必要があるのかもしれませんね。
 川口さんもカープを離れてみて、逆にカープがよく見えてきた面があると思いますが、どうでしたか?

川口: 僕は巨人に移籍して、カープファンのみなさんにはずっと「裏切り者」と呼ばれてきました。この会の第1回目に出たときも、叩きのめされるかもしれないという覚悟で会場に来たことを思い出します。でも、東京のカープファンの熱さが本当にうれしかったことも事実です。この熱は日本全国に伝えるべきでしょう。特に広島の人には。
 最近、野球解説の仕事で各地を回っていて、一番驚いたのが仙台です。試合前は球場の中より、球場の外のほうがにぎやか。これにはショックを受けました。球場の外でサンマを焼いていたり、巨大スクリーンで試合の様子を見たりできるんです。とてもいい雰囲気が生まれていました。

二宮: 仙台に限らず、札幌や福岡など近年になって球団がやってきたところは、地元の人がチームを大事にしています。特に福岡は西鉄ライオンズを失った過去の歴史がある。何事もそうですが、人はなくなってから、その大切さに気づくものです。おそらく福岡の人もライオンズがなくなって、初めてその価値に気づいたのでしょう。

金石: 僕も日本ハムに移籍しましたが、今でもカープの金石という思いを持っています。解説者として12球団を回っても、やはり一番行きやすいのはカープのベンチです。カープの現状を寂しく感じているのはファンだけではありません。OBの誰もが残念で歯がゆく思っていますよ。
 
二宮: 「カープもなくならないと、ファンは目覚めないのでは」。そんな極論を言う人もいます。でも、現状を考えると、カープはなくなったら元には戻りません。なくなったら本当におしまい。だからこそ僕たちは、こうやって警告を発し続けているわけです。

下前: 最終的にこの状況を打破できるのは、しがらみのないファンだけ。地元の政財官は、しがらみにとらわれて身動きができません。メディアも放映権の問題があって行動を起こすことはできません。僕はカープが好きです。みなさんもカープが好きです。この純粋な思いをぶつけるしかないでしょう。
 たとえば、ある試合で市民球場を満員にしましょう。そして試合後も帰らない。そして「責任者、出てこい!」とみんなで訴えましょう。もしくは、市民球場での観戦をボイコットしましょう。応援をボイコットするのではありません。球場自体に行かない。それくらいの行動を起こす時期に来ています。
 カープに対して唯一、モノが言えるのは、我々ファンです。東京カープ会を発信源としてひと暴れしましょう!

(Vol.11に続く。随時更新します)

金石昭人(かねいし・あきひと)
 1960年12月26日、岐阜県出身。PL学園高では控え投手だったが、夏の甲子園優勝を経験。79年ドラフト外で広島に入団した。196.5センチの長身から投げ下ろすストレート、フォークを武器に85年に6勝をマークすると、86年に12勝をあげてリーグVに貢献した。日本ハムに移籍した92年には自己最多の14勝。93年以降は日本ハムのクローザーとして活躍した。98年に巨人に移籍し、同年限りで引退。通算成績は329試合、72勝61敗80セーブ、防御率3.38。現在は解説業も行いながら、都内で飲食店を経営している。

川口和久(かわぐち・かずひさ)
 1959年7月8日、鳥取県出身。鳥取城北高校から社会人野球チーム・デュプロを経て、80年広島にドラフト1位で入団。長年、左のエースとして活躍する。87、89、91年と3度の奪三振王のタイトルを獲得。94年にFA権を得て、読売ジャイアンツに移籍。96年にリーグ優勝を果たした際には胴上げ投手となった。98年シーズン終了後に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗、防御率3.38。現在、解説者の傍らテレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。

田辺一球(たなべ・いっきゅう)
 1962年1月26日、広島県出身。スポーツジャーナリスト。カープ取材歴は約20年にのぼる。“赤ゴジラ”の名付け親。著書に『赤ゴジラの逆襲〜推定年俸700万円の首位打者・嶋重宣〜』(サンフィールド)がある。責任編集を務めた『カープ2007-2008永久保存版』も好評発売中。現在もプロ野球、Jリーグほか密着取材を行っている。スポーツコミュニケーションズ・ウエスト代表。
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上田哲之(うえだ てつゆき)
 1955年、広島県出身。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。



下前雄(しもまえ・たかし)
 1966年、広島県出身。株式会社ジーアンドエフ代表取締役。一橋大学経済学部卒業後、三井不動産入社。93年にジーアンドエフを設立。ソフトウェア開発を中心に事業を展開。NPO法人一橋総合研究所理事兼任。
>>NPO法人一橋総合研究所のホームページはこちら




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