(このコーナーでは毎月、当サイトのスタッフライターがおすすめするスポーツ界の“新星”を紹介していきます。月2回更新です。どうぞご期待ください)

 緑のユニフォームを身に纏った選手たちが、3年ぶりのJ1復帰に向けてラストスパートを駆けている。
 11月7日に行われたJ2第33節カターレ富山対東京ヴェルディの一戦は劇的な結末を迎えた。2点のビハインドを背負ったヴェルディは前半ロスタイム、後半20分とゴールを決め同点に追いつく。そして、ドラマが待っていたのは試合終了間際のロスタイムだった。目安の4分をまもなく経過しようとした瞬間、左サイドから上がったクロスボールを柴崎晃誠が押し込み勝ち越しゴールが生まれたのだ。J1昇格を争うライバルが足踏みする中、ヴェルディは貴重な勝ち点3を積み上げ、ついにジェフユナイテッド千葉を上回り4位へと浮上した。昇格圏の3位へ、残りひとつのところまでやって来た。
 躍動する若手の象徴的存在

 今季、18年ぶりに川勝良一を監督に迎えたヴェルディはシーズン当初、もがき続けた。第8節が終了した時点で1勝5敗1分け。J2の19クラブ中18位と厳しい戦いを強いられた。チーム改革を委ねられた指揮官は、反転攻勢に出るべく積極的に下部組織出身の若手選手を起用する。中でも象徴的な存在になったのが高木善朗だ。各年代の日本代表に名を連ね、将来を嘱望される高木は現在、高校3年生の17歳。開幕戦のロアッソ熊本戦でJリーグデビューを果たすと、第4節柏レイソル戦で初先発の機会を得た。その後、第33節までに18回スターティングメンバーに名を連ね、出場のない試合はわずか3試合。いまやヴェルディの主力選手の一人となった。

 春先は苦しんだクラブも川勝監督が標榜するボールをつなぐサッカーが実を結び始めると、どんどん調子を上げていった。第9節以降は14勝5敗6分け。特に第15節から22節は負けがなく、クラブは一気に上昇気流に乗った。
 高木は現在のクラブの様子をこう口にする。
「絶対に負けない、あきらめない気持ちを全員が持っています。『昇格を信じて、J1へ行こう』。今はこの気持ちしかありません」
 成長著しい17歳は、力強く話してくれた。

 Jリーグデビューとなった開幕戦で、高木は後半35分からピッチに入った。緊張こそしなかったものの、ここでトップチームの厳しさを身を持って知ることとなった。ユース年代の選手では感じられなかった当たりの強さを体感したのだ。同年代の選手に体を入れられてボールを奪われることはまずなかったが、トップでは体を弾き飛ばされることもしばしば。相手との距離を意識しなければ、ボールはすぐに奪われる。高木にとってデビュー戦はあっという間の10分間だった。

 その後、途中出場を重ねながら、J初ゴールを第25節で記録する。「蹴った瞬間にいいコースにいったので、『これは入ったかな』と思いました」と高木は自身の初ゴールを振り返る。ここまで29試合に出場し4ゴール。勝ち点を重ねるクラブにあって、トップチームに上がったばかりのルーキーにとって、出場を続けるだけでも難しいはずだ。しかし、本人は「ゴールの数は満足のできるものではない」と冷静に分析する。
「もっと点を取れるシーンがシーズンの初めの方にあったと思います。もう少しゴールを入れていなければいけませんね。結果を求められるのがプロですから」。17歳は事もなく、そう言い切った。

 身近にいる“ライバル”が自分を高める

 幼稚園の頃からサッカーを始めた高木にとって、幼心に残っているサッカーの記憶は98年フランスワールドカップだ。日本代表が初めて世界の舞台に立った大会で、彼が夢中になったのはジデディーヌ・ジダンのプレーだった。フランスの至宝が躍動する姿を「ビデオで何度も繰り返して見ていた」という。もちろん、彼のプレーを真似してみた。決勝で2ゴールを決めたヒーローが高木にとって最初に憧れたサッカー選手だった。この大会では、もう一人世界に衝撃を与えた選手がいる。17歳でイングランド代表として出場したマイケル・オーウェンだ。小柄ながらスピード豊かなドリブルで華麗にゴールを決める姿にも、高木は吸い寄せられた。「イングランドのレプリカユニフォームを買って、それを着ながらプレーしていたのを覚えています」。

 しかし、高木にとってジダンやオーウェン以上に大きな存在がある。それは家族だ。3兄弟の次男である善朗には兄の俊幸と弟の大輔がいる。2人も東京ヴェルディに所属しており(大輔はジュニアユース)、「高木3兄弟」として注目を集める。父親の豊は横浜大洋ホエールズ(現ベイスターズ)などで活躍した80年代を代表する元・プロ野球選手だ。父の影響もあり野球選手を志すこともできたが、高木は小さい頃から一貫してサッカーをプレーしてきた。
「野球は守備をしてもボールが飛んでこなければ守ることがないし、打順が回ってこないと打つこともできない。サッカーはボールに触りたければ取りにいけばいいし、常に動きがあるほうが面白いなと感じたんです。僕はサッカーをやっている時間が一番楽しかったですね」

 兄は一時、野球をやっていた時期もあるが、今では同じクラブで共に戦う仲間だ。
「昔から兄に『負けたくない、追いつきたい』という気持ちでやってきました。それは今でも変わりません。きっと互いにそう思っているはずです。身近に超えたい存在があるので、僕は常に目標を高く持つことができました。兄がいたことできっと、僕は得ばかりしていますよ(笑)。兄は何かすると、親にうるさく言われてしまうところがあるけど、僕はそこを避けて通れますから」といたずらそうに笑った。サッカー界では日本代表の遠藤保仁が3兄弟の末っ子として育ったことが有名だ。遠藤も兄たちと一日中サッカーをしていたことで、実力を伸ばしていった。高木家にも、その下地は十分に備わっている。

 3つ下の弟に対しては、兄とは少し違った感情がある。「歳が離れていることもあり、実は一緒にプレーしたことはないんです。ユース年代で重なることはありませんでしたから。でも、近いうちに同じピッチに立ってみたいですね。今は少し離れたところからプレーを観ています。先日もU−16代表の試合を観ながら、こちらが色々と思うことがあった。でも、それを僕からは言わないようにしています。僕もそうだったように、身内から色々言われるのはきっと嫌でしょうからね。細かいことを気にせず、ノビノビとやってくれればいいと思います」
 そして、こう続けた。
「いつか、3人で同じピッチに立ってみたいですね。なかなかできることではないから、一つの目標にもなると思います」

 兄弟だけでなく、忘れてはならないのは父の存在だ。93年に引退した父のプレーを高木はほとんど目にしていない。元・プロ野球選手の父の存在は、どのようなものなのか。
「最初のうちは、選手名鑑や雑誌で必ず『高木豊の次男』と書かれてしまうことが嫌でした。そこは僕のプレーの特長ではないので、どうしても自分を見てほしいと感じました」

 それでもアスリートの先輩として、父の言葉は大きな意味を持つという。プロ選手としての心構えを教えられるのだ。
「この年齢でプロ選手になったので、普通の高校生よりはお金を使うことが出来るようになりました。欲しい物を買うこともできますが、父からは『体調管理をするのもプロの仕事だ』と言われています。今は食事に気を遣うことと、疲れが溜まった時などは大きなお風呂に行き体をケアするようにしています。長く現役でプレーできるように話してくれているんだと思います」
 メンタル面でも父の言葉を大切にしている。高木は「負けては絶対にダメ」と勝負への執着心を教えられる一方で、「プロは魅せることも大事」とも言われている。勝負にこだわりながらも、ファンを魅了するプレーをすること。これは野球とサッカーで競技こそ違えど、難しい課題なのかもしれない。長年、勝負の世界に身を置いていた父の言葉を、17歳の高木はどう受け止めているのか。父の言葉を完全に理解した時こそ、高木が日本を代表するサッカー選手になる瞬間なのかもしれない。

(後編につづく)

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(写真:(c)TOKYO VERDY)

高木善朗(たかぎ・よしあき)プロフィール>
1992年12月9日、神奈川県生まれ。幼稚園の頃からサッカーボールに触れ、あざみ野FC、東京ヴェルディジュニアユースを経て、東京ヴェルディユースでプレー。2010シーズンスタートからトップチームに帯同し、開幕戦のロアッソ熊本戦でJリーグデビューを果たした。その後もコンスタントに出場を続け、第25節横浜FC戦でJリーグ初ゴールを記録。今年9月にはヴェルディとプロ契約を結んでいる。また各年代の日本代表にも選出され、昨年10月、ナイジェリアで行われたU−17ワールドカップでは予選グループ3試合に先発出場。チームは3連敗を喫したものの、ブラジル、スイスなどを相手に、世界でも通用するプレーを随所で見せた。高い戦術眼を持ち中盤から前線まで、どのポジションでもプレーできるユーティリティ性を兼ね備える。ヴェルディでのポジションは主にサイドハーフ。身長169センチ、体重64キロ。Jリーグ通算29試合出場4得点(2010年11月9日現在)。

(大山暁生)
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