「もう絶対に負けられない。新人王を獲る!」
 齊藤裕太がこう決意したのは2011年7月3日。長男の太一君が誕生した日である。3戦目を2ラウンドTKOで勝利し、7月29日の東日本新人王1回戦に向けて練習を積んでいた時だった。試合前ということもあり、深夜の出産には立ち会えなかったが、報告を受けて病院に飛んでいった。齊藤は「いやぁ、もう感動しました」と愛息との初対面の瞬間を笑顔で振り返った。
“太一”という名前は、自身の“裕太”から“太”をとった。そして「長男という意味もありますし、『一』という響きもいい。あと『たいち』って呼びやすいでしょう」と“一”をつけたという。

 息子に勝利を――父親として初めて臨んだ試合(東日本新人王予選1回戦)だったが、齊藤はまさかの判定負けを喫してしまう。いつもの前に出て行くファイトスタイルが、この日は影を潜めた。本人も「自分のボクシングを見失っていました」と曇った表情で試合を振り返った。北澤公徳ジムマネージャー(以下GM)は「やはり、また右に頼るクセが出ていました。そうなることで、手数が少なくなる。リズムに乗れないまま、判定負けになってしまった」と敗因を分析した。

 折れそうな心を支えた息子の存在

 ただ、齊藤はすぐに次へと切り替えた。「キャリアとして、次につなげるためにも、『なぜ負けたのか』を考えました。そうなると、やっぱり練習だなと」。これが再起戦に向けて彼が導きだした答えだった。パンチの質やスタミナの向上など、基本的な部分を一から鍛え直した。迎えたプロ5戦目(11年11月13日)には、妻と息子も会場の後楽園ホールに駆け付けた。しかし――齊藤は家族の目の前で、まさかの連敗を喫してしまう。またしても判定負けだった。
「本当に情けなかったですね。試合の内容は完敗ではありませんでしたが、ボクシングは結果の世界。負けたことにショックを受けました」

 この結果により、通算戦績が2勝3敗と負け越してしまった。ただ、この敗戦を機に、齊藤の心境にある変化が起きた。
「僕はデビュー戦からずっと勘違いしていました。『自分は弱い』。それに気が付いたんです」
 自身のボクサーとしてのスタイルも客観的に見つめ直し、「技術を生かすタイプではない」と自覚した。そして、息子の存在が齊藤を奮い立たせた。「弱い父親のままじゃいられない」と一年発起したのである。

 スタミナをアップさせるため、普段の約10キロのロードワークには、途中でダッシュを組み込む“心拍数トレーニング”を取り入れた。ひとりで行うロードワークで甘えを抑制し、できるだけ自分を追い込むための意味もあった。また、得意の右を最大限生かすため、来るべき試合に向けて左ジャブの強化に取り組んだ。ミット打ちやシャドー・ボクシング、スパーリングで徹底的に左ジャブを打ち込んだ。
 再起を期するプロ6戦目は、彼にとって2度目となる東日本新人王予選1回戦(※C級ライセンスボクサーで東日本新人王の優勝かつ試合で5ラウンドを経験していない選手は、2度まで出場可能)に決まった。

 東日本新人王予選までの約5カ月間は試合を入れなかった。焦らず、みっちりと練習をこなした上で新たなスタートを切りたかったからだ。ジム側も彼の気持ちを理解し、無理に試合をセッティングすることはしなかった。しかし、そんな齊藤陣営にアクシデントが起こる。東日本新人王1回戦(12年4月8日)の対戦相手が、試合の約1カ月前に棄権を表明したのだ。ただでさえ齊藤は長期間、実戦から離れている。これ以上の試合離れは避けたかった。

 そこで、齊藤は同日に急遽、1階級重いバンタム級で4ラウンド制のオープン戦に出場した。この試合から彼のトランクスに「TAICHI」という文字が刻まれていた。いうまでもなく、息子の名前である。「太一の名前を入れることで、気持ち的にも違ってくるのかな」という一種のゲン担ぎの効果はてき面だった。結果は3ラウンドKO勝利。練習した左ジャブでうまく相手のガードを崩し、距離を測ってからの右が当たるようになっていた。結果と内容が伴った試合に北澤GMも「一気に彼のボクシングが変わりました」と少し興奮した様子で振り返った。そして、ここから齊藤は快進撃を見せる。東日本新人王2回戦(6月18日)は1ラウンドTKO勝ちで突破した。続く準々決勝では、プロ人生初の判定勝ちを収めた。続く準決勝は判定で同点引き分けだったものの、優劣をつける規定により、齊藤が優勢の判定を受けて決勝に進んだ。

 齊藤の快進撃が続くにつれ、北澤ボクシングジム全体にある空気が生まれていた。北澤GMはその様子をこう明かした。
「オープン戦でTKO勝利した辺りから、ジム内に齊藤のファンが出てきたように感じました。ですから、ジムのみんなが彼に“新人王を獲らせてやりたい”という雰囲気になっていきましたね」
 数が限られているサンドバッグなどは、通常では交代で練習をする。しかし、この時期、齊藤がサンドバッグの方へ向かうと、自然とジム生が「先に使っていいよ」と順番を譲るようになったのだ。もはや、新人王は齊藤だけの目標ではなくなっていた。

 周囲に認めさせた初タイトル

 そして迎えた東日本新人王決勝(11月4日)は、衝撃的な試合となった。相手は山口祥之(RK蒲田)。齊藤との身長差は約10センチもあった。だが、齊藤はリーチ差をものともせず、1ラウンドTKO勝利を収めたのだ。1分15秒、齋藤が左ジャブのフェイントをかける。相手の山口がかぶせてきた右に左フックをカウンターで合わせた。これが山口の顔面にクリーンヒットし、すかさず返す刀で右ストレート。たまらず相手は尻もちをついた。

 フェイントからダウンまで、ほぼ完璧な流れだったが、齋藤は「左ジャブのフェイントはかけていない」と明かした。しかし、何度映像を見返しても、齋藤の左手がピクッと動き、それにつられて山口が右を繰り出している。これは一体、どういうことなのか。北澤GMはこう説明する。
「たぶん本人が気付いていないだけだと思います(笑)。始めの左ジャブのフェイントで、相手が右を大きく振ってきたのでガードが空いた。そこに左、右とうまくツボにはまりました。あれを無意識でやっているのだから、すごいですよね」
 
 このダウンをきっかけに、齋藤は勝負に出た。セコンドからも「出ろ!」の声が飛び、左右の強打を次々と山口に打ち込んだ。そして1分50秒、レフェリーが両者の間に割って入った。齋藤が雄叫びを上げる。東日本新人王を制した瞬間だった。
「初めてのタイトルだったので、本当に嬉しかった」
 応援に来ていた家族とは、リング下で歓喜のタッチを交わした。北澤GMも「彼個人だけでなく、ジムのみんなで獲ったタイトルだということが、非常によかった」と喜びを噛みしめた。

 東日本新人王を制したことで、彼の周囲にも変化が起こった。
「ボクシングを真剣にやっているということが、伝わったように感じます。その前までは、やはり働きながらなので、応援といっても『ほどほどにね』くらいに言われていました。ですが、優勝して以降は、『頑張れ』と言ってもらえるようになりましたね」
周囲にボクサーとしての自分を認めてもらえたことが、何より嬉しかった。

 最強の敵への挑戦

 齋藤は試合後に行われた表彰式で、MVPを受賞した。
「評価してくれた人たちを裏切らないように、全日本新人王に向けてもっと練習しようと思いました」
全日本は東日本(東軍)と西日本(西軍)の優勝者同士の1試合のみで争う。相手の冨山智也(蟹江)は、デビュー戦から西日本決勝までの4戦すべてで1ラウンドKO勝利しているハードパンチャーで、中日本のMVPも受賞している。まさに最強の敵だった。
「1ラウンドKOなんて、マグレではできない。映像を少し見ると、ボクシングがけっこうまとまっていました。パンチがあるだけじゃなくて、フォームもしっかりしているなと」
 齋藤は冨山への第一印象をこう振り返った。だが、決してビビりはしなかった。むしろ「パンチ力では負けたくない。自分のほうが強いことを証明したい」と、闘志に火が点いた。
(写真:リングシューズに入れられた「太一」)

 全日本までの準備期間は約1か月半あった。そのなかで彼はスピード強化に加えて、スタミナ向上を課題にしていた。冨山の戦績は派手だが、裏を返せば2ラウンド以降の戦いは経験したことがない。キャリアで上回る齋藤は「後半になればなるほど、有利になる」と確信していた。また、全日本では5ラウンド制の特別ルールで試合が行われる。走り込みを精力的にこなし、1ランド増加分のスタミナ確保に努めた。

 メンタル面ではナーバスになることも予想されたが、妻のサポートがそれを回避させていた。
「周りがピリピリするとこっちまでピリピリしてしまう。気をつかってくれたのかもしれないですけど、妻はいつもどおりに接してくれました。冗談で『負けたら引退だからね』と言われたりもしましたけどね(笑)。おかげで、ナーバスにならずに全日本に臨めました」

 また、食事管理も妻が行っている。齊藤の普段の体重は約61キロあり、スーパー・フライ級の体重(50.80〜52.16キロ)まで約9キロの減量が必要となる。減量中は制限された生活を送ることによって、イライラが募る時も少なくない。それでも妻は、齊藤の置かれている状況を理解し、ヤツ当たりされても怒らないという。そんな妻に齊藤は少し照れ笑いしながら「心から感謝しています」と語った。

 全日本では着用するトランクスが主催者から支給されるため、「TAICHI」の刺しゅうが入ったトランクスをはけない。「太一の名前を身につけると気持ちが入る」と語る齋藤は、代わりにリングシューズに「太一」と刺しゅうを入れた。家族のために勝つ――齊藤は強い決意を持って決戦のリングに上がった。

 大事なのは勝ち続けること

 運命のゴングが鳴った。直後、齋藤がピンチを迎える。左ジャブにカウンター気味で右を軽く合わされ、齋藤のヒザがガクッと折れた。冨山にパンチ力があることは分かっていたが、実際に受けたそれは想像以上だった。
「正直、4連続1ラウンドKOがマグレじゃないにしても、東日本よりも西日本は試合が少なかったり、レベルも高いとはいえないので、ちょっと甘く見ていた部分もありました。ですから、パンチをもらって『これは強い』と驚きました」

 ただ、齋藤はそこで引かなかった。すぐに体勢を立て直し、パンチを打ち返した。
「(冨山に)負けた選手たちは、一発いいのをもらって後退して、どんどん相手のペースに巻き込まれていた。ですから、これで退いたら、絶対に負けると思って、とにかく前に出ました」
 1ラウンドの半ばには、齋藤の右ストレートが冨山の顔面を捉え、今度は相手の腰が落ちた。その後は、打ち合いとなるが、ともに有効打は少なく、最初の3分間が終了した。すなわち、齋藤は冨山にとっては未知の2ラウンドに引きずり込んだのだ。2ラウンド目の冨山は積極的に前に出てくることはなく、プロになって初の状況に戸惑っているのは明らかだった。

 3ラウンド目は再び攻め込んできたが、1分24秒、齋藤が左ボディを冨山の右腹にめり込ませた。冨山は苦悶の表情を浮かべ、体を「く」の字に折り曲げた。「あのボディで相手が少し弱気になった」と感じた齊藤は、さらにボディを放って冨山をロープに押し込む。相手がボディを警戒し出すと、今度は上下に打ち分け、有効打を連発させる。流れは完全に齋藤に傾いた。
 続く4ラウンドも齋藤が押し込む展開。偶然のバッティングで注意を受けたものの、勢いは止まらなかった。2分40秒を過ぎたあたりで、齋藤の左ストレートがクリーンヒット。「ここで倒そう」。齊藤はさらに前に出る。しかし、相手も必死だ。クリンチでうまく時間を使われてゴングが鳴り、決着は最終5ラウンドにまでもつれ込んだ。

 3ラウンドで左ボディを当ててから、相手のスピード・スタミナが大きく落ち、ガードが甘くなっていた。あとは止めを刺すだけだ。北澤GMも「ここで倒さなきゃ男じゃないぞ!」と言って齋藤を送りだした。齋藤はのっけからエンジン全開で攻め込んだ。しかし、冨山も倒されまいとクリンチなどで粘る。2分が経過し、会場に「判定決着か……」という空気が流れだした。だが、2分23秒、齋藤得意の右ストレートが冨山の顔面を撃ち抜く。「ここだ!」。相手がぐらついたところを見逃さず、ロープに押し込んで連打を浴びせる。そこにレフェリーが割って入ってきて、試合を止めた。

「うおお!」。リング上で齋藤は両手を大きく広げて歓喜の咆哮をした。腫れ上がった勝者の顔面が、激闘ぶりを物語っていた。齊藤は東西のMVP、ハードパンチャー同士の戦いで打ち勝った。東日本に続くMVP受賞も必然といえるだろう。勝利の瞬間の心境を聞くと、「いやぁ、もう」と少し考えてこう続けた。

「自分の持っているものをすべて出したなと。それで結果が出たので、今までの人生で感じたことのない嬉しさでしたね。ボクシングをやっていてよかったなと思いました。これからもボクシングを続けていけばわからないですけど、あれ以上の試合はないんじゃないかなと思えるくらいです。お客さんもほぼ満員。あの熱気の中で勝った瞬間は本当に、忘れられないですね」
 北澤GMは「倒す気持ちが強かったからこそ、終盤にツキが巡ってきた。それを逃しませんでしたね」と最後まで前に出続けた齊藤を称えた。

 全日本新人王を制したことで、齋藤は日本スーパー・フライ級のランキング12位になった。日本王座、さらに世界と野望は広がる。
「最終的な目標は世界チャンピオンです。ただ、まだまだ実力が足りません。今は次の一戦、一戦を確実に勝っていけば、自ずとタイトルも近づいてくるかなと。いいかたちで勝ち続ければ、今年中にタイトル挑戦という話も出てくるかもしれない。ただ、当然、相手のレベルも高くなっていくので、来たるべき時に備えて気を抜かずに練習あるのみです」

 最後に、目指すボクサー像を聞いた。
「右ストレートは本当に自信を持っているので、右が強いということは見せていきたいですね。そしてKOにはこだわりたい。お客さんも喜びますから。お客さんはお金を払って見に来てくれています。KOできる時はKOを狙える選手になりたいですね」
 愛する家族、支えてくれる人たちの期待を両拳に込め、齋藤は世界の頂を目指す。

(おわり)

齊藤裕太(さいとう・ゆうた)プロフィール>
1987年9月2日、神奈川県生まれ。北澤ボクシングジム所属。階級はスーパーフライ級。18歳の時にボクシングを始める。しかし、練習の厳しさから当時のジムを退会。約3年、ボクシングから離れたが、2009年、友人の誘いで北澤ジムに入門する。10年6月にプロテストに合格し、デビュー戦は1ラウンドKO勝利。12年、2度目の挑戦となった東日本新人王で優勝し、MVPを獲得。同年の全日本新人王も制し、こちらもMVPを受賞した。10年1月に結婚し、現在は一児の父。打たれ強さと破壊力抜群の右が武器。11戦7勝(6KO)3敗1分け。身長167センチ。

☆プレゼント☆
齊藤選手の直筆サイン色紙をプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「齊藤裕太選手のサイン色紙希望」と明記の上、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、この記事や当サイトへの感想などがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選は発表をもってかえさせていただきます。締め切りは2月28日(木)迄です。たくさんのご応募お待ちしております。

(鈴木友多)
◎バックナンバーはこちらから